北米におけるクボタの強みやスタートアップとの協業の狙いについて、Kubota Innovation Center Silicon Valley(ICSV)General Managerの長谷川 幸司氏に聞いた。
アメリカでの「クボタの強み」を活かす
1890年に鋳物メーカーとして創業したクボタは、水道管、ディーゼルエンジン、農業機械など、時代に合わせて新たな製品を生み出してきた。現在は120カ国以上で事業を展開。海外の売上比率が約7割を占め、連結売上高は2兆円超に上るグローバル企業だ。売り上げ全体の8割強が農機・建機等の機械、2割弱が水環境関係のビジネスとなっている。
長い歴史があるクボタがオープンイノベーションに挑む理由は何か。
長谷川氏は「経営陣はこれから事業をどんどんシフトしていかなければという危機感を持っていました。世の中のニーズの変化、あるいはシェアリングエコノミーなどといったビジネスのあり方自体が変わる可能性もある中で、有識者やVCなどの社外のパートナー、スタートアップ等と、クボタ社内が連携しながら、新しい事業づくりをやっていこうと立ち上げたのがイノベーションセンターです」と説明する。
2019年に株式会社クボタに入社、シリコンバレーを中心とするAgTechスタートアップへの出資や協業推進による、北米における農業分野での新規事業創出を手掛けている。2021年5月よりシリコンバレーに駐在、Innovation Center Silicon ValleyのGeneral Managerを務める。
ICSVは現在、AgTechのスタートアップへのマイノリティ出資と成長支援を主に展開している。AgTechとは、AIやビッグデータをはじめとしたIT関連の最新技術を農業に応用させ、これまでの農業のあり方に革新をもたらす技術やサービスを指す。自動化、省人化における新技術と掛け合わせた、日本ではいわゆるスマート農業と呼ばれる分野だ。
ICSVの注力領域は、アメリカでSpecialty Cropsと呼ばれる果樹や野菜などの園芸作物だ。この領域のAgTechに力を入れる理由は、アメリカという主要市場でのクボタの戦略と重なる。
Image:Kubota Innovation Center Silicon Valley
トラクターをはじめ、稲刈りや田植え用機械などの幅広い農機を製造・販売しているクボタ。アメリカではユーティリティービークルや芝刈り機械などの需要も高いという。
長谷川氏は「アメリカにおいて、クボタは小型・中型のトラクターなどの販売がメインです。中でも、果樹や野菜栽培の領域で高いシェアとプレゼンスがあります」と説明する。世界最大の農機メーカーの米Deere & Company(ディア・アンド・カンパニー)が大豆や小麦、トウモロコシといった広大な農地で作業できる大型農機を展開するのに対し、クボタは比較的小規模の生産者の多いSpecialty Cropsの領域でプレゼンスを高めてきた。
その上で、Specialty Cropsの主要産地であるカリフォルニア州などにおいて、生産者のペインポイントになっているのが、人件費と水コストの増大だ。
人件費と水 生産農家のペインポイントに着目
Specialty Cropsの栽培は人件費の割合が高い労働志向型で、カリフォルニア州では最低賃金の上昇などで人件費がより一層、生産農家に重くのしかかっている。「加えて、水の問題があります。ご存知の通り、カリフォルニアでは干ばつが進み、水不足が悪化しています。水道代が上昇するなど水コストがどんどん上がっています」
これら生産者が直面する課題に対して、テクノロジーを活かしたソリューション提案というビジネス拡大の可能性が広がっている。
Image:Kubota Innovation Center Silicon Valley
「現状手作業で行っている収穫・除草等の自動化による人件費低減、適切な水やりで水の使用量や電気代の削減につなげる灌漑(かんがい)マネジメントや、これまで人が農地の中を回って作物の状況をチェックしていた植生モニタリングを最新技術を用いて効率・高精度化することによって作物の収量を増やしていくといったソリューションが求められています」
生産者のペインに着目し、省人化や機械化、自動化によって、人件費や水コストの抑制につながる新しい技術を持つスタートアップの探索活動と協業を進め、最終的に事業化を図る。それがICSVの狙いだ。
「日本と同様、米国でも、重労働かつ儲からないことを理由に農業従事者はどんどん減っています。ですので、生産者にとって効率的でサステナブルな農業を実現していくことで、我々もアメリカの社会に貢献していく必要があると考えています」
イノベーションセンターが出資したアメリカのスタートアップには、イチゴ・リンゴの自動収穫ロボットを開発するAdvanced Farm Technologiesや、灌漑(かんがい)および肥料の量の最適化と収穫量最大化のための一体型プラットフォームを開発するFarmX、コンピュータービジョンとAIを活用した植生モニタリングサービスを提供するBloomfield Roboticsなどがある。ICSVのポートフォリオとして、5社に出資している。
Image:Kubota Innovation Center Silicon Valley
CVCを作らなかったイノベーションセンターの組織体制とは?
では、クボタはどのような体制でスタートアップへの出資や協業を進めているのか。
イノベーションセンターは社長直轄組織で、各事業部門、コーポレートと連携しながら運営している。所長と副所長は専任ではなく、既存の事業本部・研究開発部門のトップが兼務する形だ。「これによって各事業本部や研究開発本部との連携をうまく進めていくことが狙いです」と長谷川氏は説明する。
スタートアップへの出資については、「イノベーション戦略出資枠」を設けて本社からの直接出資としている。CVCではなく本社直轄の戦略出資枠を設けた経緯について、長谷川氏は「いろいろな議論がありましたが、最終的に我々としてはキャピタルゲインではなく、あくまで戦略的リターンを追うために最適なスキームを採択することにしました。もちろんCVCをつくって取り組むメリットもありますが、我々の狙いとメリットが一致しなかったので、無理にCVCをつくらなくても本社からの直接出資でいこうという結論に至りました」
出資の意思決定にスピード感を持たせるため、案件毎に本社の取締役会にかける必要はなく、イノベーションセンターの所長、副所長の合意と決裁があれば、出資できるような仕組みを構築した。案件によって決裁にかかる時間は変わるが、2〜3カ月では回せる流れになっているという。
Image:Kubota Innovation Center Silicon Valley
デューデリジェンス(DD)は事業的な側面はイノベーションセンターが行い、技術面は研究開発本部と、契約書関連は法務部との連携で進めている。「研究開発本部においてもスタートアップとの取り組みを進めていくためにイノベーションチームを発足し、そこからスピンアウトする形で2022年2月にシリコンバレーにもチームを置いていますので、彼らと連携しながら技術面でのDDを行っています」
スタートアップとのオープンイノベーション活動として、まずイノベーション戦略に合致したポテンシャルの高いスタートアップの探索・評価を行い、出資。その際に戦略的な協業推進のため、取締役会へのオブザーバー派遣や共同開発等に関する権利についてMOU(了解覚書)を交わす。その後もスタートアップとの関係性強化と成長支援に力を注ぎ、クボタのアセットを使いながらスタートアップをスケールアップさせていく流れだ。最終的には、M&AやJV設立も含めたクボタとしての事業化を実現していきたい考えだ。
Image:Kubota Innovation Center Silicon Valley
外部の知見とコネクション、ネットワークを活かす
ICSVは現在、取り組みの方向性として、(1)機械化・自動化、並びにデータ活用による人件費削減、(2)精密かつインテリジェントな灌漑コントロールによる水コスト削減、(3)先進的なデータ収集・解析による収量最大化と作物品質の向上、の3つを掲げ、これらの実現につながるスタートアップ探索や協業に取り組む。
とはいえ、イノベーションセンターの活動開始当初は、シリコンバレーのAgTechのスタートアップをはじめとするエコシステムとの関係やネットワークはなかった。そこで、パートナーとして選んだのが、AgTechやFoodTech領域を専門とするSVG Ventures(所在地:米カリフォルニア州ロスガトス)が運営するアクセラレータープログラム「THRIVE」だ。
THRIVEは、スタートアップのピッチイベントやアクセラプログラムの運営をはじめ、プログラムにおける優秀スタートアップへの出資、AgTech / FoodTech領域の有力スタートアップを選定する「THRIVE Top 50」の発行、パートナー企業の戦略策定支援、戦略に沿ったディールソーシング支援など、幅広く展開する。THRIVEとのパートナーシップによってこの領域のエコシステムに入り込み、プレゼンスを高めていく活動をICSVは続けている。
長谷川氏自身もピッチイベントの審査員やアクセラプログラムのメンターを務めたり、イベントやウェビナーに登壇したりと、露出を高め、クボタの取り組みを発信している。2022年11月にはTHRIVEが開催した300人規模のサミットにも登壇した。また、THRIVEプログラムにおける優秀スタートアップに対してSVG Venturesとの共同出資も行っている。
「THRIVEとの活動を通して、様々なスタートアップと繋がることができ、生産者とのコネクションも増え、我々の活動が回りやすくなっています。プレスリリースを出すだけではなかなかリーチできない方々にも、THRIVEのイベントなどでクボタのブランドやシリコンバレーでの活動をPRし、その結果、多様なプレーヤーとの連携を加速する作用が働いています。当社のコアパートナーになり得るプレーヤーや生産者とのコネクションがTHRIVEとの協業を通じて出ているメリットだと思います」
Image:Kubota Innovation Center Silicon Valley
THRIVEには、ヤマハ発動機(本社・静岡県)も参加しており、イチゴ自動収穫ロボットを開発するAdvanced Farm Technologiesには、クボタと共に出資を行っている。農業分野におけるオープンイノベーション活動を通し、日系大企業同士の連携もシリコンバレーで実現している。
また、ICSVの出資先の1つ、Parcel THRIVEはSpecialty Crops向け総合プラットフォームを提供するスタートアップで、THRIVEの代表が参画している。
長谷川氏は「Specialty Cropsの分野でも現在、用途・目的別に多くのソリューションが提供されており、各用途に応じたソリューションを一元管理でき、データ連携することで全体最適化したいというニーズも生まれています。その胴元になるようなプラットフォームサービスを提供しようとしているのがParcelであり、最終的に我々の農機との連携を目指したプラットフォームをつくっていきたいと考えています」と狙いを語る。
シリコンバレーにおいて、スタートアップ側から「クボタに出資してほしい」というニーズは強いという。「当社は特にSpecialty Cropsにおいてアメリカでのプレゼンスが非常に高いため、スタートアップ側がクボタのカラーをむしろつけたいという感じです。クボタが出資するよってことで、彼らのブランドを高めることにつながります」
優れた技術を持つスタートアップでも、ゼロからの営業で生産者の信頼を得るのはなかなか難しい。そこでクボタからの出資というバックアップによって、生産者からの信頼や契約を得やすいというメリットをスタートアップ側も見込んでいる。また、メンテナンスサービスや量産化に向けてクボタのアセットを使いたいというニーズも高い。
「ロボット、土壌センサーやカメラなどハードウェアベースのスタートアップにおいて製品導入が広がった後は、メンテナンスなどのサービスが必要になります。スタートアップ側だけではなかなか対応できない部分ですが、クボタにはディーラー網がありますので、そのディーラー網を活用できないかという狙いもスタートアップ側にあります」
「あとは生産、設計のところですね。スタートアップには尖った技術はありますが、量産を見据えたときにハードウェアの設計のところでまだまだ改善すべきポイントがあることを、彼らも自覚しています。量産化の支援において、クボタが長年培ったハードウェアの設計・生産の技術やノウハウをベースにサポートしてほしいという思いがあります」
多様なプレーヤーとつながることで見えてきた「真相」
ICSVのAgTechスタートアップとのオープンイノベーション活動は、THRIVEとの連携などを通して、出資や協業活動は進んできている。そして、現地でオフィスを構えたからこそ分かる現場感や課題も見えてきた。
長谷川氏は「AgTechのスタートアップは単独でのスケールアップは難しい。より中長期的にコミットして、資金面のみならず、戦略的協業を通じて、スタートアップの成長を後押しすることが必要です」と繰り返す。
「イノベーションセンターとしての活動を開始した時点では、スタートアップは短期間で成長して3、4年くらいでは事業化ができるんじゃないか、という甘い思い込みがありました。彼らが出す事業計画を基に『こんなペースで伸びていきます』といった説明を鵜吞みにしてしまった部分もあります。我々は出資先に、基本的にオブザーバーライトとして取締役会にも出席しながら経営を見ていますが、徐々に計画を下方修正していくことがあり、なぜスケールアップが進まないのかと疑問に思っていました」
それがシリコンバレーで多様なプレーヤーとつながることで「真相」が見えてきた。「当初はスタートアップ側からの一義的な情報しか聞こえていなかったんですね。でも、現地に来て、生産者と会話をすることで、大事なことが分かってきました」
増大する人件費や水コストに対する生産者の思いは切実だ。では、なぜこれらの課題を解決するソリューションをすぐに導入しないのか。生産者と対話を重ねた。
「生産者としてもソリューション導入にすごく関心はあるのですが、ROI(投資利益率)の検証はしっかりやりたいということなんです。一気に圃(ほ)場を広げると翌年の収量にも影響するので、リスクを冒したくないという思いがあり、まずは限られたエリアで、ROIの検証をやっていきたいというのが生産者の本音です」
「基本的にシーズン1回の収穫というような農作物の世界では、PDCAのサイクルも年1回しか回せないわけです。かつ、栽培は基本的に屋外ですので、天候などいろんなファクターが関わってきます。単年のROIが出たとしても、これには他のファクターが影響していないかという疑問も出てきて、生産者側からすると複数年かけて検証したいと思うわけです。複数年のスパンで見て本当にROIがあると見えた時に、サービス導入面積を拡大させていきたいという考えを持っていることが、生産者との会話で見えてきました」
だからこそ、出資するだけではなく、スタートアップの成長とスケールアップに向けてクボタがしっかりとサポートしていく必要性があると長谷川氏は強調する。
事業部とともに成長支援へ 「架け橋」となる
出資先スタートアップの成長支援には、クボタのアセットを活かすために事業部や関連部署の協力がもちろん不可欠だ。ICSVは、どのように社内を巻き込みながら新しい事業をつくっていこうとしているのか。
「実はそこがまだ苦戦しています。事業部側からすると、現行の事業が比較的好調な中で、あえて新しいことをやったり、変えていったりする必要性を感じにくいところがあると思います。また、新しい取り組みにリソースを割くのは難しいという現状もあり、事業部との連携はまだ限定的なところもあります」
ICSVがオープンイノベーション活動における社内の意識改革も含めた「橋渡し役」「架け橋」になっていく必要性を長谷川氏は実感している。
「我々も出資やスタートアップとの協業にフォーカスした活動を進めることで精一杯だったのですが、振り返ってみたときに、社内的にきちんと情報発信できていなかったという反省があります。スタートアップに出資してどんな未来、将来ビジョンが描けるか、協業によってクボタの事業はどういうふうに変わっていくのか。既存事業にもこういうベネフィットがあり、新しい事業を連携してつくっていけるという、クリアな絵を描いて協力を広げていく取り組みにも注力していきたいと考えています」
イノベーションセンターのゴールは、出資先のスタートアップとの連携を通じて「未来のクボタ」の事業をつくっていくことだ。事業創出に向けたスタートアップ出資という「種まき」は進んでいる。そこから芽を出し、水や肥料をやり、長い目で育てていきながら、大きく実を結んだ時にこそ、「収穫」という事業化につながる。そこに必要な「土壌作り」という社内の意識改革も重要だ。
生産者のペインポイントを解決するソリューションとなり得る収穫作業等の自動化、灌漑マネジメントや植生モニタリング、データ管理の領域。それぞれを事業化につなげるだけでなく、これらのデータ連携によるプラットフォームを構築し、トラクターなど既存事業と組み合わせることで大きなシナジーを生み出せるのではないか。「新たな価値創出をしながら、クボタのプレゼンスをもっと上げていける。そのように考え、これらの領域に注目し、既存の製品・サービスとの連携を図っていくことが我々の究極のビジョンだと思っています」と長谷川氏は語った。