ロボット工学の研究者であり、経営者でもある松岡陽子氏。輝かしい研究経歴と、大企業からスタートアップまで豊富な経験を持つ彼女が、パナソニックへと転身した。グーグルやスタートアップでの経験、ロボット、AI、ソフトウェアの知見を活かし、日本の大企業をどうやって変革していくのか。また人々の暮らしをどう変えるのか。松岡氏のこれまでとこれから、さらに未来へのビジョンを聞いた。
(モデレーター:Stanford University APARC 櫛田健児氏)
※本記事は「Silicon Valley - New Japan Summit」のトークセッションの内容をもとに構成しました。

一緒にテニスができるロボットを作りたくて研究者に

櫛田:松岡さんはグーグルからパナソニックへの移籍で話題となっていますね。しかし松岡さんのこれまでのキャリアを知っている人は、日本人では少ないんじゃないでしょうか。まず、これまでのキャリアストーリーを教えてもらえますか。

松岡:私は中学生までは日本にいましたが、プロテニスプレーヤーになるためにアメリカに移住しました。しかしケガが多くてプロの選手になれず、次に何をしようかと考えて、その時に「ロボット」が面白いと思ったのです。

 UCバークレーに入って、教授に「一緒にテニスができるロボットを作りたいんです」と言うと、教授は笑わないで「僕のところで研究していいよ」と答えてくれました。ロボット作りは面白くて、そのままMITへ行き、修士号と博士号を取りました。そこで人間のように動けて学べるヒューマノイドロボットを、メカニカルからエレクトロニクス、コンピューターまですべて作りましたね。

 しかしロボットは作ったのですが、AIがまだ今のように進んでいなかったので、あまりうまく動きませんでした。改良するためにはAIではなくリアルな知能を勉強すればいいと思い、神経科学を学ぶことにしました。脳が人間の身体を動かす方法をモデリングし、ロボットに組み込んでテニスをさせてみましたが、まだまだまだまだ全然足りなくて。今でもまだテニスロボはできていません。

 それで今まで研究してきたものを別の世界で活用させようと思い、ロボットが障がい者の生活の助けにならないかと考えました。自分だけのテニスロボットではなく、人の助けになるロボットを作りたいと思うようになり、人生がちょっと変わりました。それでハーバード大学へ行き考えを再構築して、カーネギーメロン大学で准教授になりました。研究はとても楽しくて、その間に結婚し子供が生まれて、ワシントン大学に移りました。

松岡 陽子(まつおか ようこ)
パナソニック フェロー
パナソニックβ CEO
パナソニックの役員待遇である「フェロー」、およびパナソニックβのCEO。Google NestのCTO、Googleの研究部門であるGoogleXの設立に共同創設者として関わる。その他にもAppleの幹部、ヘルス分野のスタートアップQuanttusのCEOを務めた経歴も持つ。現在HPの社外取締役も兼任。カーネギーメロン大学及びワシントン大学の准教授を歴任。在職中、感覚運動神経工学センターを設立し理事を務めるとともに、ロボット開発に焦点を当てた脳科学ロボット研究所を指揮した。

櫛田 健児 (くしだ けんじ)
1978年生まれ、東京育ち。2001年6月にスタンフォード大学経済学部東アジア研究学部卒業(学士)、2003年6月にスタンフォード大学東アジア研究部修士課程修了、2010年8月にカリフォルニア大学バークレー校政治学部博士課程修了。情報産業や政治経済を研究。現在はスタンフォード大学アジア太平洋研究所研究員、「Stanford Silicon Valley - New Japan Project」のプロジェクトリーダーを務める。おもな著書に『シリコンバレー発 アルゴリズム革命の衝撃』(朝日新聞出版)、『バイカルチャーと日本人 英語力プラスαを探る』(中公新書ラクレ)、『インターナショナルスクールの世界(入門改訂版)』(アマゾンキンドル電子書籍)がある。http://www.stanford-svnj.org/

 シリコンバレーに引っ越してきたのは2009年です。きっかけは「グーグルX(グーグルの先端研究所)を作ってください」とグーグルの創業者たちに言われたこと。ただグーグルXは先端的なリサーチが主だったので、もっと消費者に近いプロダクトを学びたいと思い、2010年にNest(ネスト)というスタートアップに入りました。ネストでは家の中のIoTプロダクト、サーモスタットを作っていましたね。

 その後、ネストがグーグルに32億ドルで買収されたので、面白いことをしようとまた会社を飛び出しました。自分で会社を作ったり、アップルのヘルスケアをしたりしていましたが、また3年前にネストに戻ってきました。その頃から、特に人間の暮らしをどう変えるのかということに特化して、ハードウェアだけでなくソフトウェア、サービスも載せようと考えるようになっています。

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なぜパナソニックだったのか。感動した松下幸之助の考え

櫛田:どうしてパナソニックに入ることになったのですか。

松岡:2年半前、ネストにいた時代にパナソニックβの馬場さんからパートナーシップを結ばないかというメールが来たのです。パナソニックはハードウェアを持っていて、それをつなげていくソフトウェアやサービスをしたいという話でしたね。

 その時、馬場さんは私に「パナソニックに入ってくれませんか?」と言ったらしいのですが、私は全然覚えていません(笑)。それから2年が経って、馬場さんから「パートナーシップよりも、パナソニックを中から変えないとできないので手伝ってくれませんか」と言われました。それでパナソニックの社長やCTOなど様々な人に会って、こんな機会は面白いし、めったにないと思い、入ることを決めたのです。

櫛田:なぜパナソニックだったのでしょうか?

松岡:理由は色々あります。パナソニックのプロダクトの一つひとつは、素晴らしいものですから、それらをつなげることを考えれば、もっと素晴らしくなります。

 それから、私は仕事している時は色々助けてくれる人がいますが、家に帰ると様々なことを全部、自分の脳で考えて自分の手でやらなくてはいけません。その家の内と外での違いに驚きます。テクノロジーは家事の色々な助けになるはずなのに、それをきちんとプロダクトしている人は多くはありません。家を見渡してそういったプロダクトをできる会社を、と探したら、それほど多いわけではありませんでした。

 それからもう一つは、創業者の松下幸之助さんの考えに感動したからです。幸之助さんは自分の奥さんの家事をもっと楽にさせようとして洗濯機などを作ってきました。こんな考え方のDNAが入っている会社を手伝いたいと思ったのです。

人の役に立つことありき。テクノロジーありきではない

櫛田:今パナソニックに入って、まずどういったことを変えようとしていますか。

松岡:実は私もその1人でしたが、技術者はまずテクノロジーありきで、それをどうやって人の役に立てようかという順番で考えてしまいます。でもそうやって考えたソリューションは、それほど人の役には立ちません。

 そうではなく、ユーザーが本当に困っていることを理解して、それをどうやってプロダクトにつなげていくかという考え方が必要です。しかしその考え方はパナソニックだけでなく、グーグルでもアップルでもとても少ないのです。だからきちんとそういったユーザーファーストの考え方で作っていくことをやっていきたいと思います。

櫛田:パナソニックβでのチームは、一緒に入ったメンバーとパナソニックのメンバーを統合しているわけですね。

松岡:そうです。これからAIやサービスをハードウェアに乗せていくには経験豊富なメンバーが必要です。ハードウェアしか作ったことがない、ソフトウェアしか作ったことがないというメンバーではできません。だから経験豊富なメンバーを入れて、そこからメンバーをつなげて広げていくことが重要だと考えています。

櫛田:ところでなぜ「ヨーキー・マツオカ」という名前なのですか?

松岡:私の名前は「陽子」ですが、アメリカに引っ越した当初、名前を告げると「ヨーコ・オノと一緒ね」とよく言われました(笑)。でも、だれか一緒と言われるのが嫌だったので、自分の本名を使ってユニークな名前を考えたんです。

櫛田:AIやマシンラーニングは、プロダクトのスケールメリットと個別最適化を両立できると言われています。

松岡:マシンラーニングで、どうやってプロダクトを個別に最適化するかは重要です。ネストでサーモスタットを試作した時、便利な商品としてだけでなく、エネルギーを節約できるようにマシンラーニングを取り入れたものを作りました。部屋が暑くなったら下げる、寒くなったら上げるということを自動で行ってエネルギーを節約する仕組みです。

 発売前に実験的に100軒に導入したのですが、結果はなんとエネルギーを節約するどころか、逆に増えてしまいました。実験したお宅に色々聞いてみると、機械が自分の思うように働かないと、頭にくるんですね。

 ある部屋の温度を快適になるように設定して外出した場合、帰ってきて設定温度より寒かったとすると、人は部屋の温度を一気に上げようとします。人は思うようにいかないと機械に逆らうものなのですね。そういったことが色々起こると、エネルギーはかえって多く使うことになります。

 ここでわかったのは、エネルギーを節約するにも、製品は人間と協力しないといけない。つまりユーザーの考えを聞く「友達」にならないといけないということです。

 そのサーモスタットは、ユーザーがエネルギーを節約したい度合いにパーソナライズして作動できるようにしました。そうすることで、製品がユーザーに愛され、結果的にエネルギーは節約できるようになったのです。

櫛田:機械にも人間の心理学が重要だというわけですね。「機械と友達になろう」というキーワードは面白いですね。

グーグルもパナソニックも変わらない。凝り固まった組織に変革を起こすには

櫛田:松岡さんはアップルやグーグルといった大企業の内部もよく知っていると思います。以前在籍していたネストはグーグルに買収され、スタートアップが買収後どうなるかも知っています。スタートアップを買収する大企業に対してどのようなメッセージがありますか?

松岡:実はパナソニックもグーグルもアップルもそれほど変わりません。セクショナリズム、言ってみれば縦割りは、日本だけでなくアメリカのIT企業でもあります。グーグルでも各部門間で「なんでこちらの部門がこんなにたくさんお金や人がいるんだ」とぶつかり合っています。社員が人間である以上あつれきはあり、それは大企業どこでも一緒です。

 だから大きな会社は社内のインテグレーションが難しいのですが、例えばグーグルがハードウェアへと転換しようとした場合、ノウハウを持っている会社を買ってしまった方が早い。大きな会社が変わっていくには、勇気を出して新しいモノを取り入れることが必要だと思います。

櫛田:一般論ですが、凝り固まった組織に変革を起こすにはどうしたらいいですか?

松岡:買収というのも1つの方法でしょう。大きな会社は中から変えるのは難しいので、外から違ったものを入れて変えていかないと難しいと思います。パナソニックはユニークな会社で、私のような人間を入れてアメリカでスタートアップを作って、ここから本社をつなげて変えていこうとしています。

テクノロジーで、働く人びとをもっと手助けしたい

櫛田:未来の暮らしに対してはどんなビジョンを持っていますか?

松岡:30年後には、家に感情があって、帰ってくるとその家の人がしたいことが分かるといったイメージは持っています。でも、それはずいぶん先の話ですよね。

 大事なのは、まず5年後、10年後どうしたらいいのかで、まず机の上にあるもの、壁に掛かっているもの、車の中のものなど、現在あるテクノロジーにセンサーやAIを入れていく。それが第1段階で、ロボットが人の役に立つにはもう少し時間がかかると思います。

 これは私自身の思いでもありますが、テクノロジーで女性をもっと手助けできるようにしたいんです。女性にはもっと活躍してほしいですし、家族も大切にしてほしい。でも色々大変で仕事を辞めてしまったり、家庭を犠牲にしてしまっている人は多いと思います。

 それは日本だけでなくアメリカも同じです。私はそんな苦労している人を1人でも少なくしたいし、テクノロジーが手助けできるようにしたい。ある時に「これがなかったら仕事ができなかった、家庭がうまくいかなかった」と気づいてもらえるようなプロダクトを作りたいと思っています。

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