質問を打ち込むと自然な文章で回答が作成される生成AIの「ChatGPT」が2022年11月30日に公開され、世界中に衝撃が走ってから早1年が経った。「AI革命」と呼ぶべき生成AIなどを巡る最近の目まぐるしい動きの中、「何が大事で、何が大事でないか」という本質を見極めることがビジネスの行方を左右しそうだ。こうした状況に「フレーミング」という思考ツールが役立つと提唱するカーネギー国際平和財団シニアフェローの櫛田 健児氏の講演を紹介する。

※本記事は2023年10月に開催した「New Japan Summit 2023 Tokyo」の基調講演「ChatGPTの衝撃はまだ序章 シリコンバレー発『AI革命』の本質と、日本の価値作りへの教訓」の内容をもとに構成しました。

「近未来ビジョン」の実現のために知っておくべき3つの原則

 オープンイノベーションのマインドセットで大事なのは、「目の前の環境、状況、技術に細かく対応する一方で、世界がどう動き、その流れにどう乗るか、という大局もつかまなくてはいけない」ということです。大局と局所とを、フルスピードで行き来することが大事。その際には、次の3つの大原則を肝に銘じてください。

櫛田 健児
シニアフェロー
1978年生まれ、日本育ち。スタンフォード大学卒、経済学、東アジア研究専攻。カリフォルニア大学バークレー博士号修了。スタンフォード大学アジア太平洋研究所でポスドク修了後、2011年から2022年までスタンフォード大学アジア太平洋研究所日本プログラムリサーチスカラーを務めた。カーネギー国際平和財団シニアフェローで日本プログラムディレクター。シリコンバレーと日本を結ぶJapan – Silicon Valley Innovation Initiative @ Carnegieプロジェクトリーダー。キヤノングローバル戦略研究所インターナショナルリサーチフェロー。東京財団政策研究所上席研究員(客員)。スタンフォード大学非常勤講師(2022年春学期、2023年冬学期)。

大原則1:部分最適化の先に、大きな価値が生まれることはない

 部分最適化は、環境や状況が安定してるときには大変有効です。部分最適化において、日本企業の右に出る者はいないでしょう。ただし、環境の変化が激しく、状況が不安定な場合、「何に向かって最適化するべきか」が定かではなくなります。不確実性が高まるとコスト削減に走るのも王道ですが、その先に新しい価値はありません。

 イスラエルとパレスチナ武装勢力の間で衝突が起こりましたが、ほんの1カ月前まではまさかこうなるとは予想してなかったですよね。ウクライナ情勢、インフレ、新型コロナ、劇的な円安、気候変動とエネルギーシステムのシフト、各種AI、アメリカの大統領選、中国とアメリカの関係、その板挟みにある日本…不確実性しかなく、部分最適化の状況ではないわけです。

大原則2:技術の進展と浸透は、その技術のみの特性にかかってるわけではない

「市場や業界は規制があるからこそ成り立つ」という力学があります。規制がないと自由競争は生まれません。自動運転の歴史もアービトラージ(裁定取引)で進んでいます。

 2016年、「カリフォルニアで自動運転タクシーのテスト走行をする」と発表したUberに対し、カリフォルニア州車両管理局(DMV)は同社の自動運転車両のライセンスプレートを剥奪。一方でアリゾナ州知事がUberを受け入れると発表し、テストはアリゾナ州で行われることになりました。

 2018年の事故をきっかけにUberはテスト走行のプロジェクトを閉鎖しますが、競合他社は続行しました。すると今度は、DMVがルールをつくって自動運転を認可しました。アメリカ連邦政府全体ではまだ自動運転についての法律がない中、DMVがカリフォルニア州内でどんどん進めたわけです。さらに2022年、DMVとは別の行政機関であるカリフォルニア州公益事業委員会(California Public Utilities Commission)が、WaymoとCruiseに「無人状態で客を乗せて課金する」ことを認可しました。

公道で走行するCruiseの自動運転車について話す櫛田氏(TECHBLITZ編集部撮影)

 こうした一連の流れには、「自身の機関の権力を拡大したい」という政治力学が働いています。他の州でも同様の形でさまざまなルールができ、広まっていきました。つまり、技術の進化・実用化は各所が連携し合って穏やかに進むのではなく、至るところでアービトラージし、互いに対立しながら進んでいくのがリアルな姿なのです。

 企業はさまざまな技術を作り、使う。企業は市場競争と業界構造によって動く。市場などを動かすには規制やルールを政府がつくることが必要であり、政府は政治力学で動く。

 この因果関係は両方向に働きます。逆に、政治力学の下にルールや規制ができ、それによって市場競争に変化が起きて企業が戦略を変え、どんなテクノロジーを使うのかを探っていく、というパターンもあります。

テクノロジーや政治力学などの因果関係を図解する櫛田氏(同)


大原則3:近未来ビジョンの実現は社内のみのリソース・考え方では難しい

「近未来ビジョン」とは、ユーザーのペインポイントが解消された状態のことです。

 例えば、お年寄りをデイケアまで送るモビリティだけを作ったとしても、ペインポイントが解消したとは言えません。「家に迎えに来る時間をどう知らせるか」「本人を玄関までどう連れて行くか」「そのタイミングをどう見計らうのか」などが全てクリアにならなければ、ペインポイントの解消にはならないのです。

 モノだけあってもペインポイント解消にはならないし、ユーザーの「こうやってほしい」に忠実に応えることだけがお客様ファーストでもない。「その先」まで見極めることが必要です。

 さらにほとんどの場合、社内のみのリソース・考え方では、近未来ビジョンは実現できません。特に、日本のような減点主義の文化では難しいでしょう。

本質を見極め、選択肢を増やす思考モデル「フレーミング」

 そこで非常に役立つ思考ツールが「フレーミング」です。フレーミングとは思考モデルの一種で、エビデンスや事実関係を整理して因果関係の仮説を作り、物事を理解するためのものです。どのエビデンスや数字を重視するかは、フレーミングによって変わります。

 例えば「EVのフル充電に6時間かかる」という事実があります。「6時間は長いか、短いか」はフレーミングによって変わります。ちなみに私の場合は、オフィスの近くに6時間ほどかけて充電できるチャージャーが大量にあります。朝オフィスに着いたら充電器を差し、仕事が終わったら抜いて帰るだけ。6時間が長すぎることはありません。

 よく「充電時間が長いから、EVは使い勝手が悪い」と言われますが、それは「どんな充電器がどこにあるか」によって変わりますよね。「充電時間を短くするバッテリーさえ作れば、みんなEVを使うか」といえば、そうとも限らない。

「何が大事で、何が大事でないか」がフレーミングです。同じデータでも、フレーミングの違いによって解釈が大きく異なるのです。

 スタートアップとのオープンイノベーションを成功させるためにも、既存の大企業の世界とは違うフレームが必要です。

 例えば、「未上場のスタートアップが利益を出すこと」は良いことか否か。「利益を出せているから良い経営」なのか、「利益分を投資に回さず成長のポテンシャルを潰しているから悪い経営」なのか。フレームによって解釈が逆です。一般的な日本の大企業や経済メディアの考え方は前者でしょうが、シリコンバレーのVCでは後者になります。

 本質を見極めるには、正しいフレーム、あるいは複数のフレームから考えることです。フレーミングが多ければ可能性に対するイマジネーションが膨らみ、選択肢が増えます。既存概念や暗黙の了解をベースに部分最適化するよりも、遥かにいい結果が生まれるでしょう。

 私の昨日の宿泊先にあったテレビのリモコンには、55で数えるのをやめましたが、ボタンがたくさんありました。「多ければ多いほど付加価値が上がる」というフレーミングの産物だと思いますが、逆の場合もありますよね。「シンプル化」とは、高齢化社会において重要だと思います。

 いずれにしても部分最適化ではなく、フレームを変えないことには、新しい価値には永遠にたどり着きません。馬車をいくら良くしても、ガソリン車にはならないように。

「フレームを変える」ことの重要性を説く櫛田氏(同)

 そして、既存企業が既存のフレーミングでしか物事をとらえられない場合、ディスラプションが起こります。ディスラプションは技術的な問題ではなく、フレーミングの問題なのです。既存ビジネスが違うフレームで対応できれば、ディスラプションは起こりません。

 世界的大企業でありながら、2012年に倒産したコダック。同社では、消費者のカメラ使用頻度をフィルム現像枚数でカウントして、年次報告書に上げていました。デジタルカメラ発売後も「何枚プリントしたか」という既存のフレーミングに当てはめました。今でこそ笑い話になりますが、当時であればどうでしょう?カウント方法の変更にはトップの理解やサポートも必要であり、組織論にもつながってくるわけです。

 だからこそ、さまざまなオープンイノベーションを試していろいろなフレームを取り入れるのが大事なのです。スタートアップは新しいフレームで物事を考えられますし、既存のフレームにとらわれない動きができます。既存企業と同じことをやっていても絶対に勝てないから、違うことをやる。Teslaが好例ですよね。

 大企業はスタートアップに何を求めていますか?部分最適化の手助けでしょうか。それとも新しい価値を生み出すことでしょうか。スタートアップは大企業の小さいバージョンではないし、大企業はスタートアップを大きくしたものではありません。スタートアップはビジネスモデルが確定していないテンポラリーな組織であるのに対して、大企業はリピータブルでスケーラブルなビジネスを実行するためのパーマネントな組織です。

 そこで、「両利きの経営」の重要性が高まるわけです。多くの日本企業の場合、シオマネキのように片方のハサミ(主力事業)がものすごく大きくて、もう片方(新規事業)が小さい。それでいいのですが、「それぞれでKPIや測り方が異なる」ということを認識しておかないとうまくいきません。

image: 櫛田 健児氏

正しいフレームでAI技術を見極め、ビジネスに活かす

 AIの理解にも、新しいフレームが必要です。ちなみに「AI」という学術分野は、そもそもありません。研究が進んでる領域は個別の学術名が付けられており、未開発の領域が「AI」としてまとめられているのです。さらに「AI」と名付ければウケがいいということで、AI製品が頻出しているわけです。

 1966年に出た「最初のAI」とされているものはチャットボットでした。その後も「AI」とされるものは、下表のように変わってきた流れがあります。

image: 櫛田 健児氏

 また、今は情報処理能力が非常に豊富で、無駄遣いできるからこそ、進化も早いわけです。OpenAIが2022年に出した5億ドル以上の赤字のほとんどは開発費によるものでした。ただ、昨年時点の処理能力は数年前より激増しています。GPUだけ見ても2019年の7倍のコストパフォーマンスですが、実際にはソフトウエアの効率化などにより、倍々ゲームのように向上しています。

「2016年のモデルを部分最適化して燃費が3%上がった」というレベルの話ではありません。もっともっと速いバージョンを大量に、ポケットマネーで買えてしまうほどです。繰り返しますが、「部分最適化をしている場合ではない」のです。

image: 櫛田 健児氏

「パラメータを増やせば生成AIはさらに良くなる」というのが今までの論理でしたが、これからはシンプル化も重要になってきます。シンプル化に情報処理能力の飛躍的な向上が加わったら…。可能性がさらに大きく広がることが、お分かりいただけるのではないでしょうか。

 一方で、現段階のChatGPTは得手・不得手があります。「人間ができないこと、あるいは大変なことをサクッとできる」と過大評価になりやすく、「人間ができることがあまりできない」と過小評価にもなりがちです。客観的な評価には、まず得意領域と不得意領域を理解することが大事なのです。技術ではなく、基盤モデルの問題です。

 どの情報を使うかによって答えが変わってくるものであり、これが大きなリスクにもなります。たとえば、「ケニア生まれ」という疑惑が出たオバマ前大統領が、アメリカでの出生届を公表したことがありました。ChatGPTがフェイクニュースサイトから情報を取った場合、「ケニア生まれである可能性は否定できない」となります。ChatGPTのミスリードにより、不幸な世論が生まれてしまう恐れがあることも、生成AIの危険性の一つです。

 そういったことを防ぐためには生成AIのプラットフォームが必要ですが、どんなプラットフォームを、どこが作り、どう管理するのか。この辺りが、まだまだ見えていません。議論がどう進むのかも不明確。ビジネス領域の覇権争いがまだ続いているし、競争の土俵も固まっていない。できないこととできることも、変化していく。さらに、生成AIの実用化には、専門家でない人たちが上手に活用できる環境を提供することも必要でしょう。



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