「ChatGPT」や「Claude」といったAIが驚異的な進化を遂げる今、ビジネスの現場は大きな転換期を迎えている。それは、厳密な正確性と膨大なリサーチが求められる「法律・法務」の世界も例外ではない。
しかし、ここで一つの疑問が浮かびあがる。「汎用的なAIがここまで賢くなったのなら、わざわざ『法律専門のAI』なんて本当に必要なのか?」——。そんな、今まさに業界が直面しているリアルな課題感をテーマに、森・濱田松本法律事務所で2026年6月、「法務×生成AI」の未来を見据えるセミナーが開催された。
登壇したのは、リーガルテックの前線を走るプレイヤーたち。
米国の名だたるトップティアVCが出資し、OpenAIの強力なバックアップも受ける業界のフロントランナー、Harvey(ハービー)。
そして、遅れていると言われる日本の法情報デジタル化を推し進める東大発スタートアップ、Legalscape(リーガルスケープ)。
森・濱田松本法律事務所とパートナーシップを結ぶこの2社を交え、汎用AIと法律特化型AIの役割分担、そこから見る「SaaSの死」論争への見解、そしてハルシネーション(誤りを含む出力)という「負の側面」にどう立ち向かうべきかなど、これからの法律実務のあり方が深く議論された。
本記事の前半では、法務の現場を一変させる力を持つ両社のプロダクトの可能性を探ったセミナーの模様をレポート。後半では、リーガルスケープの最高執行責任者(COO)である津金澤佳亨氏へのインタビューを通じて、AI時代における「日本の法社会のエコシステムを支える」という熱いビジョンに迫る。
※本稿は2026年6月に開催された森・濱田松本法律事務所とHarvey、Legalscapeの共催セミナー『法務×生成AIの最前線 ーHarvey・Legalscapeと読み解く法務特化型AIの現在地と未来ー』の内容を元に構成しました。Harvey 企業情報
事業内容:法律業務特化型の生成AIプラットフォームを提供。一般的な汎用AIとは異なり、膨大な法律データや判例を学習しているため、ハルシネーションの可能性が極めて低いのが特徴。名だたるトップティアVCが出資し、OpenAIの強力なバックアップも受け、創業わずか約4年で世界14万人以上の弁護士に利用されるまでに急成長した。
創業年:2022年
本社所在地:米サンフランシスコ
創業者:ウィンストン・ワインバーグ(Winston Weinberg)氏:大手法律事務所O'Melveny & Myers出身の弁護士、ガブリエル・ペレイラ(Gabriel Pereyra)氏:DeepMind、Metaの元AI研究員
最新評価額:110億ドル(約1兆6,500億円、2026年3月時点)
主な出資者:OpenAI Startup Fund、Sequoia Capital、Kleiner Perkins、Andreessen Horowitzなど
Legalscape 企業情報
事業内容:日本のリーガルデータ&AIカンパニー。リーガルリサーチプラットフォームの開発・運営、法分野における生成AI・自然言語処理の基礎研究・応用等を手がける。国内の膨大な法律書籍、判例、法令、さらには官公庁資料や専門ガイドラインまでを横断的に収録・整備しているため、出力の根拠(参照元)を明確に示し、汎用AIに比べてハルシネーションのリスクを極めて低く抑えられるのが特徴。
創業年:2017年
本社所在地:東京都文京区・東大前HiRAKU GATE
創業者:八木田樹氏:代表取締役社長兼CEO
目次
・汎用AIか、法務特化型か
・最前線でのイタチごっこ
・「SaaSの死」は来るのか?
・ユーザーとの共同作業が未来を作る
・法務AIに「技術の魔法」はない
汎用AIか、法務特化型か
「ClaudeやChatGPTなど、汎用生成AIがこれほど賢くなった今、わざわざ『法務特化型』のAIを使う意味はあるのか?」
セミナー中盤、現在のリーガルテック界隈で最も熱い議論を呼んでいるこの問いが、会場に投げかけられた。登壇した、ハービーのプロダクトスペシャリストを務めるエイドリアン・ジョーダン(Adrian Jordan)氏、リーガルスケープの最高執行責任者(COO)の津金澤佳亨氏、そして森・濱田松本法律事務所の弁護士たちは、この問いに対して一様に「専門AIの必要性は消えない」と断言する。
しかし、その根拠は単なる機能の優劣ではない。彼らが語ったのは、AI進化の最前線で繰り広げられる終わりのない「イタチごっこ」と、その中で見つけた「信頼のあり方」だった。
最前線でのイタチごっこ
森・濱田松本法律事務所の中野玲也弁護士が「いい意味でのイタチごっこが続いている」と語ると、ハービーのジョーダン氏も深く頷く。
「汎用的な生成AIの進化が止まらないのは事実です。しかし、我々がハービーを通じて行っているのは、単なる製品の提供ではありません。世界中のトップファームから日々寄せられる『生きた法務のフィードバック』をモデルに反映し、その都度、法務特化のスペシャリティを上乗せし続けているのです」
汎用AIがアップデートされれば、法務特化AIはさらにその上に高度なナレッジを積み上げる。この絶え間ない追いかけっここそが、法務の現場における「予測可能性」を高める唯一の手段だと登壇者たちは声を揃えた。
弁護士事務所などからの「生きた法務のフィードバック」を上乗せし続けることが特化型AIの意味付けになると話すジョーダン氏(左から2人目、TECHBLITZ編集部撮影)
「SaaSの死」は来るのか?
議論はさらに、生成AI時代の「SaaSのあり方」へと及んだ。「汎用AIが進化すれば、従来の業務システムは不要になるのではないか?」という問いに対し、会場の議論は鋭さを増す。
ハービーのジョーダン氏は、「汎用AIの台頭は、いわゆる『怠慢なSaaS』を淘汰するでしょう。しかし、法務AIという領域においては全く別の話です」と指摘する。
「重要なのは、単に機能を使うことではありません。厳格なセキュリティ、ガバナンス、そしてリスクマネジメントをどう担保するか。社内弁護士が自前でAIを構築するのと、我々のようなパートナーと組んで運用するのは、根本的にリスクの考え方が違います」
これに、リーガルスケープの津金澤氏もコスト構造の観点から同調した。「AIエージェントに何でも丸投げすれば済むという話ではありません。信頼性に加えてAIトークンコストを踏まえても、複雑な着想が必要な業務はAIエージェント、定型的なルールベースの業務は従来のソフトウエア、という棲み分けが当面進むはずです」
「法務AIのチューニングに終わりはない」と語る津金澤氏㊧(同上)
ユーザーとの共同作業が未来を作る
最後に語られたのは、森・濱田松本法律事務所がハービー、リーガルスケープと結ぶパートナーシップの重要性だ。法務タスクが複雑化する中で、AIを法務領域にただ「持ち込む」のではなく、ユーザーである弁護士や企業法務担当者とサービス開発者が一緒にプロダクトを「育てる」姿勢こそが、法務特化型AIを真に価値あるものにするための重要な取り組みの一つだという。
「法務の現場は常に複雑で、独自性がある。だからこそ、現場の皆さんの実体験や専門知識をプロダクトに反映し続ける必要があるんです」とハービー側が語れば、森・濱田松本法律事務所側も「日々の業務で活用し、その予測可能性をチーム内でシェアする。その雪だるま方式の積み上げこそが、真に使える法務AIを作る唯一の道です」と応じた。
法務AIに「技術の魔法」はない
セミナーには企業法務担当者が多く参加しており、質疑応答では来場者から「セキュリティー」や「運用の細かなリスク」に関する質問が挙がった。これ対し、登壇者たちは決して言葉を濁さず、実務上のリアリティを持って回答を重ねていく姿が印象的だった。
汎用AIがどれだけ高度化しようとも、彼らが目指しているのは「技術の魔法」ではなく、信頼を積み重ねた「法務のインフラ作り」なのだと確信させられるセッションとなった。
▶後編では、セミナーに登壇したLegalscapeの津金澤佳亨COOのインタビュー記事を掲載します。