パンデミック後の爆発的な旅行需要の回復。しかし、世界の空を支える航空機メーカーは、かつてないジレンマに直面している。エアバスとボーイングの2社が抱える受注残(バックログ)は、2025年末時点で計1万5,000機を突破。「10年待ち」とも言われるこの数字を前に、下流の部品供給網(ティア2・3)がボトルネックとなり、業界全体が「作りたくても作れない」という構造的な供給危機に陥っているのだ。

この厚い壁に、デジタルネイティブなアプローチで風穴を開けるスタートアップが現れた。インドと米国のハイブリッド体制を敷くJeh Aerospace(Jehエアロスペース)だ。

同社が掲げるのは、「ソフトウエア定義の製造(Software-Defined Manufacturing)」。従来の航空宇宙産業において、新製品導入(NPI)にかかっていた「15週間」という膨大なリードタイムを、彼らはデジタルツインとAIを駆使し、わずか「15日間」へと短縮してみせたという。単なるコストダウンではない。すべての部品に「デジタル・パスポート」を付与し、製造過程の全データを可視化するその手法は、保守的な航空宇宙業界に「信頼のDX」をもたらそうとしている。

インドを代表する財閥タタ・グループでボーイングやロッキード・マーティンとの巨大プロジェクトを率いた経験を持ち、業界に精通したCEOのヴィシャル・サンガヴィ(Vishal Sanghavi)氏は、なぜ今、インドを拠点に世界のサプライチェーンを再定義しようとしているのか。物理的な製造業をソフトウエアのスピードで動かすその発想、変化のただ中にある航空業界の今に迫る。


目次
インドの航空宇宙産業の成長をリード
「ブラックスワン」が折ったサプライチェーンの背骨
三菱重工、トライアンフ—―ターゲットはティア1
「航空宇宙業界のフォックスコン」を目指す
日本企業への提案「グローバル製造センター構想」

インドの航空宇宙産業の成長をリード

―ご自身の経歴と、Jehエアロスペースを創業した経緯について教えてください。

 私と共同創業者のヴェンカテシュ・ムドラガラ(Venkatesh Mudragalla)は、幸運にもインド航空宇宙産業の成長の歴史そのものをリードする立場にありました。インドが航空宇宙・防衛分野の製造を民間企業に開放したのは2005年以降のことですが 、当時、インド最大級の企業グループであるタタ・グループ(Tata Group)にいた私たちは、まさに適切なタイミングで、インドにおける最も重要な合弁事業を立ち上げる機会に恵まれたのです。

 実は、私が最初に手がけたプログラムは、汎用ヘリコプター「S-92シコルスキー」のキャビン製造を日本の三菱重工業(MHI)から移管するプロジェクトでした。キャリアの出発点で日本の航空宇宙産業と共に働き、その高い技術や規律から多くを学べたことは、私にとって非常に大きな経験となりました。

 その後、私はタタとロッキード・マーティンの合弁事業の「最初の従業員」として組織を立ち上げ、「C-130スーパーハーキュリーズ」の尾翼(エンプナージュ)製造において世界唯一と言える供給源となるまでに成長させました。さらに、タタとシコルスキー、そしてタタとボーイングの合弁事業も交渉・主導し、軍用ヘリ「アパッチ」の胴体やボーイング「737 MAX」の垂直尾翼などの製造を指揮してきました。

 約15年間で、インドにおける航空宇宙製造の強固な産業基盤をゼロからいくつも構築したことになります。Jehエアロスペースを立ち上げる直前、私たちは1億ドルを超える収益と2,000人以上の従業員、そして最先端の製造施設を率いる立場にありました。現場を内側から見てきた豊富な経験と、業界が抱える深刻な課題への気づきが、創業の原動力となっています

Vishal Sanghavi
Founder & CEO
インドのラムラオ・アディク工科大学で電子・通信工学の工学士を取得。キャリアの最初の職はTCS(Tata Consultancy Services)で、インド、ドイツ、デンマークにて勤務。その後Tataグループのリーダーシップ育成プログラムに選抜され、航空宇宙分野へ。2005年以降約15年にわたり、Tata Lockheed Martin、Tata Sikorsky、Tata Boeing Aerospaceの各合弁事業で製造・サプライチェーンを統括。Tata Boeing AerospaceではCOOを務めた。2022年、Jeh Aerospaceを共同創業しCEOに就任。

―共同創業者のヴェンカテシュ・ムドラガラ(通称:ヴェンキー)氏との出会いと、現在の役割分担について教えてください。

 私たちは、彼を「ヴェンキー」の愛称で呼んでいます。彼とは17年以上の付き合いになります。ヴェンキーは大学を卒業してすぐに、タタ・グループの私のチームに加わりました。彼は組織内で最も輝かしい成長を遂げた一人で、グループ最年少の製造責任者となり、退職前にはタタ・シコルスキーのオペレーションを率いていました。

 現在は彼がCOOとして、製造拠点のあるインド中南部ハイデラバードを拠点にしています。一方で、CEOである私は米国のアトランタに拠点を置いています。航空宇宙産業は深い信頼を必要とする業界であり、顧客の近くに身を置くことが不可欠だからです。私たちは離れた場所にいますが、まるで1つの「テックチーム」のように密に連携し、経営に当たっています。

Image : Jeh Aerospace 左から、COO Venkatesh Mudragalla氏、CEO Vishal Sanghavi氏

「ブラックスワン」が折ったサプライチェーンの背骨

―華々しいキャリアを歩まれていたなか、なぜ創業を決意されたのでしょうか。

 きっかけは、航空業界を襲った2つの大きな危機でした。1つはボーイング737 MAXの墜落事故、そしてもう1つが新型コロナウイルスのパンデミックです。これらの連続した「ブラックスワン(予測不能な激変事象)」が業界を直撃し、サプライチェーンの背骨を完全に折ってしまったのです。

 もともと制約の多い業界でしたが、パンデミック収束後に需要が急回復しても、供給体制は一向に戻りませんでした。そこで私たちは、問題の本質が単にOEM(完成機メーカー)のレベルにあるのではなく、その下支えとなるティア1、ティア2のサプライチェーンにこそ深刻な断絶があることに気づきました。この業界に真のレジリエンスをもたらすには、製造現場の最前線で起きている問題を解決しなければならない——。そこに大きな好機を見出したのです。

 私たちは当時、タタ・グループを通じてインド最大の航空会社(エア・インディア)を保有し、ボーイングやロッキード・マーティンといった大手各社の合弁・戦略的パートナーであり、かつサプライヤーでもありました。この「内側」からの多角的な視点があったからこそ、業界全体を俯瞰した解決策を導き出すことができたのだと考えています。

―あえてOEMではなく、ティア1メーカーに焦点を当てている戦略について教えてください。

 ボーイングやエアバスのような大手OEMは、自らインドへ進出し、合弁事業を展開する十分な力を持っています。しかし、その下流に位置するティア1やティア2のメーカーが、独力でインドの製造ポテンシャルを享受するのは非常に困難です。

 そこで私たちは、これらティア1、ティア2メーカーを直接支援するモデルを構築しました。例えば、GEエアロスペース(GE傘下の航空宇宙企業)への主要サプライヤーである精密部品メーカーとのケースでは、私たちの工場内に「彼ら専用の製造ショップ」を構築しました。床面積、人員、機械のすべてをその顧客専属とすることで、他社の注文によってキャパシティが奪われるリスクを排除した点において、単純な生産受託とは一線を画します。

 顧客はインドに現地法人を設立する必要もなければ、複雑な法的規制に頭を悩ませる必要もありません。いわば、「インドの課題に直面することなく、インドの恩恵だけを享受できる」環境を提供しているのです。実際にこの12〜18カ月で、15万個以上の高品質なエンジン部品を納品するという確かな実績を挙げています。

Image : Jeh Aerospace

三菱重工、トライアンフ—―ターゲットはティア1

―Jehエアロスペースが提供する具体的なソリューションについて教えてください。

 私たちは現在、図面に基づく受託製造を行う「ビルド・トゥ・プリント(Built-to-Print)」方式のメーカーとして、高精度な機械加工部品やチューブ・パイプ部品の製造から、サブアセンブリや複雑なアセンブリシステムの構築までを一気通貫で手がけています。

 戦略として、私たちはターゲットを明確に絞っています。ボーイングやGEといったOEMではなく、三菱重工業やスピリット・エアロシステムズ(Spirit AeroSystems)、トライアンフ(Triumph)といった大手ティア1メーカーを主要顧客としています。現在は主に米国のティア1各社に対し、航空機エンジン部品やツール類を供給しています。

―製造プロセスにおけるデジタル技術の活用について、他社との違いはどこにありますか。

 私たちは、発注書の受理から部品の出荷に至るまで、文字通り「エンドツーエンド」でデジタル化されている点を自負しています。製品ライフサイクル管理からコアERP(企業資源計画)、製造実行システムまで、すべてが一本のデジタルスレッドで繋がっています。

 しかし、単にITを導入しているわけではありません。私たちが最も大切にしているのは、まず長年日本から学んできた手法でプロセスを徹底的に「リーン化(効率化)」し、その強固な土台の上にデジタルレイヤーを構築するという順序です。価値の定義からバリューストリームの実装、フローの最適化まで、リーンの概念は私たちの組織に深く染み込んでおり、デジタルやAIの時代にあっても、これに代わるものはないと考えています。

―インドという立地と、そこに集まる「人材」のポテンシャルをどう捉えていますか。

 現在、米国や日本を含む先進諸国では、製造業における深刻な人材不足とコスト高騰が大きな障壁となっています。対してインドには、活用されるのを待っている豊富な才能が眠っています。

 私たちの組織には「才能 × 技術 = 変革(Talent × Technology = Transformation)」という指針があります。インドが誇るエンジニアリングの才能に、私たちの経験に基づいたオペレーションと最新のデジタル技術を掛け合わせるのです。

 実際、私たちのリーダーシップチームはインド航空宇宙業界の「トップ1%」とも言える精鋭で構成されています。マッキンゼーやロールス・ロイス、ジャガー・ランドローバー(JLR)といったグローバル企業から、このビジョンに共鳴した最高の人材が集まってくれています。この「人」の力こそが、顧客に対して圧倒的な信頼性と競争力を提供できる最大の根拠なのです。

Image : Jeh Aerospace「Built-to-Print」を加速する製造中枢 COAR (Centre for Aerospace Resilience)

「航空宇宙業界のフォックスコン」を目指す

―直近の事業成長について教えてください。

 2024年1月にシード資金を獲得してからわずか2年で、従業員は250人規模にまで拡大しました。現在は約6万平方フィートの最先端製造施設を運営していますが、さらなる需要に応えるため、新たに20万平方フィートの拡張を決定したばかりです。

 これまで米国市場向けに17万5,000個以上の精密部品を納入し、顧客数も5社を超えました。しかし、私たちが誇るのは数字だけではありません。この工場のインフラと能力は、世界のどこへ持っていっても通用する「ワールドクラス」であると確信しています。

―今後12〜24カ月で達成したいマイルストーンは何ですか。

 この1年間で売上高を350〜400%増加させることができましたが、次の12カ月でもこの成長を再現したいと考えています。ただ、私たちはむやみに顧客数を追うことはしません。少数の優良顧客と深い信頼関係を築き、彼らの課題を真に解決する。売り上げは、その信頼の結果としてついてくるものだと考えています。

 私たちの長期的ビジョンは、20年以内に「航空宇宙業界のフォックスコン(Foxconn)」になることです。欧米のティア1メーカーやOEMにとって、世界最高の製造パートナーになるという、非常に野心的な目標を掲げています。

―急成長を遂げる中で、直面している課題は何でしょうか。

 地政学的な関税リスクなど、世界情勢は複雑さを増していますが、それらには具体的な緩和策を講じています。私にとっての最大の課題は、常に「実行(Execution)」にあります。

 たとえ20万個の部品を滞りなく納品できたとしても、次の20万個が簡単になるわけではありません。だからこそ、私たちは日本文化から学んだ「継続的な改善(カイゼン)」を何よりも大切にしています。デジタルやAIの時代であっても、バリューストリームの最適化や変動の抑制といったリーン製造の基本は、私たちの日常に深く根ざしています。

 インドと日本の関係は歴史的に深く、私たちは日本のティア1、ティア2メーカーの製造能力を解放する最良のパートナーになれると信じています。私たちのプロフェッショナリズムを通じて、日本の皆様にも「インドの恩恵」を最大限に活用していただきたいと願っています。

Image : Jeh Aerospace

日本企業への提案「グローバル製造センター構想」

―日本市場や日本企業との協業については、どのような可能性を感じていますか。

 日本は世界有数の航空宇宙部品の製造国であり、世界最高峰の工作機械メーカーを擁する国でもあります。実際、当社の工場の機械のほとんどは三井精機工業をはじめとする日本メーカーから導入しており、すでに切っても切れない深い関係にあります。

 現在、日本の「重工長大」企業もまた、製造現場の人材不足やキャパシティの限界という課題に直面しているはずです。そこで私たちが提案したいのが、「グローバル製造センター(GMC)」構想です。これは日本のティア1メーカーと提携し、当社の工場内に彼ら専用の製造ライン(専用設備・人員)を構築するモデルです。

 現在拡張を進めている20万平方フィートの最先端施設は、インドでも最高水準のインフラを誇ります。日本のパートナー企業はこのリソースを活用することで、自国のリソース不足を補いながら、ボーイングやエアバス、ロッキード・マーティンといったグローバル顧客への供給責任を果たすことが可能になります。

―Jehエアロスペースの長期ビジョンについてお聞かせください。

 航空機の受注残が史上最高を記録するなか、サプライチェーンの混乱を収束させ、真のレジリエンスを構築するには、製造現場の課題を現実的な方法で解決するしかありません。

 今後5年、10年と時が経つにつれ、世界ではUAV(無人航空機)やドローン、次世代航空機など、多様なプラットフォームが次々と誕生するでしょう。私たちのビジョンは、それらがどのような形になろうとも、製造において極めて優れた、世界に欠かせない組織になることです。

 あらためて申し上げますが、私たちが掲げる「野心的で大胆な目標」は、20年以内に「航空宇宙業界のフォックスコン」になることです 。欧米のOEMやティア1企業にとって、世界で最も信頼される「最高の製造パートナー」になる。インドが持つポテンシャルと私たちの実行力を掛け合わせ、航空宇宙の未来を支えていく決意です。

―最後に、日本の読者や潜在的なパートナーに向けてメッセージをいただけますか。

 インドと日本の間には、長きにわたる歴史的かつ強固な信頼関係があります。現在、航空宇宙産業はかつてない競争の中にありますが、私たちは、日本のティア1・ティア2メーカーの皆様が直面しているリソースの制約を解消し、その潜在的な製造能力を最大限に引き出すことができる専門家であると自負しています。

 私たちは日本文化、そして日本の製造業に対して多大な敬意を抱いています。私たちが実践している「リーン製造」の根幹は、すべて日本から学んだものです。

 余談になりますが、私の10歳になる長男は日本のアニメの大ファンで、まだ訪れたこともない日本の言葉を独学で学んでいるほどです。近いうちに、家族で日本を訪れることを今から楽しみにしています。ビジネスにおいても、そして文化的な交流においても、日本との絆をさらに深めていけることを心より願っています。

Image : Jeh Aerospace「航空宇宙のFoxconn」への鍵を握る技術拠点 COAS (Centre for Aerospace Skill)



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