舞台はインドネシア。世界有数の人口を抱えるこの国は、公共交通機関が未発達という深刻な課題を抱えており、2010年代に台頭したGrabなどの配車アプリが事実上、公共交通機能を果たしている。
しかし今、需要の急拡大に追いつかず、その配車アプリも「ドライバー不足」という壁にぶつかった。この一朝一夕には解決できない難題に、海を飛び越えて挑戦しているのが、日本発スタートアップのmovus technologies(ムーブス・テクノロジーズ)だ。
この問題の難しいところは、ドライバーになりたい人はたくさんいるのに、車を買うための銀行の与信審査が通らないこと。インドネシアでは個人事業主であるドライバーが社会的信用を蓄積する仕組みが整っておらず、現地金融機関のローン審査通過率は、なんと0.1%以下だという。
そこでムーブスは、独自の評価モデルに基づいたエコカーのサブスクリプションサービスを提供。これまで車を持てなかった層の新しい選択肢として現地での引き合いは強く、今年5月にはGrabとの提携、シリーズBでの42.6億円の資金調達を発表するなど勢いに乗っている。
金融を糸口に、モビリティインフラの構築強化を図るユニークな戦略を取る同社CEOの酒井 丈虎氏に、創業の経緯や事業の展望について話を聞いた。
目次
・新卒で飛び込んだ東南アジア
・直面した「車が買えない」現実
・自社でリスクを負う「サブスクモデル」
・徹底したリアルオペレーションの強み
・創業初月に叩き込まれた「性悪説」
・「彼らの弾ける笑顔が誇りに」
新卒で飛び込んだ東南アジア
―ムーブス・テクノロジーズを創業するに至った原体験や背景について教えてください。
私の起業精神のルーツ、そして共同創業者との出会いは大学時代にあります。私自身が奨学金や教育ローンをフル活用して大学に進学し、人生を大きく前進させることができたという経験から、「金融には人の可能性を広げる大きな力がある」と強く実感していました。
新卒で入社した会社では、東南アジア現地でドライバー向けのファイナンス事業に携わりました。そこで直面したのが、通常の金融機関からは与信が降りず、「ドライバーになりたくても、車を持てないがゆえになれない」という多くの人々の現実でした。
直面した「車が買えない」現実
ある時、現地で9年以上も実直にドライバーとして働き、子供を大学まで行かせるほどの信用を積み重ねてきた方とお会いしました。それほどの「実績」がありながら、銀行のような従来の金融インフラ、あるいは既存の仕組みからはこぼれ落ちてしまい、正規の自動車ローンやリース契約が組めないという状況だったのです。
インドネシアのブルーワーカー層の平均月収は約3万円です。しかし、ドライバーになれば月10万、時には20万円など、つまり平均の3倍から6倍以上の収入を得て生活の質を劇的に変えることができます。この「機会の不平等」を自分たちの力で解決したいと考え、起業を決意しました。
Image : movus technologies
自社でリスクを負う「サブスクモデル」
―御社が提供している具体的なサービス内容を教えてください。
簡単に言うと、私たちが提供しているのは低与信層向けの「Rent-to-Own(レント・トゥ・オウン:所有権移行型)」のエコカーサブスクリプションサービスです。月額5万円強の料金でエコカーを貸与する仕組みで、初期費用は無料です。ビジネスを始める前にまとまったお金を用意したり、無理に借入を起こしたりする必要はありません。
さらに、定期メンテナンス代や車両保険、自動車税などの諸経費が月額料金に含まれているので、突発的な出費に怯えることなく、安心して安全に働けるパッケージとなっています。
そして最大のポイントは、一定の契約期間(例:3-5年間)にわたって実直に支払いを継続していただくと、最終的にその車の「所有権」が完全に顧客のものになるという点です。
万が一、家庭の事情などでドライバーを続けられなくなった場合には、原則としていつでも解約ができる点も、顧客のリスクを最小限に抑える大きな特徴です。
―他社とのアプローチの違いはどこにあるのでしょうか。
競合他社のビジネスモデルとの最大の違いは、「誰が与信リスクを負うか」にあります。多くの既存プレーヤーは、遠隔でエンジンを制御するシステムのようなIoTデバイス、あるいは独自のスコアリング技術などの「技術」を金融機関に提供し、与信リスクそのものは金融機関に負わせる座組(BtoB)がメインです。
しかし、これでは金融機関側が低与信層のリスクを嫌ってしまい、結局はサービスの裾野が広がりません。私たちはスタートアップとしてこの隙間を直接埋めるべく、自社で与信リスクを完全に担保し、お客様に直接車両と仕組みを提供する(BtoC)という挑戦を行っています。
Image : movus technologies
徹底したリアルオペレーションの強み
―自社で与信リスクを負うと、車両の損失(持ち逃げなど)といった重大なリスク管理がボトルネックになりませんか?
まさにそこが、私たちが最も磨き込んでいるコアコンピタンスです。
過去にこの領域に挑んだスタートアップの中には、現地でのリアルなオペレーションが甘く、車両を大量に損失して破綻したケースもありました。しかし、その原因を徹底的に突き詰めると、日本人ならビジネスにおいて「当たり前」に徹底するような基礎的な管理体制やマニュアルが、現場で機能していなかったことにありました。
例えば、支払いが滞った際の「遠隔制御による車両停止」のアクションや、そこからの「車両回収マニュアル」の徹底です。さらに当社は、リアルな顧客フォローアップを通じた債権回収活動といった、デジタルだけで完結しないオペレーションも厭わず泥臭く行っています。現地において車両は極めて高価な資産ですから、不正や損失が続けば致命傷になりかねません。
今のスタートアップ界隈は、AIやピュアソフトウエアにトレンドが傾きがちですが、東南アジアのような新興国市場では、デジタルだけで解決しない問題が今も山積みです。オフラインのリアルな領域にどれだけ深く入り込み、そこをいかにテクノロジーでレバレッジさせるかが勝負を分けるのだと、起業して身を以て気付かされました。
この、現場のオペレーションを徹底的に磨き込むカルチャーは、トヨタさんやファーストリテイリングさんのように「オペレーションの磨き込みを基軸にスケールさせる」強みを持つ日本人のバックグラウンドと非常に相性が良いと感じています。現在、約100人の組織のうち90人が現地のメンバーですが、このマインドセットを初期から丁寧に伝え、一人ひとりに浸透させることを徹底しています。
Image : movus technologies 「movus流」の現場オペレーションを支えるメンバーたち(同上)
創業初月に叩き込まれた「性悪説」
―これまでの道のりの中で、現在の管理体制を作るきっかけとなった大きな転換点はありましたか?
実はサービス開始初月、今でも忘れられない非常に強烈な経験をしました。
創業初期のお客様ということもあり、信頼している現地社員の紹介(婚約者)という枠で、少し審査を緩めて車を提供してしまったんです。
すると数カ月後、突然連絡が途絶えてしまいました。不穏な空気を察知し、位置情報を頼りに共同創業者の北口が2人でバイクに飛び乗り、渋滞をすり抜けながら本人を追跡しました。最終的に、あるレストランで平然とご飯を食べていたところを見つけ、その場で身柄を取り押さえて車両を回収したのですが(笑)、その裏には複雑な人間関係や虚偽の申請が隠されていました。
この時、「ファイナンスというお金が絡む領域を扱う以上、綺麗事や性善説だけでは絶対に通用しない」と深く痛感しました。性悪説*、つまり「人は間違うものだという前提に立ち、ルールと仕組みで徹底的に防ぐ」という事業運営へ舵を切る決定的な転換点になったのです。
この初月の強烈なトラブルがあったからこそ、私は『韓非子』やマキャベリの『君主論』などの古典を読み直して統治と仕組みの原理原則に立ち返り、競合他社が容易に真似できない、現在の強固な不正防止・管理システムを構築することができました。
*ルールや仕組みで防ぐという考え方
「彼らの弾ける笑顔が誇りに」
―現場でビジネスを展開する中で、特に印象に残っている顧客とのエピソードはありますか。
最初期のお客様にお車をお届けした時の光景は、今でも鮮明に覚えています。私と共同創業者も一緒に現地の立ち会いに向かったのですが、車両が到着した瞬間、お客様のご家族だけでなく、近隣の住民の方々まで十数人もどこからともなく集まってきたんです。そして、みんなでお祭り騒ぎのように大喜びしながら、誇らしげに鍵を持ったお客様を中心に写真を撮りました。
日本であれば、ディーラーで静かに鍵を受け取るだけの行為かもしれません。しかし、現地の方々にとって新車を手に入れること、そしてそれによって「安定して今までの数倍稼げる就業機会」を得るということは、人生におけるとてつもない転換点であり、最大のステータスなのです。彼らの心の底から弾けるような笑顔を見た時、「このリスクを背負ってでも、このサービスを立ち上げて本当に良かった」と、自分たちの仕事に心から誇りを持つことができました。
その最初期のお客様は、数年経った今でも契約を継続してくださっています。そして毎年、その契約記念日になると、私個人宛てに当時の納車の写真を添えてメッセージをくれるんです。
「あの日のこの車のおかげで、私は今も誇りを持って仕事ができている。本当にありがとう」と。
インドネシアの人々の人懐っこさ、受けた恩を忘れない社交的な温かさに触れるたび、この国の人々のために、もっと泥臭く、もっと仕事を頑張ろうという強い原動力をいただいています。
Image : movus technologies 車両提供時に顧客が撮影した記念写真(同上)
―最後に、ムーブス・テクノロジーズが目指す今後の展望やビジョンについてお聞かせください。
私たちが目指しているのは、単なるモビリティ企業や一過性の金融インフラに留まることではありません。世の中にある「構造的な要因による機会の不平等」を、仕組みを変えることで根本から解消していくことです。
ある調査で、「今年より来年が良くなると思うか」という問いに対して、世界で最も「イエス」と答えた割合が高かったのはインドネシアだったそうです。それほどポジティブでエネルギーに満ち溢れている国である一方、社会インフラの未整備や労働生産性の課題ゆえに、真面目に働いても所得が上がりにくい構造がまだ厳然として残っています。
(取材後、同社は東南アジア最大の配車プラットフォーム、Grabとの正式なパートナーシップ契約締結、およびシリーズBラウンドでの総額42.6億円の資金調達完了を発表。心強い推進力を手に入れた同社の未来を見据え、酒井氏は力強く語ってくれた)
当社は今年5月、Grabとのパートナーシップ契約の締結、そして大型の資金調達という大きなマイルストーンをクリアし、ここからさらに事業を加速させていく基盤を整えました。
今後も社会の潮流と歩調を合わせながら、機会の分配と仕組みの適正化を行い、新興国の人々が生活に不安を感じることなく、より豊かな笑顔で自身の人生を前進させていける社会を実直に実現していきたいと思っています。
Image : movus technologies ジャカルタのビジネス街。インドネシアの人口は過去数十年右肩上がりに増えており、2026年現在は約2億8,780万人に達している(同上)