「ERPがあなたのビジネスをスマートに変える」。ビジネス街の華やかな看板広告とは裏腹に、現場の社員たちは、ERP(基幹業務システム)に不満を募らせている。システムが硬直的なため、融通が利かず、使いにくい。だから今日もせっせと、「秘伝のExcelシート」をツギハギして急場をしのぐ——。これが、現代の多くの企業が直面する現実だと喝破するスタートアップがいる。
「現場を本当に救うERPは存在しないと感じた。だから、自分たちが作ったんだ」
そう不敵に笑い、業界の巨人に正面から宣戦布告するのが、米サンフランシスコ発のDoss(ドス)だ。彼らは、自社のプロダクトを「アンチERPなERP(Anti-ERP ERP)」と表現する。その呼び名の通り、従来のERPが財務や会計の視点から作られていたのに対し、Dossは「商品・お金・データがどう流れているか」という現場のオペレーション視点でビジネスを管理できるようにする逆転の発想が最大の特徴だ。
「業務をシステムに合わせる」のではなく、「システム側が業務に合わせる」。この発想が、これまでのERPの常識をどう塗り替えるのか?CEOのワイリー・ジョーンズ(Wiley Jones)氏に話を聞いた。
目次
・「EPRのせいで…」父の言葉が導いた起業
・業務をシステムに合わせる、本末転倒な実態
・ERPではなく「ARP」
・某コーヒーチェーンでの導入事例
・システムに「使われていた」時代に終止符を
「EPRのせいで…」父の言葉が導いた起業
― まず、ご自身の経歴とDossを創業するに至った経緯を聞かせてください。
私の原点は、製造業の現場にあります。父は長年自動車のサプライチェーンに携わっており、三菱自動車のアメリカ法人で「エクリプス」や「ランサー」の生産を担っていました。子どものころ、父から何度も聞かされたのが「ERPシステムのせいで、生産現場で繰り返しトラブルが起きる」という愚痴です。それから何十年も経った今、日本の企業も含めて世界中でまったく同じ問題が起き続けている。これっておかしいと思いませんか?
私自身のキャリアも、その地続きでした。中国や香港を拠点に、ロボット、防犯カメラ、医療機器などの製造現場で働き、サプライチェーンから在庫管理、調達まで、あらゆるエンタープライズシステムを使ってきました。
そこで痛感したのが、「本質的な逆転現象」です。本来、システムは企業の戦略に合わせて柔軟に変わるべき道具のはずです。しかし現実は、システム側の仕様や枠組みに合わせて、自分たちのビジネス戦略を変えなければならない。どの会社へ行ってもこの不条理が付きまといました。
「この構造そのものを変えなければ、現場は永遠に救われない」と確信したことが、Dossを立ち上げる決定的な引き金になりました。
―共同創業者のアルナフ・ミシュラ(Arnav Mishra)氏とはどのように出会ったのですか。
彼とはイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(UIUC)時代からの友人です。私は電気・機械工学を、アルナフはコンピュータサイエンスを専攻していました。卒業後、彼はセキュリティ企業でデータベースやセキュリティのインフラ構築のプロになり、私は製造現場で実務を極めました。
ソフトウエアのスペシャリストである彼と、泥臭い現場を知る私。バックグラウンドは違いましたが、2022年に生成AIの登場を目の当たりにしたとき、二人の確信が完全に一致しました。「これを使えば、プログラミング言語(構文)を知らない現場の人間でも、言葉(意図)を伝えるだけでシステムを思い通りに動かせる時代が来る」と。このテクノロジーがあれば、長年放置されてきたERPの課題を根本から破壊できると考え、共に起業しました。
業務をシステムに合わせる、本末転倒な実態
―従来のERPが抱える、最も致命的な問題はどこにあると考えますか。
一言でいえば、「ビジネスの進化スピードに、システムが絶対に追いつけない構造」です。企業の戦略や市場の環境は、日々ハイスピードで変化します。しかし、従来のERPは導入が完了した瞬間にその時代の姿で「時間が凍結」されてしまうのです。
多くの企業が「数十億円を投じて大規模なシステム移行をすれば、今のビジネスに追いつける」と考えがちですですが、その数年がかりの移行プロジェクトが終わるころには、ビジネスの形はさらに先へ変わってしまっている。これでは、いつまでも現実のビジネスの後ろを追いかけるだけのイタチごっこです。
システムが現実のスピードから遅れると、会社は「今、現場で何が起きているか」を正確に把握できなくなります。結果として、正しいデータ分析も、的確な経営判断も、迅速な変化も起こせなくなる。私たちがDossで挑戦しているのは、「ビジネスの進化にリアルタイムに追従できる、真に適応性を持ったシステムは作れないか」という問いへの答えです。
―日本企業のERP導入でも、ベンダーから「Fit to Standard(標準に合わせよ)」を強く求められ、独自の優れたワークフローを妥協せざるを得ないケースが多発しています。
まさにその通りで、あの妥協こそが最悪の結果を招きます。日本企業が独自のワークフローを磨き上げているのは、業務を無駄に複雑にしたいからではありません。そのこだわりの中にこそ、他社に負けない「独自の強み」や「競争力の源泉」が詰まっているからです。
それなのに、海外製の“標準テンプレート”に無理やり業務を押し込み、中途半端に妥協すればどうなるか。自社の強みである独自のプロセスは破壊され、かといってシステムが使いやすくなるわけでもない。双方の良い部分をすべて削ぎ落とした「最悪のバージョン」のシステムだけが現場に残されることになります。
ERPではなく「ARP」
―だからこそ、Dossが提唱する「ARP(適応型リソースプラットフォーム)」が必要になると。具体的にはどういった仕組みなのでしょうか。
ARPの最大の特徴は、「コンポーザブル(組み合わせ自在)」なデータモデルにあります。どこかのソフトウェア開発会社が机の上で決めた「これが標準パターンです」という枠に企業をハメるのではなく、その企業が「実際にどうやって事業を動かしているか」のリアルな形に合わせて、ビジネスデータをそのまま格納・構造化できる仕組みです。
もう一つ重要なのが、使う人(役割)に合わせた「業務経験の適応性」です。製造、倉庫、受注といった異なるチームが、まったく同じデータモデルを裏側で共有しながら、それぞれの画面では自分たちの作業に最も適したUIで操作できる。
従来のERPに対する最大の批判は、「経営層の意思決定のためだけに作られていて、実際に毎日データを入力する現場にとっては地獄のように使いにくい」という点でした。DossのARPは、経営層の高度な分析ニーズを満たしながら、現場の使いやすさも1ミリも妥協しない適応性を、設計レベルで組み込んでいます。
Image : Doss 向かって左CEOのWiley Jones氏、右CTOのArnav Mishra氏。
某コーヒーチェーンでの導入事例
―Dossにおいて、AIは具体的にどのような役割を果たしているのですか。
AIは、私たちのプロダクトにおける「脳」であり、全体をつなぐ「神経系」そのものです。2016〜17年ごろの私は、「ERPの使いにくさはビジネスの現実であり、変えようがない」と諦めかけていました。しかし2022年、生成AIの進化を見た瞬間に、魔法のような扉が開くのを感じました。
これまでは、システムを少し変更するのにも特殊なプログラミング構文(シンタックス)の習熟が必要でした。しかし、現場のビジネスユーザーは「自分たちの業務がどう動くか」の達人であって、構文の達人ではありません。
Dossでは、AIが間に入ることで、ユーザーは「こう変えたい」という意図(セマンティック)を言葉で伝えるだけで、システムが自動でその意図を理解し、ワークフローやアプリケーションをその場で形作ってくれます。コンポーザブルなデータ基盤の上で、顧客の現場の声をAIがリアルタイムに実装へ落とし込んでいく。システム構築の主導権を、ITベンダーではなく「現場の人間」の手に取り戻すことが、私たちの根本にある思想です。
―実際にDossを導入した企業の具体例を教えてください。
米国や日本で事業を展開している、あるコーヒーショップチェーンの事例が非常に分かりやすいと思います。彼らは自社でコーヒー豆を焙煎し、直営カフェだけでなく、小売店への卸売り、EC(D2C)、さらにはオフィス向けなど、極めて複雑なマルチチャネルで事業を展開していました。
世界中から生のコーヒー豆を調達し、買付から焙煎、加工を経て最終的に現金化するまでに「9カ月」という長いサイクルがかかります。工程ごとに莫大なコストが積み上がるため、「今、どのチャネルのどの工程で、いくら利益が出ているのか」をリアルタイムで把握することが、経営上の命題でした。しかし、これまでは5〜10個のバラバラなシステムやツールを横断してエクセルで集計せざるを得ず、全体像が全く見えていなかったのです。
そこで彼らは、在庫管理や調達のレガシーシステムを一掃し、Dossの「オペレーションズクラウド」へ一本化しました。データウェアハウスもDossに統合し、焙煎、倉庫、出荷、受注のすべてを1つのプラットフォームで連動させたのです。
結果は劇的でした。経営の可視化はもちろんですが、何より現場が変わった。倉庫チームが毎朝行っていた「焙煎・梱包・出荷」のオペレーションにかかる時間が、1日6時間から、わずか2時間へと劇的に短縮されたのです。毎日15〜20人の現場スタッフがこの恩恵を直接受けており、同様のイノベーションがカフェや調達など、会社全体のあらゆる部門で同時に起きています。
―通常、ERPの導入には年単位の時間がかかりますが、Dossの場合はどれほどの期間で立ち上がるのでしょうか。
契約後のキックオフから3〜4カ月が目安です。私たちは、従来のように「莫大な契約を結んで、2年後にようやくシステムが納品される」という進め方は絶対にしません。すべてを一度に提供するのではなく、プロジェクトを数カ月単位のフェーズに分け、段階的にリリースを繰り返します。
先ほどのコーヒーチェーンでも、まずは最も課題の深かった「生産とフルフィルメント(出荷)」のワークフローを数カ月で立ち上げ、次に「データ基盤」、その次に「受注管理」というように、アジャイルに導入を進めました。これにより、企業は導入の超初期段階から、投資に対する確かな価値(リターン)を実感できるようになります。
Image : Doss HP
システムに「使われていた」時代に終止符を
―現在のビジネスの成長状況について教えてください。
プロダクトの正式リリースから約2年で、すでに顧客数は100社に達し、チームも60人規模に急拡大しています。実は2025年末、あえて意図的に成長スピードにブレーキをかけました。ミッションクリティカルな企業の基幹システムをお預かりする以上、引き合いがあるからとむやみに契約を増やして、サポート体制やチームを疲弊させるわけにはいかなかったからです。
しかし、2026年3月にシリーズBのラウンドで総額5,500万ドルの調達を完了したことで、体制が整い、現在は再びアクセルを踏み込んでいます。今回の調達資金は、自社チームの拡充だけでなく、次世代のシステムインテグレーター(SIer)の方々への教育や支援に大きく投資します。
私たちがすべてを直接導入するのではなく、パートナー企業自身がDossのプラットフォームを武器にして自らのビジネスを構築できる「生態系(エコシステム)」を作りたい。「魚を与えるのではなく、釣りの方法を教える」という思想で、これからの時代の実装を担うSIerにとって、Dossが最大の利益をもたらす選択肢になるようエコシステムを育てていきます。
―日本市場における展開やパートナーシップの方針はいかがでしょうか。
日本市場は、私たちにとって長期的に極めて重要で、非常に魅力的な市場です。Dossが対象とするのは、ソフトウエアの中だけで完結する会社ではなく、製造業、流通業、消費財ブランド、産業機器など、「物理的なモノ」を実際に動かしているリアルワールドの企業です。そして日本には、この領域で世界最高峰の技術とプライドを持った素晴らしい企業が数多く存在します。
日本での展開においては、製品をただ転売してもらうリセラーモデルではなく、日本の優秀なSIerの方々とがっちり組み、共同で顧客に価値を届ける実装モデルが最適だと考えています。すでにいくつかのパートナー候補企業との対話は始まっており、彼らを通じて日本の素晴らしいものづくり・流通企業にDossを届けていくことがこれからの鍵になります。
―最後に、5年、10年先に見据えるビジョンをお聞かせください。
ソフトウエアの歴史には明確な世代(アーキテクチャ)交代があります。第1世代がメインフレーム、第2世代がPC(クライアント・サーバー)、第3世代がクラウド。そして今、私たちが生きているのは第4世代の「AIエージェントアーキテクチャ」の幕開けの時代です。
これまでのシステムは、人間が手作業でデータを入力し、画面をクリックして操作するものでした。ある意味、人間がシステムに「使われていた」と言えます。しかし第4世代では、自立して思考する「AIエージェント」が、高度なナレッジワーカーとして裏側で実際の業務やオペレーションを24時間体制で運営・最適化していくことになります。人間はただダッシュボードを眺め、例外的な意思決定を下すだけでよくなります。
冒頭でお話しした通り、私は自動車業界にいた父の影響もあり、日本の「トヨタ生産方式(TPS)」の大ファンです。「現場のあらゆるムダを徹底的に排除し、リアルタイムに最適化し続けるシステムを、最先端のソフトウェアで実現できないか」──この私の生涯の問いに対して、第4世代のAIエージェントアーキテクチャなら完璧な答えを出せると確信しています。
過去30〜50年間、誰も疑わなかった「ビジネスソフトウエアの常識」を、私たちは圧倒的な野望を持って塗り替えていきます。