制御機器、ヘルスケア、電子部品など幅広い事業領域をもち、「約60のスタートアップの集合体」ともいえるオムロン。単に新たなビジネス・技術を取り込むだけでは自社事業・技術と競合しかねない状況を、いかにして共創へとつなげるのか。医療機器ベンチャーキャピタル設立や投資、アカデミア活動などの経験を経てオムロンベンチャーズ代表取締役社長に就任した井上智子氏に、スタートアップとの共創戦略を聞く。

世界初の製品を多数開発してきたオムロン

――まず、オムロンのイノベーションの歴史やCVCの概要について教えてもらえますか。

 オムロンは1933年の創業以来、社会的課題を解決しソーシャルニーズを創造するさまざまな製品を生み出してきました。

 世界初の製品も多く、1964年には東京オリンピック開催時の交通渋滞緩和策として、全自動の感応式デジタル信号機を開発。ほか、無人駅システム、ATMの前身であるオンラインキャッシュディスペンサー、変わり種では現在のプリクラに通じる似顔絵シール機なども、世界で初めてオムロンが開発したものです。

井上 智子
オムロンベンチャーズ 代表取締役社長
オムロン イノベーション推進本部 共創デザインセンタ長
一橋大学経済学部卒、ペンシルベニア大学ウォートン校MBA、東京女子医科大学早稲田大学共同大学院共同先端生命医科学専攻修了博士(生命医科学)、スタンフォード大学バイオデザインプログラムファカルティフェロー。2018年4月よりオムロンのCVC代表、2020年9月よりオープンイノベーション活動を牽引する共創デザインセンタ長兼務。オムロン以前は、産業革新機構にて医療機器のベンチャーキャピタルの設立準備から、ファンドの設立、運営、スタートアップ投資に携わる。また、ジャパン・バイオデザインプログラム(東大、阪大、東北大)の立ち上げ支援や筑波大学のグローバル医薬品・医療機器マネジメント講座の講師、メンター、ファシリテーターを務めるなど、多方面で活動。

 各製品は顧客課題の解決のために生み出したとはいえ、オムロンでは目先の顧客課題としてではなく業界全体に通じる本質課題としてニーズをとらえ、イノベーションで解決する方法を、昔から行ってきました。

 オムロンの代表的な製品の一つは血圧計ですが、1970年代に初の家庭用血圧計を生み出した頃は、「家庭で血圧を測る」という概念はありませんでした。ですから「家庭で血圧を測ることは健康状態を知るうえで有効だ」という認識を広めるため、医学界とのタイアップで家庭用血圧計の市場づくりからスタートし、今に至るのです。

Slide: Omron Ventures

 現在の最大事業は全体の53%を占める工場の自動化に貢献する制御機器事業であり、電子血圧計や体温計などのヘルスケア事業、自動改札機や太陽光発電用パワーコンディショナなどの社会システム事業などが続きます。さまざまな業界で事業展開をするオムロンという企業は、「約60のスタートアップの集合体」だともいえます。

Slide: Omron Ventures

年間1000社をスクリーニングし、3~5社へ投資

 そんなオムロンのCVCであるオムロンベンチャーズは、2014年に設立しました。多くのCVCと同じく、ニーズやライフスタイルの多様化とともに自社内のアイデア・技術だけに頼った事業展開は難しくなり、時代に合った新規事業の展開を目指すために立ち上げました。

 拠点は東京のみで、CVCの運営とオムロンの戦略とをしっかり連携させるために、これまで海外拠点を設けずに活動してきました。

 現在のメンバーは計7名で、オムロンからの出向メンバーに加え、投資~エグジット経験や他社でのCVC活動経験をもつ、私を含む4名が社外から中途で入社しています。投資額は、設立時の段階で30億円。投資地域はグローバルであり、アーリーステージのスタートアップを対象としています。

 意思決定はオムロン本体とは切り離しており、スピードを重視するため1回の投資委員会で意思決定できる体制となっています。投資委員会のメンバーは、オムロンのCTOとCFO、オムロンベンチャーズCEOである私の計3人です。

 シナジー実現につなげるために本体のトップが入っている一方で、スピードを重視し、事業部の意思決定と切り離すという意味から、事業部メンバーは投資委員会には加わっていません。

 投資戦略は、オムロンのコア技術・資産と、スタートアップの新技術・事業を組み合わせ、未来起点での新しい産業を生み出すことです。ヘルスケア・スマートシティ・ファクトリー領域において、AI・ロボティクス・セキュリティ・エネルギー技術にフォーカスして活動しています。

Slide: Omron Ventures

 CVCとして、私たちが最初に行ったのは、戦略的なLP出資です。東京にしか拠点がないため、イスラエル・シリコンバレー・ヨーロッパ・中国というそれぞれの地域で存在感・影響力をもつVCに出資するとともに、各領域の知見をもつ方々と連携し、投資後の事業成長支援や意見交換を行っています。

 スタートアップは年間1000社をスクリーニングし、うち3~5社へ投資を実行します。投資後は、投資担当が1社1社ハンズオンで事業成長の支援などを行っています。

 投資先の条件は、オムロンにない能力の獲得により“コト視点での事業拡張”とオムロンにない能力+顧客基盤の獲得により“新領域での事業創造”を可能にする企業であることです。
 そのうえで、投資対象を次の3つ「①成長ポテンシャルが大きいスタートアップ」「②将来的(2~3年後)にオムロン事業とのシナジーが期待できるスタートアップ」「③既存・新規事業に必須のパートナーとなるスタートアップ」に分けています。

Slide: Omron Ventures

 それぞれにバランス良く投資することで、投資額を上回る財務リターン、財務リターン以上の戦略リターンを狙っています。つまり、CVCの成功条件は「戦略リターン>財務リターン≧0」だと考えています。

スタートアップとの協業をメインに行う組織を立ち上げ

 先ほど「オムロンは60のスタートアップの集合体」だとお話ししました。さまざまな事業を手掛ける部署が存在するため、単にスタートアップを紹介するだけでは、自社事業・技術と競合し何も生まれないケースがほとんどです。

 一見競合しそうなスタートアップとオムロンの各事業部との共創を目指すため、昨年立ち上げたのが、共創デザインセンタです。オムロンベンチャーズも共創デザインセンタも、オムロングループの新規事業を推進するイノベーション推進本部に属しています。

Slide: Omron Ventures

 先述した「②将来的(2~3年後)にオムロン事業とのシナジーが期待できるスタートアップ」については、該当する事業部と意見交換し、スタートアップの状況も鑑みたうえで、将来的な事業展開を目指した連携を図っていきます。

 「③既存・新規事業に必須のパートナーとなるスタートアップ」については、PoCを先行させたり、事業構想を練ったりなど時間をかけて検討したうえで、投資を行います。

 具体的な共創事例について、3つお話しします。

 1つ目は、シリコンバレーのスタートアップDIMAAG-AIの事例です。オムロンが長年の検査事業で培ってきた現場データ・顧客価値の知見と、DIMAAG-AIのAI技術をコラボさせ、5GやEV、自動運転などで使用される電子基板の外観検査システムへ、AI技術を活用。検査の品質アップだけでなく、不良品が出た場合の原因解明も可能にしました。同社の場合はPoCを先行させ、その後に資本投下を行って連携を進めてきました。

 2つ目は、オンライン遠隔医療サービスを運営するインドのTerrals Technologiesです。急性期医療の遠隔サービスを行うスタートアップが多いなか、同社は慢性疾患にフォーカスしており、重症化させない医療・予防医療の実現を目指しています。オムロンにもゼロイベント(高血圧に起因する脳・心血管疾患発症ゼロ)を掲げる事業部があり、この8月に同社との連携が発表されたばかりです。

 3つ目は、オムロンにない能力と顧客基盤を獲得することで新領域での事業創造を目指すために共創した、オーガニックnicoという京都の農業系スタートアップです。

 同社が開発した複合環境制御システムを、現在オムロンがグローバルに展開しています。オーガニックnico側にはオムロンのブランド・信用力を用いたグローバル市場でのマーケティング展開やシステム信頼性の確保、コスト削減などのメリットがあり、オムロン側にも農業という新規分野での知見獲得と、短期間での事業展開というメリットが生まれています。

戦略リターンを生み出す、投資後のフォロー体制

――投資をするうえで、どんな戦略リターンを目指していますか?

 戦略リターンの実現には時間がかかりますし、そもそも何をもって成功とするかは見解が分かれるところです。

 当社の場合、3つの投資対象のうち「①成長ポテンシャルが大きいスタートアップ」については、業界の最先端動向を踏まえ、業界ダイナミズムをオムロンの戦略にインプットすることを目指します。

 そして「②将来的(2~3年後)にオムロンの事業とのシナジーが期待できるスタートアップ」「③既存・新規事業に必須のパートナーとなるスタートアップ」については実際にシナジーを生み出すことを戦略リターンと考えています。

 例えば、DIMAAG-AIとの共創で製品に導入したAI技術は、自社だけでは難しかった精度の高さや開発期間の削減を実現し、定量化できる戦略リターンとなりました。当社では投資先をM&Aした事例はありませんが、ゆくゆくはそうした手法によってオムロンの事業部として成立させることも考えています。

オムロンが自動車部品の無人化検査システムを共同で開発したDIMAAG-AI(Image: DIMAAG-AI)

――投資対象の「③既存・新規事業に必須のパートナーとなるスタートアップ」についてはそもそも協業を前提としていますが、あえて出資をする意味は?

 出資まで行う必要のないケースも多くありますが、Terrals Technologiesやオーガニックnicoなどに対しては、資本面も連携したほうがいいと判断しました。ケース・バイ・ケースですが、事業部側も共創を強く希望している企業には、投資を検討します。

 出資後のフォロー体制についてもお話ししますと、投資対象「①成長ポテンシャルが大きいスタートアップ」についてはスタンダードなVCと同様、基本的に投資担当がサポートし、共創する事業部や顧客になりそうな企業を探していきます。

 「②将来的(2~3年後)にオムロン事業とのシナジーが期待できるスタートアップ」「③既存・新規事業に必須のパートナーとなるスタートアップ」については、投資担当と共創デザインセンタの担当者の二人体制でサポートを行います。さらに③には連携を推進するために事業部担当者が付き、取締役会などにも一緒に出席します。

――CVCの海外拠点がなくても、海外スタートアップへの出資や協業は可能ですか?

 投資後にどこまでフォローしていくかにもよりますが、当社ではLP出資や現地VCとの共同出資を前提としており、彼らと連携しています。直接入ってくる情報も多くあり、特に現地の事業部や買収した会社からの情報は、オムロンの事業を把握しているぶん有益であることが多いですね。

 さらに、メンバーの個人的なネットワークも大切な情報源です。おかげさまで毎日のように、さまざまなつながりから情報や紹介をいただいています。

――年間1000社のスタートアップをスクリーニングし、3~5社に出資とのことですが、出資までの過程や注視するポイントは何でしょうか?

 1000社をスクリーニングした上で、面談を行うのは時間的にも年に二百数十社が精一杯です。その際にスタートアップ側が連携や協業を強く希望した場合は、共創の方向性を検討します。

Photo: kan_chana / Shutterstock

 投資対象「①成長ポテンシャルが大きいスタートアップ」のように多くの企業がアプローチをしている相手の場合はスピードが大事ですので、2週間ほどで集中的に協議し、意思決定します。「②将来的(2~3年後)にオムロン事業とのシナジーが期待できるスタートアップ」に対しては、該当事業部のメンバーやその領域に知見のあるキャピタリストなどに意見を聞きながら、2~3ヶ月で意思決定します。

 「③既存・新規事業に必須のパートナーとなるスタートアップ」に対してはPoCを先行させたり、事業構想を練り上げたりしながら、半年~1年をかけて検討していく、というプロセスです。

――アーリーステージの企業に特化している理由とは?

 CVC設立時の投資枠が30億円であり、最大の目標が世界の最先端動向を知ることだったため、アーリーステージにフォーカスしています。

 ただし、「事業を一緒につくる」「買収につなげる」を目的とする場合は、ミドルステージ以降の企業のほうが適していると思います。そういった方向性についても検討していますし、オムロン本体が投資を行う場合もあります。さまざまな業界・企業への投資を検討するなかで最も重視しているのは、実際にどんなペインポイントを解決できるかですね。

世界を驚かせるビジネス・技術を

――「事業部との連携」が一つのカギとなっていますが、実際に連携していくなかで、井上さんを含む別組織から参加したメンバーが難しさを感じることはないですか?

 時には空気を読まずに進めていくことも必要ですので、オムロンのことを知り過ぎていると逆に難しいかもしれません(笑)。

 ただし、真のシナジーを生むためにはオムロンの事業戦略に精通している必要があり、共創デザインセンタ立ち上げの目的の一つもそこにあります。同センタはある程度の社歴があるメンバーで構成されており、この構成にしたことで、実際に推進力は高まりました。

 オムロンベンチャーズがオムロンを見ながら世界最先端をキャッチアップしていく姿勢であるのに対し、共創デザインセンタはオムロンの事業を理解したうえで世界を見ていくスタンスですね。オムロンベンチャーズと比べて「中」を見る比率が高いですね。

――最後に、井上さんはオムロンやオムロンベンチャーズを通じて、何を実現していきたいですか?

 世界を驚かせるようなビジネス・技術をつくっていきたいですね。スタートアップだけでは実現できず、大企業からもなかなか生まれないようなビジネス・技術をスタートアップとオムロンが共創するからこそ実現させられる、そうした事例を生み出すことで、本当に社会に必要とされる価値を届けていくことができるイノベーションのエコシステムを発展させられると思っています。



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