日本でスタートアップエコシステム形成の動きが着々と進む中、目標とすべきはやはり世界のイノベーションの発信地、シリコンバレーなのか。経済産業省でイノベーション・スタートアップ推進の担当室長を務める富原早夏氏は、「日本には大企業・中堅企業・中小企業という独自の産業のベースがある」とし、この底力こそが日本ならではのイノベーション創出のカタチをつくると語る。エコシステム形成を加速するには「今が大事なタイミング」と指摘する富原氏と、カーネギー国際平和財団シニアフェローの櫛田健児氏の対談を紹介する。

※本記事は2024年11月にTECHBLITZが主催した「NEW JAPAN SUMMIT 2024 TOKYO」の対談「日本のスタートアップエコシステムをNext Stageへ オープンイノベーション加速に向けて」の内容を基に構成しました。

目次
日本のスタートアップは「今が大事なタイミング」
ロールモデルは日本の一歩先行くフランス?
大企業×スタートアップ連携は「待ったなし」
欧米には欧米の、日本には日本の産業ベース
税制改革のタイミングでM&Aを促進する枠組みを

日本のスタートアップは「今が大事なタイミング」

櫛田:スタートアップエコシステムの好循環スパイラルが生まれ、大きく成長していくにはそれなりの時間がかかります。例えば、シリコンバレーでは好循環スパイラルが始まってから一気に伸びるまでに30年ほどかかっています。個人的に、日本のスタートアップエコシステムはできあがりつつある段階だと感じていますが、いかがでしょう?

富原:まさに私も、日本のスタートアップエコシステムは形成されつつあり、今が大事なタイミングだと感じています。日米における直近10年間の株式市場の推移(図1)を見ると、日米の経済成長の差は広がる一方のようですが、アメリカの数値からGAFAMを除外すると、実は成長率はほぼ同じです。ただし、日本では楽天やエムスリーを最後に、2000年代以降「1兆円企業」をほとんど輩出できていません。一方でアメリカ、特にGAFAMの場合は、YouTubeやInstagramなど後進企業を次々に買収しながら、「お金や時間をどう使うか」「どうコミュニケーションするか」など人々の行動や経済のあり方自体を変えるような「経済圏」までをも生み出しました。

 私自身は、スタートアップには経済面だけでなく、社会課題解決の担い手となる存在としても期待しています。実際に、海外では新型コロナウイルスのワクチンをいち早く開発・実用化したドイツのビオンテック(BioNTech)やアメリカのモデルナ(Moderna)などが記憶に新しく、日本でも能登半島地震の被災地で水循環システムを活用したシャワーや手洗い設備を提供したWOTAやドローン、ロボットスーツのスタートアップのように、スピーディな社会課題解決の主役がスタートアップになりつつある動きが進んでいます。

図1:登壇者のスライド資料から一部抜粋

富原 早夏
経済産業省
イノベーション・環境局 イノベーション創出新事業推進課 スタートアップ推進室長
2006年経済産業省入省。外国人材政策、産業再生、自然エネルギー、アジアとの経済協力・経済連携交渉、ヘルスケア等の政策を担当した後、2023年7月よりスタートアップ政策を担当する新規事業創造推進室長。東京大学大学院薬学系研究科(MPharm)、米国ノースウェスタン大学ケロッグ校卒(MBA)。

櫛田 健児
シニアフェロー
1978年生まれ、日本育ち。スタンフォード大学卒、経済学、東アジア研究専攻。カリフォルニア大学バークレー博士号修了。スタンフォード大学アジア太平洋研究所でポスドク修了後、2011年から2022年までスタンフォード大学アジア太平洋研究所日本プログラムリサーチスカラーを務めた。カーネギー国際平和財団シニアフェローで日本プログラムディレクター。シリコンバレーと日本を結ぶJapan – Silicon Valley Innovation Initiative @ Carnegieプロジェクトリーダー。キヤノングローバル戦略研究所インターナショナルリサーチフェロー。東京財団政策研究所上席研究員(客員)。スタンフォード大学非常勤講師(2022年春学期、2023年冬学期)。

ロールモデルは日本の一歩先行くフランス?

富原:日本でもこれまでベンチャーブームは過去にも何度かありましたが、ITブームと重なった1990年代前半から2000年代半ばまでの第3次ブーム時に、ネットバブルの崩壊や大学発ベンチャーの失速などが起こったことは、日本経済にとって大きな痛手でしたね。そこから日本はコストカット型経済となり、付加価値を生み出すような新規事業への積極投資がしにくい環境になってしまいました。ちなみに、アメリカではこの時期にGAFAMが大きく伸びました。

 今後、日本経済が成長していくためにはスタートアップ個社を生み出すことに加えて、他の主体と連携しながら、経済構造を変えることが必要でしょう。日本では大企業、中堅企業、中小企業が各地域で強固な産業ピラミッドを作っています。そもそも日本経済の底力は強いので、それぞれとスタートアップがうまく連携することで、状況は好転すると思います。

 ちなみに、私共が「日本の一歩先を行く存在」として注目しているのはフランスです。2021~22年あたりから大規模なスタートアップの数が一気に増え、国内や欧州からの投資に加えてアジアやアメリカからの投資も大きく増え、エコシステムとして自律的に回り始めている印象です。

日本経済の「底力」とスタートアップの連携で状況は好転すると語る富原氏(TECHBLITZ編集部撮影)

大企業×スタートアップ連携は「待ったなし」

富原:経済産業省ではこれまでも創業支援などの中小企業向けの支援策・アントレ支援策に加えて、ストックオプションや種類株式(普通株式とは権利の内容が異なる株式)の発行許可などの会社組織の成熟化、リスクマネーの供給、イノベーションの推進などの中で、少しずつスタートアップ支援の基盤を固めてきました。政策が全体的に底上げされたのは、2022年の「スタートアップ育成5か年計画」策定ですね。

 これまでの10年間でスタートアップへの投資額はかつての10倍ほどに増えましたが、同計画では「2027年までに投資額をさらに10倍に」としています。さらに、「人材やネットワークの構築」「資金供給の強化」「オープンイノベーションの促進」などの目標を掲げ、多種多様な政策を実行しています。

スタートアップ創出に対する政府の支援策を紹介する富原氏㊧(同上)

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 なお、スタートアップ数は2年前から約1.5倍ほど増え、現在は2万6,000社ほどに。経済効果は10兆円ほど――北海道や福岡県と同じぐらいの規模感――と試算されています(図2)。

 大企業からスタートアップへの転職者数も大きく増えました。若者だけでなく、40歳以上の人数も2015年時の約7倍まで伸びています。背景にはある要因の一つは、やはり待遇でしょう。有望スタートアップの平均年収は上場企業の平均を14.5%も上回っていますし、転職時の提示年収水準も以前より高額となっています(図3)。さらにストックオプションなどの株式報酬についてもだいぶ環境は整ってきました。

 経産省ではスタートアップ推進室だけではなく、イノベーション創出支援事業推進課という新しい課を設け、大企業とスタートアップが連携しながら国全体のイノベーションエコシステムを大きくしていけるよう支援していきたいと考えています。

図2:登壇者のスライド資料から一部抜粋

図3:同上

欧米には欧米の、日本には日本の産業ベース

櫛田:シリコンバレーとワシントンとの距離は非常に離れていますが、経産省と日本の大企業各社の本社は距離的にも近く、意見交換や連携もしやすいですよね。これは、日本の大きな強みだと感じます。ところで、シリコンバレーではスタートアップが既存の大企業をディスラプトとしてアメリカ経済を作り変えたという経緯がありますが、日本のスタートアップにはそういった役割や動きがないように感じます。

富原:米国UCバークレーの先生方とディスカッションでおっしゃっていたのは、「アメリカ西海岸は起業家優位の文化であり、欧州は金融の文化であり、日本は大企業・中堅企業・中小企業という独自の産業のベースがある」と。「だからこそ、スタートアップの生み出し方・活かし方も欧米とは違うはず。日本流を考えた方がいい」というアドバイスをいただきました。個人的には、大企業のイノベーション創出にスタートアップを活用するということをもっと実現したいと考えています。

 もちろん、課題もあります。スタートアップの中には、技術起点ベースの研究・事業開発がメインで、大企業の戦略的課題に対するアプローチが理解が十分でないケースも見受けられます。一方で大企業側も、既存事業に比べて新規事業の優先度が低いために十分な経営資源を投入できなかったり、担当者の異動によってネットワークが失われてしまったりということもあります。

 ただ、ここ数年でスタートアップはそのあり方を含めてどんどん進化していますし、大企業側も経営課題が複雑化・多様化しており、他社との連携が不可欠になっている段階だといえるでしょう。

(TECHBLITZ編集部撮影)

税制改革のタイミングでM&Aを促進する枠組みを

櫛田:政府の役割についてお聞かせください。「この政策で絶対にうまくいく」というものはなく、ムダに終わってしまう政策や投資もあるでしょう。そういった中で、防災領域は政府が関わる意義・責任共に大きく、投資が不可欠な分野ですよね。

富原:ユーザーやサービスの受け手のニーズが大きい分野ほど支援する意味は大きく、なかでも「防災」は重要なキーワードでしょう。ただ、緊急時需要と平時需要のバランスが難しいことも確かです。私はコロナウイルスのパンデミック時に医療機器の担当をしていましたが、人工呼吸器の不足時などはどの程度増産するべきかという判断がすごく難しかったですね。ワクチンについても同じで、平時と有事の際のデュアルユースをどう促進するべきかが難しかった。まさに防災領域もそういった考え方が必要であり、政策にどう反映できるかを検討している最中です。

櫛田:もはや世界では緊急事態件数が減る見込みはありませんし、平時の水不足も深刻化しています。だからこそ、有効な技術をもつスタートアップの見本市のようなものを開いて、世界にアピールしていくことも大事ではないでしょうか。

富原:本当にそうだと思います。防災だけでなく、例えば高齢化社会の中でのWell-beingについても、日本には高い関心が寄せられています。実際に、こういった社会課題型スタートアップの中には、すでに海外にも目線を向けている企業が多い印象ですね。

櫛田:日本国内のスタートアップエコシステムの課題には、「IPOの規模が小さすぎる」「M&Aが少なすぎる」というものがあります。これらの解決に政府ができることはあると思いますか?

富原:スタートアップが大企業を含むエコシステムの中の1プレーヤーになっていくことが重要ですが、そこまでの道のりは産業によって違うと感じています。海外を見ても、ITやFintech、創薬や医療機器など、イノベーションの主体としてのシーズが大企業の中だけではく、スタートアップやアカデミアから多く出てきている領域では、わりとM&Aは多いですね。例えば創薬領域は薬事承認を取って薬価をつけて…という社会実装までの工程がわりと明確ですし、スタートアップをM&Aするメリットも分かりやすい。一方で、グリーントランスフォーメーション(GX)やWeb3などまだ新しい領域で、イノベーションを実現するまでの道筋や、その技術でどういった社会・事業課題を解決できるかが今ひとつ不明瞭な分野においては、まさにこれからなのかなという印象を持っています。

 その道筋を考えるために、政府としても政策を練っているところであり、その一つが「SBIR制度(中小企業技術革新制度)」です。これは政府が提示した社会課題などに対し、解決可能な技術を持つスタートアップを募集し、補助金や委託費の支給や社会実装のサポートを行う制度です。現在今年度の補正予算の中で新たに設けたいと考えているのは、同制度の大企業版です。他にもオープンイノベーション促進税制や研究開発税制などの税制も含めて、こうした取り組みにより、大企業とスタートアップの協業を促し、M&Aも含めて、オープンイノベーションの流れをより加速できたらと考えています。

櫛田:それはグッドニュースですね。さまざまな社会課題を解決し得るスタートアップの技術を募集し、大企業と組んで一気に解決へ導く。その成功事例を海外にも広げていく。そんな未来ビジョンが期待できます。そうした技術的な大転換期の原動力は何だと思われますか?

富原:各地域の産業や大学の強みを活かした展開が見られます。例えば九州には半導体ベンチャーが生まれており、熊本に拠点を置くTSMC(台湾積体電路製造)と協業しながら新たなビジネスをつくるなど、大きな企業がスタートアップを巻き込む産業クラスターのような動きも生まれてきています。我々はスタートアップを単独で応援するだけでなく、大企業、中堅企業、中小企業と一緒になってエコシステムを作っていくという、新たな日本経済の形を実現できたらと思っています。

櫛田:最後に、スタートアップに関する政策のお願いなどはどのようにすればいいですか?

富原:業界団体を通じてお話しいただいてもいいですし、当省には、スタートアップ政策を進めるための「スタートアップチーム」という省内や関係機関によるチームもあります。その中には、例えば自動車・宇宙・素材といったように、産業ごとにも課を設けていますので、そちらにお話をいただいても大丈夫です。各地方には地方経済産業局もありますし、JETRO(日本貿易振興機構)、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)、JBIC(国際協力銀行)などの方とも連携しています。一体となって取り組んでいますので、ぜひ一緒により良いエコシステムをつくっていけたらと思っています。



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