世界的にも高い競争力を維持し、産学官が連携したスタートアップエコシステムを誇るシンガポール。国土面積が狭く、資源も限られる中、政府は「人材こそ資源」と教育に力を入れてきた。シンガポール経営大学(Singapore Management University, 以下SMU)のイノベーション&アントレプレナーシップ研究所(Institute of Innovation & Entrepreneurship、以下IIE)では、スタートアップのビジネスプランコンテストを隔年で開催し、世界中から参加者が集まる。IIE在籍の専門家であり、起業家のShirley Wong氏は世界から優秀な頭脳・才能が集まることは、大学や自国だけでなくAPAC全体の発展につながると指摘する。一方で、日本へのアドバイスとして「失敗してはいけない」というスティグマがイノベーション創出の足かせになっていないかと指摘する。

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【前編】世界トップクラスの競争力 シンガポールはイノベーション創出をどう支えてきたか
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とにかく教育 大学では投資やビジネスを実践で学べる

 シンガポール政府は1991年からR&Dを国家戦略に位置付け、科学者やエンジニアらの強力な基盤を作ることが、知の集約とイノベーションを生み出し、国家の経済発展を支えると明確に打ち出してきた。

 起業家精神あふれる優秀な人材はシンガポールで起業し、テクノロジーで新たなプロダクトやサービスを開発することで社会課題を解決し、経済発展を遂げ、雇用機会も生まれる。知識をベースにしたイノベーションの集積地として社会的、経済的に飛躍することが政府の狙いであり、その取り組みこそがシンガポールのエコシステムの優位性を裏付ける要素の1つでもある。

 では、その人材を育成する教育現場では何が行われているのか。もともと資源が豊かではないシンガポールは「人材が唯一の資源」と教育や人材育成に大きな力を注いできた。

Shirley Wong
SMU Institute of Innovation & Entrepreneurship
Entrepreneur-in-Residence
IT業界で28年以上の経験がある起業家。1994年にFrontlineTechnologiesを共同創業し、2001年にシンガポール取引所に上場。同社はアジア太平洋地域11カ国に広がる5000人の従業員の組織に成長した(2008年にBritish TelecomGlobalServicesに売却)。現在はTNF Venturesのマネージングパートナー。2013年から2016年までシンガポール情報通信技術連盟会長。2020年、シンガポールの100 Women in Tech Listにも選出される。ビジネス関係の各種大会の審査員も数多く務める。

 Wong氏は「シンガポールの教育は、起業家を成熟させる上で重要な役割を担っています。スタートアップをサポートするために必要なスキルのうち、何が重要なのかを見極めています。例えば、小学校からプログラミングを学び始めることができますし、学校のカリキュラムではなくともAIや機械学習に取り組むクラブもあります。就職するにせよ、起業家になるにせよ、必要不可欠なスキルセットですね。政府は何に取り組むべきか、教育レベルから始めています」と語る。

 教育プロセスの中でも、大学は非常に重要な役割を担っている。Wong氏は「大学そのものが、学生が起業家的な教育を受けるには完璧な環境だと思います。大学はカリキュラムだけでなく、『場』としての機能、ネットワークを作る役割があります。実際、大学にはコワーキング施設や、インキュベーションセンターがあります。そして、大学の中で、スタートアップに対してリスクを負わずに、アイデアを試すためのプラットフォームを提供することができます。大学にいる間に、リスクを引き受けるのを助けてくれるのです」

 例えば、Wong氏が現在、専門家として在籍しているSMUのIIEでは、起業家精神を促進する教育やインキュベーターとしての機能、大学の研究開発を実用化に結び付ける取り組みが行われている。変革を起こせる人材(Changemaker)を輩出していくことが目的だ。アカデミアや企業、投資などの専門家で構成されるエンタープライズボードがIIEを率いて、専任チームによって運営されている。現在、IIEは名古屋大学との提携を進めているという。

 Business Innovations Generator (BIG)と呼ばれるプログラムは、2009年に始まり、SMU発の起業家のさまざまな段階とニーズに合わせたコーチングなど、インキュベーションのカリキュラムを展開している。

 また、Wong氏はSMUの強みとして、Global Innovation Immersionという海外インターンシップの取り組みを紹介する。学生たちが実践的なスキルを身につけ、現実のビジネスの世界を体感することを目的に、提携している国際的な成長企業に学生を派遣するプログラムだ。東南アジアや中国、アメリカなど、これまで世界13都市の116企業が協力し、数多くの学生を派遣した。学生の選抜と事前のカリキュラムも充実しており、Wong氏は「学生たちは非常に革新的な組織で実際に働き、そこから学ぶのです」と意義を語る。

 ほかにも、東南アジアで初めてかつ唯一の学生ベンチャーファンド兼トレーニングプログラムとして、Protégé Venturesがあるという。2017年に取り組みが始まり、実践的な投資のトレーニングと広範なネットワーク構築を通じて、起業家リーダーを育成するのが目的だ。ビジネスを興したい学生らが、投資のスキルやベンチャーキャピタリスト側の視点も身につけることができるのだ。

「私たちはVCと提携し、VCはこのプログラムに資金の一部を投入します。学生らは学びながら実際のお金を使ってベンチャーキャピタルに代わって投資することになります。バーチャルマネーじゃない、本物のお金です。これは非常にユニークなプログラムです」とWong氏は語る。

世界から優秀な頭脳が集まることは、自国やAPAC全体の発展につながること

 SMUでは、IIE主催のLee Kuan Yew Global Business Plan Competition(リー・クアンユー グローバルビジネスプランコンペティション 以下LKYGBPC)というスタートアップのビジネスプランコンテストを隔年で開催している。第10回大会は新型コロナの影響で延期を余儀なくされたものの、2021年3月に開催。第11回大会は2023年9月に開催予定で、今年10月から応募が始まる予定だ。

 シンガポールの初代首相の名前を冠につけたLKYGBPCは、シンガポール国内だけでなく、世界の著名大学などから起業家精神にあふれた優秀な人材を集めて、21世紀の課題に取り組み、スマートで持続可能で回復力のある未来を目指すために開催されている。

 第11回大会は「都市の課題解決と持続可能性」「製造・貿易・コネクティビティ」「人間の健康と可能性」「スマート国家とデジタルエコノミー」の4分野でビジネスプランを募集する。政府の「RIE2025」とまさに重なる分野だ。

Image: Lee Kuan Yew Global Business Plan Competition

 応募できるのは、高専や大学、大学院の学生、もしくは大学などの5年以内の卒業生を創業者や共同創業者として含むチーム。ビジネスプランは革新性や商業的な実現可能性、アイデアのインパクト、実現能力を基に審査される。大会にはシンガポールを代表する大企業や多くのVC、研究者、政府機関の関係者らが参加する。賞金価値は200万シンガポールドル(約1.9億円)に上る。

 第10回大会には、世界60カ国の650大学などから、約850件の応募があった。リアル、バーチャル含め28000人の参加者がおり、大会の規模は毎年拡大している。同大会では、マサチューセッツ工科大学(MIT)のチームのAIを使用した消化器病学の検知・診断ツール開発、メルボルン大学の手ごろな価格でのエネルギー貯蔵のプロジェクトがそれぞれ最高賞に輝いた。他の賞も、屋内での精密な受粉のための自律型ドローン農業プロジェクトや、デング熱の合併症リスク検査など、多彩なイノベーションの取り組みが集まった。

 Wong氏は第10回大会、そして第11回大会の議長を務める。LKYGBPCの意義について、「シンガポールの勝者かどうかは関係ありません。私たちの重要な役割は、多くの優秀な頭脳と才能がシンガポールに集まるプラットフォームを作るということです」と語る。

「LKYGBPCで数々の素晴らしいアイデアや技術が発表され、シンガポールには彼ら彼女らのために、どんなリソースがあるかということを示すことが大事です。将来的にそれらがアジア太平洋地域のプラットフォームになっていけば、シンガポールをさらに発展させることでしょう。また、世界からの参加者がSMUの学生やコミュニティと交流し、ネットワークを広げていくことも大事です」

 世界に開かれた国として多様な才能を集め、イノベーションの後押しをする取り組みはシンガポールだけでなく、アジア太平洋地域や世界の発展を牽引するという役目を果たし、次世代を育てていくのだ。

Image: LKYGBPC第10回大会の様子

「失敗してもいい」と後押ししてきた政府 ハングリー精神のある若者を羽ばたかせよ

 これらの革新的かつ包摂的な産学官の取り組みを早いうちから進め、世界に誇るイノベーションエコシステムを構築してきたシンガポール。一方、国内の状況にばかり目が向きがちで経済が停滞する日本。Wong氏に日本の状況はどう見えるのか。

「シンガポールは多くのハイテク企業やテックジャイアントを引き付け、彼らの本社や地域拠点はシンガポールにあります。それはグローバルな才能をもたらす能力がシンガポールにあるからでしょう。そしてそれがシンガポールの富の創造につながっています」

 その上で、Wong氏は起業家、スタートアップは好奇心旺盛で、革新的な方法で世界の問題を解決する方法を見つけたいと願っており、その実現にはリスクが当然伴うことを指摘する。

Image: Shirley Wong氏 (SMU)

「日本人は恐らくリスクを嫌い、保守的だと感じます。実はシンガポールでも若者は失敗を非常に恐れています。なぜなら、私たちの文化が『失敗は非常に恥ずかしいこと』『失敗は自分自身や家族、組織にとって恥ずかしいこと』と感じてしまうからかもしれません」と語る。

「そういったスティグマは、起業家精神を持っている多くの人々を抑えつけてきました。ですが、私たちの政府は、『失敗しても大丈夫』と励ましてきました。失敗したことを恥じたり、何か新しいことに挑戦したことを恥じたりしなくていいんだと。そういったオープンで起業家精神にあふれた取り組みは好循環につながります」

「日本には素晴らしい大企業がたくさんあります。私自身、ソフトウェア開発のビジネスを始めたころ、トヨタのプロジェクト管理について学んだことがあります。今の日本の大企業にとって必要だと思うのは、スタートアップに開かれ、協力し、彼ら彼女らと仕事をすることを可能にすることではないでしょうか。ご存知のように、スタートアップは非常に機敏で、よりスピーディーに考え、革新的です。新しいことに挑戦することを恐れないため、より慎重で伝統的なビジネスに挑戦します。だからこそ、大企業がスタートアップと一緒に働く機会をつくれば、成功の可能性ははるかに高くなると思います」

 若い世代へのアドバイスはどうか。「ハングリーであること。そして、世界で何が起こっていて何が必要かを見るために常にオープンな心を持つことです。競い合うことで成長していくことが大事です」とWong氏は日本の若い世代へメッセージを寄せ、LKYGBPCへのチャレンジを呼び掛けた。

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