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※日本の研究開発(R&D)において課題に挙げられる「自前主義」や、事業化・市場投入で直面する「死の谷」を越えて、イノベーションのエコシステムを創出するには何が必要か。企業や大学VCの取り組み、政策などを通してヒントを探り、「進化するR&D」の姿を紹介する。
井上会長が感じていた課題意識とトップダウン
日本でもすっかり定着したオープンイノベーションという言葉。技術の研究や製品・サービスの開発、組織の改革などにおいて、自社以外の組織などが有する知識やノウハウ、技術を活かして、企業の枠にとらわれない事業の促進や創出を目指すものだ。
米田氏は「TICはオープンイノベーションというよりも『協創』を掲げています。社内外との協創によって、世界ナンバーワンの技術力を構築し、超差別化商品による事業拡大と、革新技術によって新たな価値を創出する取り組みを実現して、ダイキングループの持続的な成長発展に貢献することが狙いです」とTICのミッションを語る。
TICの設立は2015年だが、その構想は2003~2004年ごろに遡る。現在、取締役会長兼グローバルグループ代表執行役員の井上礼之氏から「グローバルを見据えた研究開発、R&Dのコア拠点の必要性を掲げ、検討せよ」という指示があったという。
「当時、井上が考えたことは、これからグローバルな環境変化がより一層加速する中で、自社だけの研究開発と事業創出ではスピードが遅くなること、そして社会課題の解決においてもダイキン工業1社で成し得ることはそれほどないだろうということでした。そこで、さまざまな企業や大学、研究機関とオープンな環境で連携し、社内外の知恵を融合することによって、新たな価値を創り上げる協創(Co-Creation)が必要だということになり、その考え方を技術開発の中心に据えました」と米田氏は説明する。
井上氏のトップダウンで、TIC設立に向けた準備室が立ち上がった。途中、リーマンショックがあり、その実現には12~13年の年月がかかったが、「それほど長い期間をかけて練りに練った構想を実現してTICを開所したのが2015年になります」と米田氏は振り返る。
井上氏は総務人事畑が長く、技術系の人間ではない。だが、「やはり先見性というか、当時からR&Dに対して一貫していて『これから会社が持続的に成長するには技術しかない。自前でやっていても追い付かないくらい変化が速い』と認識していました」という。
「自前・秘密主義」「内向き志向」からの脱却
では、以前のダイキン工業におけるR&Dの体制はどうだったのか。米田氏によると、社内には機械系、化学系、電気系、情報通信系の研究部門がそれぞれあったという。
「当時の構図で言うと、専門性を極めていくための研究開発で、悪い言い方をすると『専門領域の尖った研究開発テーマをどのようにつくるか』というのが研究所の体質になっていました。個人個人が中心で、これも言い方が悪いかもしれませんが、『内向き志向』でした。会社の事業や業績に関係なく、自分たちが実現したいことを優先してやってしまうという部分もあったと思います」
そこから世界ナンバーワンの技術力とイノベーション創出に向けたトップダウンの下、「自前主義や秘密主義の開発をもうやめようということになり、TICは協創を中心に据えました。TICは『技術と商品開発のハイブリッド型』に取り組み、従来の事業部門の先行開発の位置付け、研究開発の側面もありつつ、より事業への密着、事業貢献を意識しています」という。
ダイキン工業のR&Dを牽引するTICの社員数は現在、約840人。「以前は与えられた研究開発テーマを遂行していくことが多かったのですが、TICはテーマを完成させていくことはもちろん、外部と一緒にテーマを『創る』、事業部門と一緒にテーマを『創る』という部分に力を入れています」と米田氏は語る。
TICの研究開発テーマの総数は460に上る。内訳は、外部の企業やスタートアップと共に取り組んでいるテーマの数が190で、そのうち、約40テーマをスタートアップと連携している。130テーマは大学や研究機関と、140テーマは自社開発で取り組んでいる。
「我々がやろうとしているビジョン、技術をオープンにして、アイデアや取り組むテーマをパートナーと一緒に創ることからスタートしています」
多くの開発テーマを成果に結び付けていくために、TIC内の戦略室が事業部門への移管率などデータを管理しながらその都度、優先順位を付けて進めているという。
「当社の顧客や市場もグローバルに拡大しています。その中で外部との信頼関係を築きながら成果につなげていくR&Dに向けて、コーディネートを中心に、開発テーマ数を増やしながら取り組み内容を強化させてきました」
Image:ダイキン工業
「交流」から始まるイノベーション 外部との信頼関係構築を重視
米田氏はダイキン工業の協創は「交流」からスタートすると強調する。
「よくありがちなのが『困りごとがあるので解決してください』と大学の先生にお願いに行くというやり方ですが、私たちは普段から社内外と交流し、お互いが意気投合して社会実装や大きなイノベーションにつながることを一緒に取り組みましょう、というところからスタートします」
TICには、そういったアイデアの出し方やテーマ探索を意識した「ハード」としての工夫もちりばめられている。施設内には、「知の森」と呼ぶ共有交流スペースや、ダイキンのコア技術・先端技術を展示し社外パートナーと実物に触れながらテーマづくりの議論を深めるオープンラボ、社員が部門を越えて気軽に議論できる「ワイガヤーステージ」など、開かれた場所でフラットに交流できる場所がいくつもある。オフィス自体も、仕切りのない大部屋の執務室で、技術者同士が渾然一体となってコミュニケーションを図れるようになっているという。
ほかにも、集中して議論ができる会議室や、4カ国語の同時通訳が可能な円形講義室、粘土や3Dプリンターを置いたプロトタイピングコーナー、大学の研究者や各界のオピニオンリーダーらが滞在して技術指導や戦略立案などに取り組めるフェロー室など、アイデアを出し合い、議論する場もある。もちろん、最先端の設備を備えた実験室も多数、設けられている。
「学会や講演会、シンポジウムなどで知り合った方などに『TICに来てお話しませんか』『ダイキンがR&Dのイノベーションセンターを作りましたので、よろしければぜひ一度見学に来ませんか』と来て頂くというところから交流がスタートすることが多いですね」
R&Dのコア拠点ができたことで、社内外のコミュニケーションやネットワークが広がり、かつ自社の取り組みをオープンにすることで互いの信頼関係を築きやすくなっているようだ。
「TICを訪れれば、ダイキン工業がどんなことをやろうとしているかというビジョンや、開発中のテーマについてお話ができます。そこから信頼関係といいますか、お互いの出会いから一緒に何か大きなことをできないかと自由に議論が始まります」
「従来の研究所は実験室を何室、会議室を何室設けておしまい、という感じでしたが、TICは来客向けの食堂など、普通のR&D施設とは違う、人との交流やつながりを大切する空間を作っているんです」と米田氏は胸を張る。
Image:ダイキン工業
技術者の情熱が実を結んだDK-Power 失敗をとがめない社風とは
TICの開発テーマから事業化に至った第1号案件であり、ダイキン工業の関連会社として2017年に設立したのが、DK-Power(ディーケーパワー)だ。マイクロ水力発電システムを用いて発電事業を展開する。ダイキン工業がこれまで培ってきた省エネ技術を応用した再生可能エネルギーによって、「創エネ事業」に取り組んでいる。では空調機メーカーのダイキン工業から、なぜ発電事業が生まれたのか。
米田氏によると、DK-Power設立の立役者、沢田祐造氏(元テクノロジー・イノベーションセンター専任部長)は元々、ロボット事業部の部長だった。ダイキン工業では当時から、モーターやインバーター、メカトロニクスなどを組み合わせた省エネの研究開発に取り組んでいた。「沢田はこれからの環境問題においてエネルギー問題は一層深刻になる、環境にやさしいエネルギーが必要だと考えていました。空調機はエネルギー消費が大きく、けしからんと言われたりもしますが、沢田はエネルギーを使うばかりではなく、エネルギーをつくる方に情熱を持って取り組みました」と米田氏は説明する。
国の政策に関連する文献やさまざまな資料などを精査し、ダイキンが持っているテクノロジーを応用できるマイクロ水力発電に考えを集約させていったという。
2012年、空調・油圧機器の省エネ商品開発で培った技術を応用した小型で低コストのマイクロ水力発電システムの開発を着想。2013年に、マイクロ水力発電システム開発検討チームを発足し、環境省のCO2排出削減対策強化に向けた技術開発・実証事業に採択され、システムの開発をスタートした。その後は産官学との協創に取り組むTICを中心に、環境省の委託事業として研究開発に取り組み、自治体との協業にも取り組んできた。
Image:DK-Power HP
DK-Powerのビジネスモデルは、自治体の水道施設の水道管に同社のマイクロ水力発電システムを接続することで、未利用だった水力エネルギーから電気をつくり出し、管理・運用・売電を担う。既存の水道施設に設置するため、新たに大規模な施設を建造する必要がなく、各地の水道施設に普及する可能性があるという。
米田氏は「ダイキンはバイタリティあふれる社員の行動力によって業績を上げている会社です。DK-Powerも5年間で10億円近い売り上げを達成するところまで来ました。比較的、速いスピードで立ち上がったと思っています」と説明する。
空調機メーカーが新たにエネルギー事業に進出することに、社内の反対はなかったのか。
米田氏は「多くの人が反対しました。でも、会長の井上は技術者がやりたいと言ったことに対しては、絶対反対しません。『失敗するだろうけどな、思い切ってやってみなさい』というふうに言われました。『技術開発まではできても、事業化するのはそんなに簡単なものではない』と言いつつも、認めてくれました」
井上氏だけでなく、創業者の山田晁(あきら)氏の時代から、ダイキン工業は情熱を持つ社員には思い切って任せてみる大胆さと、前向きな失敗はとがめない社風があり、その上で「言ったからには最後まで責任を持ってやり遂げる」というDNAがあるという。
「何かあったときには皆が集まって対応できる、すごくフラットな社風、組織だと私は思います。それを支えているのはバイタリティあふれる行動力を持った社員です。失敗したとしても『次の教育費になるなら安いもんや』と、井上はよく言ってくれます。それに甘えてはいけませんが、やはりいろいろな失敗はあると思います」と米田氏は語る。
失敗から見えてくることは何か。「失敗経験を活かせる人の方が、次に成功する確率が高いです。技術開発は全部が全部、成功するとは限りません。ですが、やはり大事なことは、二塁打をコツコツ打ち続けることだと私は思っています。ホームランを狙って三振ばかりでも駄目ですが、まずはバッターボックスに立たないと始まりません。三振したとしても、次に何かつながる、失敗を糧にチャレンジして次は必ず成功する、という信念がある人の多い会社だと思っています」と話す米田氏。
そんなダイキン工業が経験した「失敗例」とはどんなことか。後編で紹介する。
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