前編では、宇宙飛行士の時間を奪う「雑務」という課題と、それを肩代わりする自律型ロボット「Joyride(ジョイライド)」の設計思想を見てきた。なかでも印象的だったのは、ゼロG(微小重力)という環境が、ロボット制御にとっていかに厄介かという話だ。地上のロボティクスの常識は、宇宙ではことごとく通用しない。
そしてこの複雑な物理挙動は、どれほど精巧なシミュレーターを組んでも学び切れない——米Icarus Robotics(イカロス・ロボティクス)はそう考える。だから同社は、一見遠回りに見える道を選んだ。まず実機を軌道へ送り、地上から遠隔操作しながら、映像とテレメトリという「本物のデータ」を根こそぎ集めるのだ。
もっとも、地上とISSの通信には避けられない遅延がある。同社はオフィスでのテスト段階から意図的に高遅延を作り出し、その状況下でも器用にアームを操れる技術を磨き上げてきた。実データが貯まるほどAIは賢くなり、やがて自然言語の指示だけでロボットが動くようにする。遅延と向き合う地味な開発は、100%自律化への助走なのだ。
後編では、遠隔操作から完全自律へのロードマップ、NASAや米国防省を顧客に持つVoyager Technologies(ボイジャー・テクノロジーズ)との提携が持つ意味、JAXAや日本のものづくり産業への期待、そして衛星の補給・修理まで担う「宇宙の労働力」の未来図を、CEOのイーサン・バラジャス(Ethan Barajas)氏に聞いた。
目次
・タイムラグのある通信下での技術を磨く
・創業2年で、あのボイジャー社と戦略的提携
・日本の研究者向けに機体開放を検討
・まずは、ゼロG環境の実データを徹底収集
タイムラグのある通信下での技術を磨く
―シミュレーター(バーチャル空間)での学習だけで自律化させることはできないのでしょうか?
フォトリアルな物理シミュレーターは非常に強力ですが、「Sim-to-Realギャップ(シミュレーターと現実の差)」が微小重力環境においては大きすぎるという課題があります。特に摩擦や重力による減衰がない微小重力下での複雑な物体の動的挙動は、実環境データを収集することがモデル化には必要です。
だからこそ、最初の「Joyrideミッション」は極めて重要となってきます。このミッションは、ロボットを実際の環境に配置して稼働させるだけでなく、「微小重力下の実環境データを収集する」という大きな目的を持っています。
そのためのマイルストーンとして、私たちは「高遅延通信下での高度な遠隔操作テクノロジー」を徹底的に磨き上げ、専用のコントローラーを開発しました。Joyrideの初期ミッションではSバンド(2〜4GHz)通信を利用する想定ですが、ここには不可避なタイムラグが生じます。私たちはオフィスでのテスト時、実際のISSとの通信を模擬した高遅延を意図的に挟み込み、その状況下でも正確かつ器用なアーム操作を行える技術を確立しました。
この技術を活用し、まずはこの高遅延・遠隔操作によって宇宙飛行士のカーゴ移動などの日常タスクを地上から支援し、実行時の「ビデオデータ」と「テレメトリデータ」を根こそぎ収集します。そうして実データが蓄積されるに従い、モデルの学習が進み、地上オペレーターがいちいち指示を出さなくても、「補給船からコロンバスモジュールへ荷物を運んで」と自然言語で指示するだけで、ロボットが高度な自律アクションを自動で実行できるようになる。これが、私たちの描くロードマップです。
さらに、SpaceXのレーザー光通信ターミナルや、民間商業宇宙ステーションの開発・運用を目指すVastが計画する「Haven-1」などの次世代宇宙ステーションが採用する「光通信技術」の台頭も、この進化を猛烈に加速させています。
従来のSバンド無線とは異なり、光通信技術が確立されれば、遅延は100ミリ秒未満へと劇的に縮小し、25Gbps以上の圧倒的なダウンリンク帯域が確保されます(※数値はイーサン氏談)。この超高速・低遅延インフラが整えば、地上からリアルタイムに遠隔操作しながら自律化のための高品質なデータを宇宙から吸い上げることが、極めて容易になるのです。
創業2年で、あのボイジャー社と戦略的提携
―今年3月、米国の宇宙企業大手ボイジャー・テクノロジーズとの戦略的提携を発表されました。スタートアップであるイカロス社にとって、どのようなシナジーがあるのでしょうか。
宇宙、特に現役の宇宙飛行士が生活している有人環境へロボットを送り込むためには、リチウムイオンバッテリーの発火防止対策などNASAによる極めて厳格で、気の遠くなるような安全基準をクリアしなければなりません。この安全審査のためのデータパッケージ作成や手続きは、我々が最も時間を費やしている最大の難所の一つです。
私たちは、自分たちのコア強みである「ロボティクスとAIの開発」に100%集中したい。だからこそ、すでにISSに民間用の「ビショップ・エアロック(Bishop Airlock)」という独自の容積スペースを所有し、これまで1,400件超の圧倒的なミッション実績を持つボイジャー社の知見と並走できることは、宇宙への最短ルートを走る上で計り知れないアドバンテージなのです。
また、ロボットの筐体設計そのものにおいても、NASAの人型ロボット計画「Robonaut(ロボノート)」など過去のミッションを参照しながら、宇宙飛行士との安全共同作業プロトコルや、機体のどの部位に緩衝材を配置すれば安全基準を満たせるかという知見を、設計段階からボイジャー社に直接フィードバックしてもらっています。
私たちは今後、ヒューストンにあるNASAのジョンソン宇宙センターでシステムの統合を進める予定で、打ち上げ後はボイジャー社の管制室内に専用のコントロールセンターを置いて、ISS上のJoyrideと通信・制御を行う計画です。
Image: Icarus Robotics 推進用ファンと2本のマニピュレーターを搭載したJOY。イカロスとボイジャーは同機のでも試験を実施する
―ボイジャー社が開発を進める次世代宇宙ステーション「Starlab(スターラボ)」も含め、業界全体でロボットをインフラに組み込む動きがあるのでしょうか。
おっしゃる通りです。次世代の宇宙ステーション開発には、ボイジャー社の他にも、Axiom Space(アクシオム・スペース)、Vast、Sierra Space(シエラ・スペース)とBlue Origin(ブルー・オリジン)など、多くのプレイヤーがひしめき合っています。彼らに共通する願いは、「宇宙での貴重な時間を、維持管理ではなく、高付加価値な科学研究や製造に充てたい」という点です。
このトレンドを象徴する、非常にエキサイティングな動きがあります。
軌道上サービス・メンテナンスの標準化を進める国際業界団体である「CONFERS(Consortium for Execution of Rendezvous and Servicing Operations)」において、「宇宙ステーションの内部でフリーフライ型ロボットをどのように運用し、どうインフラを標準化していくか」を議論する作業部会が発足し、既に複数の会合が持たれているのです。
これは、宇宙におけるロボット労働力の導入が、スタートアップ1社の夢物語ではなく、産業全体のデファクトスタンダードとして動き出している決定的な証拠です。
日本の研究者向けに機体開放を検討
―日本、特にJAXAや日本のロボティクス・ものづくり産業に対する印象はいかがですか。
JAXAが開発した「Int-Ball」などのフリーフライ型ロボットの基礎研究は、この分野における極めて偉大なマイルストーンであり、私たちは大きな敬意を払っています。
2025年に宮城・仙台で開催された宇宙ロボティクスの国際シンポジウム「iSpaRo 2025」に参加した際、東京大学や東北大学の優れた研究者、JAXAのメンバーと深く交流しましたが、日本は間違いなく、世界でも屈指の素晴らしいロボット技術のハブだと実感しました。
私たちは、日本とのコネクションをこれから全力で深めていきたいと考えています。
―具体的には、日本の産業界とどのようなパートナーシップを築きたいですか?
大きく2つの柱を考えています。
1つは、共同研究開発のオープンなプラットフォームとしての提供です。Joyrideが宇宙の現場にデプロイされた後、私たちはこの軌道上ロボットの機体を、日本の大学や研究機関に研究プラットフォームとして開放したいと考えています。日本の研究者が開発した「微小重力環境におけるマニピュレーション制御アルゴリズム」や「浮遊力学モデル」を、実際の宇宙にあるJoyrideの機体でテストしてもらう。これにより、宇宙ロボティクス分野全体の理解がさらに深まり、産業の発展を加速できると信じています。
もう1つは、ハードウエア製造における協業です。
今後、航空電子機器(アビオニクス)、バッテリー、精密プリント基板(PCB)などのカスタム設計・製造を進めるにあたって製造メーカーとの連携は不可欠ですが、日本のものづくり企業の品質基準と技術力は間違いなく「セカンド・トゥー・ノン」(右に出る者がいない、の意)です。
極限の安全基準を求められる宇宙用ハードウエアおいて、日本の優れた部品メーカーや精密製造企業と深く連携することは、私たちにとって最も理想的な形です。
まずは、ゼロG環境の実データを徹底収集
―イカロス・ロボティクスが描く、短期・長期ビジョンを教えてください。
短期的には、ボイジャー社およびNASAとの最初の商業運用であるJoyrideミッションを確実に成功させ、微小重力環境の実データを徹底的に収集してAIモデルの自律制御精度を磨くことです。
そして長期的には、Joyrideの「内部」で磨き上げたエンボディードAIを、「宇宙ステーションの外」で活動するロボット車両や衛星メンテナンス機へと移植していきます。これらは、人工衛星への燃料補給、軌道上でのソーラーパネルの交換、メンテナンスなど、あらゆる軌道でインフラを構築する存在になります。
―「宇宙ステーションの外」へとロボットの活動領域を広げることで、宇宙ビジネスの何が変わるのでしょうか。
現在、宇宙産業が直面している最も不条理な現実は「資産の使い捨て」です。例えば、SpaceXのStarlinkのような巨大コンステレーションを構成する数千機の衛星は、現在、わずか3年から5年で大気圏へ再突入させて燃やし、廃棄されています。
しかし、衛星に搭載されている太陽光パネルやラジエーターといったハードウエア自体は、本来、非常に長期間使い続けられるほど長持ちするのです。打ち上げのために莫大なコストをかけて「質量を宇宙へ運んだ(mass to orbit)」にもかかわらず、まだまだ現役の主要部品を丸ごと使い捨てるのは、経済的にも環境的にも極めて非効率です。
もし、私たちのAIとアームを備えたロボットが軌道上にいれば、衛星の太陽光パネルだけを最新のものにアップグレードし、寿命を迎えたバッテリーや推進剤(燃料)だけをピンポイントで補給・メンテナンスして、資産を何十年も延命させることができます。これこそが、私たちが実現したい持続可能な宇宙インフラの姿です。
―最後に、イカロス・ロボティクスがテクノロジーの力で実現したい「新しい世界」のビジョンをお聞かせください。
私たちは、「宇宙の労働力」を構築しています。
これまでロボットは、火星探査機のように人間が行けない過酷な場所を「探査」するツールという側面が大きかった。しかし、これからはロボットが宇宙で価値のあるインフラを「建設し、維持する」ための恒常的な労働力になります。
私たちの信念は、「宇宙にロボット労働力が増えれば増えるほど、結果として、宇宙で生活し、働く人間の数も飛躍的に増やせる」ということです。
危険で反復的な維持管理業務や重労働はロボットに任せ、人間はクリエイティブな科学研究、新たな新薬の発見、革新的なビジネスの創出に100%の情熱を傾ける。Joyrideは間違いなく、その新しい世界の扉を開く第一歩となります。私は自分の生きているうちに、何百人、何千人もの人々が当たり前のように宇宙で暮らし、働いている未来を目の当たりにすることを楽しみにしています。それに向けて、私たちは全力を尽くします。
編集部まとめ
今回のインタビューを通じて、イカロス・ロボティクスが単体ロボットの開発といったミクロ的なものではなく、「宇宙空間における労働の概念そのものを再定義するインフラ革命」であることが明確になった。
超強力なエッジAI(NVIDIA Jetson Thor SoM)を搭載し、微小重力環境での物理挙動を学習しながら進化する彼らのアプローチは、日本を代表するものづくり企業にとっても、非常に魅力的な巨大パートナーシップの機会を提示している。
今後、CONFERSが進める標準化議論の動きとも連動し、低軌道から静止軌道(GEO)、そして深宇宙へと拡大していく可能性を秘めたイカロスの動向は要注目だ。