いま“インドのシリコンバレー"と言われるバンガロールには、大手グローバルIT企業がこぞって開発拠点を設けている。なぜ大手グローバルIT企業は、インドに注目しているのか。元ソニー・インディア・ソフトウェア・センター社長であり、『インド・シフト』を出版した武鑓行雄氏に聞いた。

※本記事は2018年5月24日に開催されたイベント「なぜグローバル大企業はバンガロールに注目しているのか」の講演を編集したものです。

武鑓 行雄
元ソニー・インディア・ソフトウェア・センター社長
元ソニー・インディア・ソフトウェア・センター社長。ソニー株式会社で、VAIO、コンシューマーエレクトロニック機器などのソフトウェア開発、設計、マネジメントに従事。途中、マサチューセッツ工科大学(MIT)に1年間の企業留学。2008年10月、インド・バンガロールのソニー・インディア・ソフトウエアセンターに責任者として着任。約7年にわたる駐在後、2015年末に帰国し、ソニーを退社。帰国後も、インドIT業界団体であるNASSCOMの日本委員会の委員長として、インドIT業界と日本企業の連携を推進する活動を継続している。著書に、「激動するインドIT業界 バンガロールにいれば世界の動きがよく見える」(カドカワ・ミニッツブック)、「インド・シフト」(PHP研究所)がある。

17年間で20倍成長したインドのIT業界

 まずインドのIT業界がどうなっているか、俯瞰して見てみましょう。2000年ごろ、8000〜9000億円のビジネス規模だったのが、いまは16〜17兆円規模になっています。つまり、この17年間で、約20倍にも伸びているわけです。日本のITサービス産業の成長はほとんどフラットですが、インドのIT産業は右肩上がりでずっと伸びてきている。世界の景気がいい時も、逆に悪い時も、結局インドへのIT開発のアウトソーシングは増え続けています。

 ただ、日本のIT業界の方とお話しすると、インドへのアウトソーシングに否定的な考え方を持っている方が多いのですが、これはグローバルな認識とは異なっています。そういう状況だったら、このように右肩上がりには伸びていないわけです。

 インドへのアウトソーシングは世界的に見て、約56%を占めています。雇用人員でいうと約370万人。日本のIT産業は90万人と言われていますから、約4倍の規模になります。インドのIT産業の相手国は62%がアメリカで、次に多いのがイギリスで17%、そのあとヨーロッパ11%、APAC(アジア太平洋)8%、その他が2%です。日本向けビジネスは「その他」の中に入っており、1%以下です。ですからインドのIT産業から見ると、日本向けは極めて少ない。日本側から見ても、インドはあまり使ったことがないが、欧米勢は圧倒的な規模で使っているという状況にあります。

グローバル企業はインドで何をしているのか?

 グローバル企業が続々と開発拠点をインド、特にバンガロールに置いています。だいたい社内向けの開発拠点ですから、具体的に何をやっているかは公開されていません。ただ、実際はかなりR&Dや製品開発を行っています。

 具体的な社名を言うと、インターネット関係で言うと、マイクロソフト、グーグル、アマゾン、オラクル、SAP、アドビシステムズとか、誰もが聞いたことのある会社ばかりです。それからITサービス企業も、IBM、アクセンチュア、それから半導体関係企業もほぼ網羅しています。以前は、本社のサポート業務が中心でしたが、最近ではコアのチップセットそのものをインドで設計しています。

 それから通信ネットワーク機器では、シスコとかジュニパー(JUNIPER)、エリクソン、ファーウェイなどの拠点があります。電機、自動車、産業機械でいうと、ソニーもあるのですけれど、フィリップス、サムソン、ボッシュとかメルセデスベンツ、ハニウェル(Honeywell)、GEとか、グローバルなメジャープレーヤーはバンガロールに開発拠点を持っています。

小売企業や金融企業もバンガロールを活用

 小売もあります。アメリカのウォルマート、ターゲット、イギリスのテスコ(Tesco)とか、最近ですとヴィクトリアズシークレットとかローズとか、JCペニーなども開発拠点を立ち上げています。例えば、ターゲットはインドで2800名くらい雇用しており、「バンガロールが第二の本社だ」と言っています。でも実はターゲットはインドに一軒もお店はないのです。何をやっているかというと、例えば、デジタルマーケティングをやっています。ターゲットの本社はアメリカのミネアポリスなのですが、ミネアポリスでデータサイエンティストを探してもなかなか見つけられない。だから、インドで優秀な人材を集めて育てて活用しています。ウォルマートも「Everyday Low Price」という戦略をとっていますが、価格を決定するためのプラットフォームをインドで開発しているそうです。最近、小売もアマゾンと熾烈な競争をしていて、そういう中でデータ分析をインドで行うという流れがあります。

 金融関係も多くの企業が拠点を持っています。2015年にはビザ(Visa)が開発拠点を設置して、一年で一気に1000人くらいのチームを立ち上げています。ビザもフィンテックが出てくることで、クレジットカードがいらなくなるかもしれないわけです。そういう意味で、モバイルペイメントの開発であるとか、ブロックチェーンのPOC(Proof of Concept)をバンガロールでやると発表しています。ブロックチェーンは非常に話題になっていますが、考えているだけでは何も出てこないので、やっぱりプロトタイプを作って試行錯誤するというプロセスが必要なのです。そこにインドを活用するといった動きが出てきているわけです。

1000人単位で優秀な人材を採用できる、唯一の場所

 中国の通信機器メーカー、ファーウェイも、2015年に5000人規模のキャンパスをつくりました。古くからバンガロールに拠点をもっていたのですが、新たに投資をして巨大な立派なキャンパスをつくりました。でも考えてみると、中国勢なのでわざわざインドにくる必要はないわけですよね。中国にも若くて優秀な人がたくさんいますから。なぜ彼らがわざわざバンガロールに来るのかというと、通信系技術者を1000人単位で集められる地域だからです。もともと通信機器メーカーの開発拠点がありますし、ITサービス会社が通信系の開発もしています。やはり人材獲得という観点でみると、唯一のチョイスがバンガロールになってしまうのです。

 グローバル企業の開発拠点というのは、もともとインドビジネスは全く関係なかったのです。あくまでもグローバル製品の開発の一部をインドでやっていたのですが、最近では、製品によっては全てインドで開発できるようになってきています。そういった状況でインド市場が拡大し始めると、当然、インドを始めとした新興国向けの製品開発はインドで行われるようになっています。また、技術革新がどんどん進む中で、データサイエンティストとかAIのエンジニアは先進国でもあまりいません。そこで、多くのグローバル企業はインドで優秀な人材を確保して、新たにトレーニングをしてそういった技術開発を進めていくというトレンドが出てきています。

スタートアップブームを支える3つの背景

 インドのIT産業というのは世界を相手に伸びてきていて、グローバル企業の開発拠点もたくさんあるので、そこで働く人たちはグローバル製品開発能力を身につけています。そういう人たちが、インド市場に事業機会を感じて起業に走り、今まさにインドはスタートアップブームになっています。

 スタートアップの状況を数字で紹介しますと、アメリカが圧倒的に多くて5万2000社から5万3000社ということです。2番がイギリスで、3番がインドということになっています。しかし、おそらく今の時点で、インドはすでにイギリスを抜いて、アメリカに次ぐ数になっていると思います。過去の例を見ますと、2010年には480社しかいなかったスタートアップの数が、6年足らずで10倍の数になっている。さらに今後は1万社を超えると言われており、ものすごい勢いでスタートアップが増えています。

 その背景の一つは、いろいろな意味でエコシステムができつつあるということです。例えば、バンガロールに拠点を持つグローバル企業がアクセラレータプログラムを運営していて、スタートアップを支援することで自社のイノベーション戦略に活用し始めています。

 二つ目の背景は世界的なベンチャーキャピタルがたくさんバンガロールに来ていることがあります。アメリカで有名なVCであるアクセルパートナーズやセコイアは日本には来ていないですけれど、インド、バンガロールには来ているのです。また、インドのITサービス企業、トップ5のような企業が数百億円規模のファンドをもって投資をしています。

 三つ目の背景はエンジェル投資家が多いこともあります。インドのIT産業を起ち上げた方々が最近どんどんリタイアされています。彼らは基本的には世界を相手に活躍された方々です。色んな形でスタートアップに対する支援とか、エンジェル的な動きをしているということで、お金以上に彼らの経験がインドのスタートアップをかなり成長させているように思います。また、アメリカで成功したインド人起業家たちもインドのスタートアップを支援しています。

 すでにユニコーンになっている会社も10社くらいあります。ユニコーン企業の半分くらいはバンガロールにヘッドクォーターをもっています。ユニコーン企業の中でも人材獲得という意味で優位なので、成長フェーズで拠点をあえて他の地域からバンガロールに移すケースもあります。

インド版マイナンバー「アーダール(Aadhaar)」はインド発のイノベーション

 インドでは戸籍や住民票などがなく、貧困問題などを解決するために、個人にIDを振るというプロジェクトが2009年から始まりました。どうやるかというと、指の10本の指紋と目の光彩を採取して、12桁の番号を発行します。そして、指紋や光彩の生体認証することで、自分がこの12桁の番号であるという自己証明ができる仕組みをつくりました。インドの人口はいま13億といわれていて、すでに12億人がこのID登録をしています。日本の場合、銀行に本人が行っても、免許証や保険証がなかったらダメですよね。インドの場合は指の指紋、もしくは目の光彩で自分が証明できる、そういったことを実現しています。

 さらに「インディア・スタック」という公的な基盤も開発されています。基本的には四つのレイヤーにわかれていて、APIが全部公開されています。ですから色んなディベロッパーがアプリケーションを開発できる構造になっています。四つのレイヤーというのは、プレゼンスレスレイヤー、ペイパーレスレイヤー、キャッシュレスレイヤー、コンセントレイヤーですが、興味深いのがキャッシュレスレイヤーでUPI、Unified Payment InterfaceというAPIが公開されていまして、これを使ってアプリケーションを書くと、銀行から銀行のトランザクションがほぼ無料で、リアルタイムでできます。

 もうひとつ面白いのは、一般にネットサービスを使っていると、個人のデータは勝手に取得されてしまいますが、この「インディア・スタック」のコンセントレイヤーでは、個人データは個人に所属するという概念になっています。ですから必要に応じて自分がこのデータを見ていいですよと許諾することができる、そういう仕組みが組み込まれています。

 さらにこのソフトウェアの開発そのものが、ハドゥープ(Hadoop)やMySQLなどのオープンソースの技術が活用されています。日本でこのような開発をすると、どこかのSlerがクローズドなシステム作ってしまうのですが、それだと進化が止まってしまいます。「レイヤードイノベーション」という言い方をするのですが、レイヤーを分けて、できるだけオープンソースを活用することによって技術変化に対応しようと考えています。

 一昨年、高額紙幣が突然と廃止され、政府系や銀行系のモバイルアプリが導入され、一気にキャッシュレス化が進み始めています。中国ではアリペイ(Alipay)とかありますが、インドでもペイティーエム(Paytm)、モビクイック、フリーチャージとかQRコードで買うというのも急速に普及しています。インドでは、さらにスマホがなくても指一本で買うことも技術的に可能となっています。

 インドが圧倒的に違うのは個人認証の仕組みを政府が用意していることによって、そのうえにアプリケーションを構築できるということです。彼らが目指しているのはキャッシュレスで、ペーパーレスで、プレゼンスレスの実現なのです。日本ではできていないことを、インドで今チャンレンジしようとしています。必ずしも一直線には進まないと思いますが、コンセプトとしてはすごく進んだ考え方になっています。インドは色んな意味で多様性もありますし、一方で色んな制約も多い。さらにIT人材がたくさんいる。そういった条件をみると圧倒的にイノベーションが起こしやすい環境になっています。

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