【後編】牧氏に聞く「失敗のマネジメント」 実験を活用する企業から学ぶ 「失敗」と「間違い」の区別
「正解のあるイノベーション」と「正解のないイノベーション」
――研究分野について教えていただけますか。
私は早稲田大学ビジネススクールの准教授をしておりますが、毎年夏は米カリフォルニア大学サンディエゴ校でも授業を持っています。日米両方でイノベーションやアントレプレナーシップをビジネススクールで教えている、数少ない日本の教員の1人だと思っております。カリフォルニア大学サンディエゴ校で博士号を取り、スタンフォード大学でもシリコンバレーのエコシステムやスタートアップの研究などもしておりました。
私の研究分野は、科学の経済学やイノベーションの経済学と言われるもので、「サイエンス」「サイエンティスト」を研究対象として、何が成功要因なのかを探っていく分野です。
カリフォルニア大学サンディエゴ校Rady School of Management客員助教授
慶應義塾大学助教・助手、カリフォルニア大学サンディエゴ校講師、スタンフォード大学リサーチアソシエイト、政策研究大学院大学助教授などを経て、2017年より現職。カリフォルニア大学サンディエゴ校ビジネススクール客員准教授を兼務するほか、日米の大学において理工・医学分野での人材育成、大学を中心としたエコシステムの創生に携わる。専門は、技術経営、アントレプレナーシップ、イノベーション、科学技術政策など。
近著に「イノベーターのためのサイエンスとテクノロジーの経営学」(単著、東洋経済新報社)、「科学的思考トレーニング」(単著、PHPビジネス新書)、「『失敗のマネジメント』がイノベーションを生む」(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2020年3月号掲載)、『東アジアのイノベーション』(共著、作品社)、『グローバル化、デジタル化で教育、社会は変わる』(共著、東信堂)などがある。
――研究テーマである「失敗のマネジメント」について教えていただけますか。
はい、最初に「『失敗のマネジメント』がイノベーションを生む」というお話をします。私の研究分野の1つが「スターサイエンティスト研究」というものです。スターサイエンティストというのは、研究者の中でも特にパフォーマンスの高い、世界的にレベルの高い業績を出す研究者のことを言います。
そのうちの1人で、山形県鶴岡市にある慶応大学の研究所所長の冨田勝さんという方がいます。彼にフォーカスしながらケース教材を作るなど、彼がイノベーションをどのように生み出すかといったことをここ数年追いかけてきました。
そこから分かってきたのは、イノベーションを生み出すには2つの手法があるということです。これを仮に「正解のあるイノベーション」と「正解のないイノベーション」と考えた時に、この2つがどのように違うか。これを理解いただくことが大事なポイントの1つになります。
手法の1つが「予測アプローチ」と言い、プロジェクトを開始してからいろいろ分析をして、その分析の結果、目標を決定し、意思決定後は成功を繰り返して目標を達成していくものです。
もう1つの手法は「行動による創造アプローチ」です。英語では「Creation in Action」と言いますが、これはスタートしたら、まず仮説を立ててみる。仮説を立てたら試してみる。試行と失敗を繰り返していくうちに成功に当たる、というアプローチのことを言います。これは行動しながら仮説検証をしていくプロセスなので、あとで説明しますが「科学的思考法」という能力がとても重要になります。
2つの手法は大きく違う点があります。「予測アプローチ」は成功を前提に組み立てており、「失敗」が起きると、そこで終わりになります。一方、「行動による創造アプローチ」は、失敗は立てた仮説が棄却されただけなので、失敗の1つ1つのプロセスに学習がある、ということなのです。
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「失敗」と「間違い」は違う 「失敗」を繰り返さないと学べない
――「予測アプローチ」と「行動による創造アプローチ」の違いについて、詳しく教えてください。
「予測アプローチ」は分析をたくさんすることで、不確実性を下げるプロセスのことを言います。このアプローチはどちらかというと官僚主義的組織に向いており、日本企業ではこのアプローチを取っているケースがほとんどだと思います。
「行動による創造アプローチ」は、小さく行動して失敗を繰り返していくことによって不確実性を下げるためのプロセスです。イノベーションを生み出すような企業はかなりの確率でこちらの手法を取っています。
優れたサイエンティストはまさに「行動による創造アプローチ」で研究をしています。ですから、他の人とは違うイノベーションをたくさん生み出せる、ということです。
「行動による創造アプローチ」を生み出すためには、「失敗を繰り返さないといけない」ということです。失敗というのは、仮説を棄却しただけであり、学びのプロセスを失敗と呼んでいるのです。
「科学的思考法」についてですが、サイエンティストを見ていると、失敗を繰り返すことで成功を導くプロセスのことを「サイエンス」と呼んでいます。最初から成功しているサイエンスなんて存在しないわけです。
サイエンスで行うのが、仮説を検証するための「実験」と呼ばれるものです。これはバイアスを取り除く手法で、仮説を立てて因果関係の推論を行っていくことを「科学的思考法」と言います。そして、「因果関係」と「相関関係」を明確に区別して学習することです。仮説を立て、実験をデザインして実施して、分析をして、評価をして、また仮説を見直す。この繰り返しが「科学的思考法」です。
「失敗」と「間違い」は違います。これを理解いただくことが重要なポイントです。「失敗」というのは、仮説を立ててプロトタイプを検証した結果、仮説が棄却されることを言います。「間違い」というのは、仮説なしに実行し、つくり上げられたものが受け入れられなかったことを呼びます。失敗は学習プロセスですが、間違いは何も学びがありません。
失敗を繰り返すことで、イノベーションを生み出す確率は上がりますが、間違いをいくら繰り返してもイノベーションが生まれることはありません。そして科学的思考法の能力がないと、「失敗」と「間違い」を区別することができません。イノベーションを考える上で、失敗と科学的思考法は重要だということです。
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「相関関係」と「因果関係」の違いを厳密に説明できるか
――では、「科学的思考法」を身につけるにはどうすればいいのでしょうか。
「相関関係」と「因果関係」という言葉があります。この2つの違いをどれだけ厳密に説明できるか。この能力のことを「科学的思考法」と呼んでもいいと思います。もしくは、「バイアス」という言葉をきちんと使えるようになるかどうか。ある事象から因果関係を見抜く力が科学的思考法の本質です。
まず因果関係というのは、必ず原因があって結果があります。必ず片方が原因で、もう片方が結果でないといけない。これを因果関係と言います。
相関関係というのは、例えばAという変数が増えると、Bという変数も増えるといったことを言います。でも、Aが原因でBが結果かは分からない。どちらが原因かは分からないけど、両方とも一緒に変化するものが相関関係です。
事例を紹介します。ある研究者が、ファミリーレストランでいろいろなお客さんを観察していました。その結果、どうもわりと太ったお客さんはダイエット・コーラを飲んでいる傾向にあると考え、この研究者は「ダイエット・コーラは人を太らせる原因なんだ」と結論付けたとします。
何かおかしいですよね。太っているからダイエット・コーラを飲んでいるのかもしれない。ですが、相関関係だけを見るとこういう間違いをしてしまいます。
この事例はあまりにも的はずれなので、みなさんだいたい笑います。でも、世の中のビジネスにおいて言われている言説のほとんどは、この事例と同じレベルなのにも関わらず、そのまま信じている方が多い。それを理解いただくことが重要です。
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――他にも事例はありますか。
科学的思考法が得意な人は、真の因果関係の仮説を思い付くようになります。例えば、二つの変数の相関関係の図を見ただけで、これがエビデンスとして「弱い」理由を思いつけるかどうか。この能力があるかどうかで「失敗」と「間違い」を区別することが可能になります。
別の事例を紹介しましょう。例えば、あなたが医師の診察を受けに行ったとします。いきなり医師から「今からあなたに盲腸の手術をします」と言われたとします。「なぜですか?」と聞くと、「前の患者さんに盲腸の手術をしたらうまくいったから」と言われたら、その医師の診療を受けたいと思いますか。こういったことが経営の世界ではよく起きています。
つまり、他の会社でうまくいった事例があると、「うちの会社でも導入してみよう」とよく言います。なんとなく自社で導入したらうまくいきそうな気になるのですが、実際に導入をして失敗する、ということが非常に多いわけです。
その背景には、「前の患者で盲腸の手術をしてうまくいったから、あなたでもうまくいくでしょう」という事例と同じレベルでしか語っていないから、このような問題が起きるわけです。したがって経営も医療と同じように、「エビデンスベース」で語ることがとても重要になっているわけです。
「エビデンスベース」での思考スキルを持っていない日本のビジネス関係者
――エビデンスベースで語ること、考えること、行動することはなぜ重要なのでしょうか。
「エビデンスベースマネジメント」という言葉が少しずつ広がりつつあります。例えば、こんな広告があるとします。「このプラットフォーム上で広告を出すことで、広告を出していない企業に比べて、クリック数が2倍になります」「この広告を活用すれば、売り上げが3倍になります」「シリアルをよく食べる人は、心臓病になるリスクが下がります」。一見すると、どれももっともらしいステイトメントに見えますよね。
ですが、これは全て「ダイエット・コーラは人を太らせる」と同じレベルのエビデンスしか語っていません。これをそのまま信じる人は、科学的思考力があまり高くないということでもあります。
ビジネスの意思決定は、このようなステイトメントの中からどれが正しく、どれが間違っているかを判断するスキルが必要ですし、ビジネス・プロフェッショナルの必須条件であろうと思います。
ただし、特に日本では思った以上にこのスキルを身につけていない方が多いと感じています。というのは、米国で授業を持って感じるのは、米国の学部生はこのあたりの訓練をかなり受けているからです。
因果関係と相関関係をチェックするには、「見せかけの相関」「第三の変数バイアス」「逆の因果関係」という3つの方法があります。興味のある方は、私の本をぜひご覧いただければと思います。
効果を正しく測る「科学的実験」の手法とは
――エビデンスベースで、例えば広告の効果を測る際にはどんな手法が必要でしょうか。
どうやったら広告の効果をサイエンティフィック(科学的)に測れるのか。ということです。例えば、ある街のレストランが、お客さんを増やしたいと思ってチラシを配布しました。すると、売り上げが月10万円増加しました。さて、広告の効果は月10万円と結論付けることができるでしょうか?
結論から言うと、これは結論付けることはできません。なぜなら、このレストランが6月から8月にチラシを配布したとして、お客さんが増えたのが広告の効果なのか、夏休みになってより多くの人が集まるようになったのか、どちらの効果なのか分からないからです。
こういう場合に行うのが科学的実験ですが、広告の効果を検証しようとすると、同じレストランで「広告を出した場合(グループA)」と「広告を出さなかった場合(グループB)」という状態を作り上げなければいけません。まったく同じ条件下で広告を出した時の売り上げが120万円で、広告のない時の売り上げが100万円だとしたら、この差の20万円が広告の効果だと言えるわけです。
ちなみに、この「広告を出さなかった場合(グループB)」のことを専門用語では「反事実」と言います。1軒のレストランで広告を出した場合、出さなかった場合というのは現実的には絶対に作れないので「反事実」という表現をします。その時に行うのが「科学的実験」という手法です。
例えば、ある街のレストランを100軒選んで、グループAに50軒、グループBに50軒を割り振ります。ここでランダムに割り振るということが重要です。グループAのトリートメント群の50軒には広告を出し、グループBのコントロール群50軒には広告を出さない。
その後の売り上げの平均を比較すると、それが広告の効果だと言えるわけです。こういったことを科学的実験と呼びます。この時に、トリートメント群とコントロール群をランダムに分けることがとても重要です。レストランのオーナーに立候補してもらって50軒を集めてはいけません。なぜかと言うと、立候補するようなレストランのオーナーはそもそもやる気が高い可能性がある。そうすると、広告の効果なのか、やる気の効果なのか、区別がつかなくなってしまいます。
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少し専門的になりますが、ランダムにグループAとグループBに分けると、広告を出した以外の第3の変数は平均を取るとすべてほぼ同じ数字に落ち着くということが統計的に言われています。こういう方法を「ランダム化実験」と言います。
もともとは医学や農業からスタートしている手法ですが、医学系等の分野だけでなく、今や世界中の企業が当たり前のように評価測定を使っています。オンラインやネットではA/Bテストがその典型ですね。これをやるからこそ「失敗」と「間違い」の区別がつくようになっていくという手法です。
科学的思考法では、仮説を検証していかないといけないという話をしましたが、ランダム化実験は比較的科学的なエビデンスが高い一方、コストも高い手法です。それ以外の手法として、例えば事例の観察でも因果関係かどうかはある程度は分かります。1事例で見るより2事例で比較した方が分析の方法としてより厳密になりますし、定量分析である程度n数(サンプル数)を増やすことがいいとも言えるわけです。こういう手法が科学的思考法です。
※後編は10月26日公開予定。