AIの爆発的な普及に伴い、半導体のさらなる高性能化とデータセンターの電力効率化は、今や最もホットなテーマの1つとなった。しかし、その熱狂の中で、実は見落とされている重要な要素がある。それが、半導体の中でやり取りされる信号のロスを招く「絶縁体(誘電体)」の存在だ。AI半導体の処理速度が加速度的に向上するなか、これらの小さなロスが、見過ごせないボトルネックとなりつつある。

シリコンバレー発のThintronics(シントロニクス)は、この絶縁体に注目したスタートアップだ。これまでの電子機器は、脳に当たる「半導体チップ」、それを載せる「パッケージ基板」、さらにそれらを実装する「プリント基板(PCB)」など階層ごとにバラバラの絶縁材料が使われていたが、同社は独自の技術によってこれら1種類に統一するアプローチを採用し、「小さな積み重ね」による省電力化の実現を目指している。

「(AI半導体は)細部までイノベーションを起こさなければ、莫大な電力コストという“税金”が積み上がってしまう」。そう語る同社CEOのステファン・パスティン(Stefan Pastine)氏に、技術的な強みや日本企業との連携に期待することなどを聞いた。


目次
見落としていた「絶縁体」の重要性
「バラバラだった絶縁材料」を1種類に統一
データセンターの消費電力を約15%削減できる
「5つの研究組織」に匹敵する少数精鋭メンバー
TOPPAN傘下のCVCも出資
「あらゆる場所にシントロニクスを」

見落としていた「絶縁体」の重要性

―現在の半導体やデータセンター業界が直面している課題について教えてください。

 SNSや動画配信の普及、そして昨今のAIの台頭により、データ通信における「信号周波数」は飛躍的に高まっています。周波数が高くなればなるほど、その信号を保護するための絶縁体への要求水準もそれに応じて高くなるのです。

 しかし現状では、絶縁体の性能が通信速度の進化に追いついておらず、信号が外部に漏れて失われてしまう「伝送損失」につながっています。失われた信号を補うには、より多くの電力を使って無理やり信号を増幅させなければならず、これがデータセンターの消費電力を押し上げる大きな要因となっているわけです。

―今後は「絶縁体」の重要性が増してくるということでしょうか?

 その通りです。これまでの半導体業界は「ムーアの法則」に従い、トランジスタ(電子信号を増幅・切り替えする半導体素子)の微細化によって性能を高めてきました。しかし、その微細化も物理的な限界に近づいています。

 そこで今、最も注目されているのが、複数のチップを高密度に繋ぐ「アドバンスト・パッケージング(先端パッケージング)」という技術です。チップ同士を極めて近い距離で接続するため、配線の電気的な干渉や信号のロスを抑える必要があり、その役割を担う絶縁体の性能が重要になります。

 しかし、この技術の大きなボトルネックになっているのが、実は旧態依然とした絶縁体の性能なのです。だからこそ私たちは、絶縁体をAI時代のニーズに合わせて「モダナイズ(現代化)」しようとしています。

Stefan Pastine
Founder & CEO
コロンビア大学で化学の博士号を取得後、UCバークレーにて博士研究員として従事。2008年の金融危機を機に科学技術の商業化を志し、リサイクル素材のスタートアップを起業・売却。その後、半導体業界の電力ロス問題に着目し、2019年にThintronicsを設立。分子設計からシステム工学までを垂直統合したチームを率い、AIインフラの省電力化に挑む。

「バラバラだった絶縁材料」を1種類に統一

―シントロニクスが開発する「絶縁体」の特徴を教えてください。

 驚くべきことに、これまで半導体業界では、「半導体チップ」、それを載せる「パッケージ基板」、それらを実装する「プリント基板」といった層ごとに、全く異なる絶縁材料が使われてきました。

 なぜ層ごとに材料がバラバラなのか、今となっては明確な理由は誰にも分かりません。過去にはそれぞれの層で合理的な理由があったのでしょうが、それが慣習として引き継がれているのが現状です。

 私たちのソリューションは、これらのバラバラだった絶縁材料を「1種類の共通技術」で統一し、電気特性を最適化することです。これにより、信号損失による性能低下の問題はもちろん、複雑なサプライチェーンの問題も同時に解決することを目指しています。

Image : Thintronics

―現在はどの階層に最も注力しているのでしょうか?

 特に「パッケージ基板(サブストレート)」の層に注力しています。

 AIやネットワークの通信速度は、次世代に進むごとに帯域幅が約2倍になるペースで進化していますが、今の技術のままでは、基板部分で発生する「インサーション・ロス(挿入損失)」*がひどくなり、速度向上の限界を迎えてしまうからです。

 つまり、絶縁体の性能を上げ、信号ロスを極限まで減らすことこそが、次世代の超高速通信を実現するための鍵となります。システム全体の最大のボトルネックになっているパッケージ基盤にまず注力し、将来的にはプリント基板や半導体チップ向けの絶縁体にも横展開していく予定です。

  *インサーション・ロス(挿入損失) : 半導体や高周波回路において、信号が部品や伝送路を通るときにどれだけ減衰するかを示す指標。伝送路の金属抵抗や、絶縁材の誘電損失、接続部での反射よって信号が減衰するために発生する。

―パッケージ基板の絶縁材料といえば、味の素の層間絶縁材料「ABF(味の素ビルドアップフィルム)」が、世界で圧倒的な市場シェアを占めていますね。

 ABFは高性能なCPUやGPUに不可欠な材料となっており、現在は業界全体が特定の供給元に支えられている状態です。コロナ禍のような予測困難な事態が起きた際、こうした特定の供給網に依存する構造が、結果として世界的な半導体の需給バランスに影響を与えた側面もありました。私たちは素材の統一と最適化によって、この市場構造に新たな選択肢を提示したいと考えています。

Image : Thintronics

データセンターの消費電力を約15%削減できる

―シントロニクスの絶縁体技術が、半導体業界やデータセンターに与えるインパクトについて教えてください。

 数年前に行った試算では、シントロニクスの技術を既存のデータセンターに導入した場合、データセンター全体の総消費電力を約15%削減できるという結果が出ています。

―この「15%」という数字は、先ほどのお話にもあった「信号を増幅させるための電力」が不要になるから、ということでしょうか。

 その通りです。絶縁材料の性能を向上させることで信号が弱まりにくくなれば、信号を増幅させる回数を減らすことができます。その分の電力をまるごと削減できるわけです。

 今後もAIデータセンターは建設され続けます。こうした細部までイノベーションを起こさなければ、無駄な電力コストは企業の利益を圧迫する重い“税金”のように積み上がっていくでしょう。

「5つの研究組織」に匹敵する少数精鋭メンバー

―巨大な市場に挑むシントロニクスですが、どのようなチーム体制なのでしょうか?

 私たちは現在、30人に満たない少数精鋭のチームです。しかし、その中には「5つの研究組織」に相当する深い専門性があります。分子レベルの設計を行う化学者から、システム全体の電気工学を熟知したエンジニアまで、多様な専門領域の人材が机を並べて一緒に働いています。

 異なるバックグラウンドを持つ者同士のコミュニケーションは難しいこともありますが、だからこそ、やりがいがありますし、全員が同じ目的を共有しているため、R&D(研究開発)のスピードが圧倒的に速い。これが私たちの最大の武器です。

―ステファンさんのバックグラウンドや、会社を立ち上げたきっかけについても教えてください。

 私は化学と材料科学の博士号を取得後、コロンビア大学やUCバークレーで研究に従事していました。2008年の金融危機の際、「培ってきた科学をいかに社会に大きなインパクトを与える技術として形にするか」を考え抜き、起業の道を選びました。

 最初の会社(Connora Technologies)では、リサイクル不可能だったプラスチックを再設計し、循環型素材に変えることに成功しました。その会社を2019年に売却した後、もっと大きな社会的課題に挑戦したいと考え、立ち上げたのがシントロニクスです。

―リサイクル素材から、なぜ「半導体」だったのでしょうか?

 前職で扱っていた材料は、もともと半導体業界でも使われていたものでした。その仕事を通じて、業界が抱えるリアルな電力ロスの課題に触れたことがきっかけです。いわば、最初の会社からスピンアウトするような形で、今の挑戦が始まりました。

Image : Thintronics HP

TOPPAN傘下のCVCも出資

―ビジネスモデルとして「ライセンス戦略」を選んだ理由について教えてください。

 私たちのビジネスモデルは、技術を自社で大量生産するのではなく、開発した高度な誘電体材料の技術を「ライセンス提供」し、実際に製造が行われる地域のパートナーと協業していくスタイルをとっています。現在、ターゲットとしているのは、半導体や電子機器の製造の拠点である、日本、台湾、韓国です。

 実際、日本のTOPPANホールディングスの米国CVC部門などから出資を受けています。日本には素晴らしい製造インフラがあります。私たちは彼らと競うのではなく、彼らの工場で私たちの素材を使ってもらうことで、世界中にこの技術を届けたいと考えています。

―日本市場への期待を教えてください。

 日本は材料科学において、世界で最も技術力の高い国。日本のパートナーと一緒に、次世代の半導体のスタンダードを作れることを誇りに思っています。

 あと、私は日本の食文化も大好きなんです(笑)。次に日本へ行くときは、パートナーの皆さんと美味しい鉄板焼きを囲みながら、未来の半導体について語り合うのを楽しみにしています。

「あらゆる場所にシントロニクスを」

―今後の展望についてお聞かせください。

 現在はシリーズA段階のスタートアップとして、マイルストーンの達成が目前に迫っており、次の成長に向けたシリーズBの資金調達を進めています。

 AIの急拡大により、基板レベルでの技術的な遅れが、顧客の製品リリースを妨げるケースが増えています。私たちは各国のパートナーと手を組み、この課題を解決していきます。

 長期的なビジョンは、「Thintronics Everywhere(あらゆる場所にシントロニクスを)」。世界中のあらゆる高速電子機器に私たちの素材が組み込まれ、AI時代のインフラを支える新しいスタンダードになることを目指しています。



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