私たちの身の回りにあるプラスチック製品、風邪薬などの医薬品、スマートフォンの有機ELディスプレイ——。これらは全て、さまざまな原料を人工的に組み合わせて新しい物質を作り出す「有機合成化学」の技術によって支えられている。
この有機合成分野は、19世紀半ば以降、100年以上にわたり一貫して「溶液の化学」として発展してきた。マニキュアを落とす除光液やシンナーのように、物質を溶かす有機溶剤を大量に使い、原料を「溶かして混ぜる」ことが当たり前とされてきたのだ。しかし今、その業界の常識を根底から覆す、大きな変革に挑戦している日本のスタートアップがいる。
それが、北海道大学発のディープテック企業メカノクロスだ。彼らが挑むのは、原料を溶かさず、物理的にいわば「ゴリゴリと混ぜ合わせる」ことで新たな価値を生み出す「メカノケミカル有機合成」の実用化だ。
なぜ、「溶かさない化学」が世界を変えるのか。そして、メカノクロスはどのようにして技術の壁、量産化というビジネスの壁を乗り越えようとしているのか。代表取締役CEOの齋藤智久氏と、事業開発を担う西岡功貴氏に話を聞いた。
目次
・目に見えない、ミクロ世界への興味
・有機溶媒を90%削減。反応時間を「数日から数分」へ
・「ミリグラム」から「トン規模」へ
・北海道大学発として、日本発として
・編集部あとがき
化学業界が抱える「溶液の限界」
―まず、メカノクロスの創業に至った経緯を教えてください。
齋藤CEO:メカノクロスの技術は、北海道大学の伊藤肇教授と久保田浩司准教授らが進めてきた研究がベースになっています。伊藤先生は、私が北大理学部の学生だったころの指導教員でもありました。
伊藤先生の研究グループがメカノケミカル有機合成に本格的に取り組み始めたのは、2018年ごろです。最初に「鈴木–宮浦クロスカップリング反応」をメカノケミカルで実現し、その後、「グリニャール反応」をはじめとする有機金属反応など、さまざまな有機反応へ研究を広げていきました。
研究成果が積み上がるにつれ、企業から大学の研究室に「自社の化合物でも試してほしい」というPoC(概念実証)の依頼が寄せられるようになりました。さらに企業側からは、単に反応するかを確認するだけではなく、その先の製造や量産化まで見据えた相談が増えていったのです。
ただ、大学の研究室が本来取り組むべきなのは、新しい反応や原理を見つける基礎研究です。製造プロセスを設計し、装置を開発して、工業化まで責任を持つとなると、研究室の枠組みだけでは対応できません。
「量産化に進むなら、会社をつくるしかない」
それがメカノクロス創業の出発点でした。
―そこで、伊藤教授から齋藤さんに声が掛かったのですね。
齋藤CEO:そうです。私は大学を卒業した後、三菱ケミカルで研究開発や事業開発、新規事業、M&Aなどに携わり、その後は太陽ホールディングスで半導体材料に関する新規事業の立ち上げなどを担当していました。
メカノクロスの顧客になるのは、主に化学メーカーや製薬会社の研究開発部門です。私には有機化学のバックグラウンドに加え、化学メーカーで新規事業を立ち上げてきた経験もありました。そうした「業界の土地勘」を持つ人材が必要だと考え、声を掛けてくださったのだと思います。
―大企業を離れ、まだ事業化されていない技術で起業することに、不安はありませんでしたか。
齋藤CEO:ゼロから事業をつくる経験は、それまでの会社でもしていたので、不安はそれほどありませんでした。それ以上に、この技術が持つ可能性に強く惹かれました。
以前、サーキュラーエコノミー(循環型経済)に関する新規事業を検討していたとき、有機合成から出る廃棄物をどう減らすか、有機溶媒に由来する二酸化炭素(CO2)排出をどう抑えるかを考えていました。ただ、従来の有機合成は、そもそも有機溶媒を使うことを前提とした化学です。改善策を考えても、最後まで「溶媒そのものをなくす」という発想にはたどり着けませんでした。
そうした中で巡り合わせのように、メカノケミカル有機合成の話を聞きました。
「これは従来法を少し効率化する技術ではなく、100年以上続いてきた有機溶媒を使う有機合成化学そのものが変わる瞬間をつくれるかもしれない」と思ったんです。
この技術なら脱炭素や廃棄物削減への貢献に留まらず、これまで作れなかった材料まで生み出せるかもしれない。そこに大きな魅力を感じ、参画を決めました。
北海道大学発のメカノケミカル有機合成技術の社会実装を目指してメカノクロスは設立された(TECHBLITZ編集部作成)
―従来の有機合成には、具体的にどのような限界があるのでしょうか。
齋藤CEO:これまでの有機合成は、基本的にずっと「溶液の化学」でした。原料を有機溶媒に溶かし、溶液の中で分子を動かして衝突させ、反応を起こすという考え方です。
この仕組みには、大きく2つの課題があります。
1つは、製造プロセスで大量の有機溶媒を使うことです。化学メーカーも、溶媒を蒸留して再利用するなど、すでに相当な効率化を進めています。正直に言えば、現在の製造現場は、既存技術で絞れるところまでかなり絞っている状態です。
だからこそ、その先の削減を実現しようとすれば、同じ製造プロセスを少しずつ改善するだけでは限界がある。反応プロセスそのものを切り替える必要があります。
もう1つは、「溶けない化合物を扱えない」ことです。
原料が溶媒に溶けなければ、分子が十分に動かず、反応が進みにくい。出発原料は溶けても、反応の途中で生成物が析出してしまえば、そこで反応が止まることもあります。どれほど優れた性質を持つ化合物でも、溶液として扱えなければ製造プロセスに乗せられず、材料としての可能性を追求することすらできませんでした。
私たちは、こうした従来法の限界に対し、2つの価値を提供できると考えています。1つは、有機溶媒の使用を抑え、脱炭素や廃棄物削減につながる新しい製造プロセスを提供すること。もう1つは、これまで反応させられなかった化合物を機能化し、今まで存在しなかった材料を生み出すことです。
この2つが、メカノケミカル有機合成の大きな柱です。
有機溶媒を90%削減。反応時間を「数日から数分」へ
―では、その課題をメカノケミカル有機合成はどのように解決するのでしょうか。
齋藤CEO:従来の有機合成では、分子が反応するためには、まず有機溶媒に溶ける必要があります。溶液の中を分子が自由に動き、お互いに衝突して初めて化学反応が進むからです。
一方、メカノケミカル有機合成はそもそもその発想が違います。
原料を溶液に溶かす代わりに、ボールミルと呼ばれる装置の中で金属製のボールと一緒に高速で攪拌し、物理的な衝撃や摩擦エネルギーを与えて反応を起こします。
言ってしまえば、「液体の中で反応させる化学」から、「固体同士を直接反応させる化学」への転換です。そのため、有機溶媒は反応を助けるために大量に使う必要がなくなります。ある企業とのPoCでは、製造プロセス全体で使用する有機溶媒を最大90%削減できたケースもありました。
さらに、反応速度も大きく変わります。従来であれば2日かかっていた反応が数分で終了したり、3日かかっていた反応が1時間ほどで終わったりするケースも確認されています。もちろん、全ての反応が同じように速くなるわけではありません。しかし、適した反応では製造コストまで大きく下げられる可能性があります。
メカノケミカル有機合成は「液体の中で反応させる化学」から「固体同士を直接反応させる化学」への転換だ(同上)
―反応速度だけではなく、「これまで作れなかった材料を作れる」という話もありました。
西岡氏:そこが、この技術のもう1つの大きな価値です。従来法では、不溶性あるいは難溶性の化合物は、それだけで大きな制約になっていました。反応させたくても溶媒に溶けない、途中で析出してしまえば反応も止まる——。そうした理由から、優れた特性を持っていても、工業的には諦められてきた材料が数多くあります。
メカノケミカルでは、その制約を受けにくくなります。従来法ではアプローチできなかった化合物にも反応を起こせるため、「そもそも製造できなかった材料」が実現できる可能性があります。
例えば、不溶性の有機顔料があります。
これまではインクなど比較的用途が限られていましたが、メカノケミカルで「骨格」を改変することで溶解性を持たせ、有機EL材料として利用できる可能性が見えてきました。
単に既存プロセスを効率化するだけではありません。従来法では存在しなかった材料そのものを生み出せる。そこに、私たちは最も大きな可能性を感じています。
―つまり、メカノケミカル有機合成は「環境負荷を減らす技術」であると同時に、「材料開発の可能性を広げる技術」でもあるということですね。
齋藤CEO:そうですね。私たちは、この技術には大きく2つの価値があると考えています。
1つは、有機溶媒を大幅に減らし、新しい製造プロセスを提供できること。そしてもう1つは、今まで反応できなかった化合物を反応させ、今まで存在しなかった材料を生み出せることです。
脱炭素という切り口だけではなく、「新しい材料そのものを生み出せる」という点も、この技術の大きな魅力だと思っています。
「ミリグラム」から「トン規模」へ
―ここまで技術的な優位性について伺ってきました。一方で、ディープテック企業にとっては「量産化」が最大の壁とも言われます。メカノクロスでは現在どの段階まで進んでいるのでしょうか。
西岡氏:現在、私たちは創業3年目ですが、開発スピードはかなり順調だと考えています。
一般的にディープテックでは、研究成果を実用化できるレベルまで持っていくのに10年、20年とかかることも珍しくありません。
一方で私たちは、すでにミリグラム、グラムという研究室レベルから、キログラム、さらに十数キログラム規模までスケールアップできています。現在は、その先にあるプレパイロットのフェーズへ進みつつあります。
―それでも、まだ量産化には課題があるのでしょうか。
西岡氏:はい。「量産化」という言葉は1つですが、実際には2つの開発があります。1つは反応そのものを作ること、つまり「反応開発」。もう1つは「その反応を工場で再現できる装置を作ること」、つまり「装置開発」です
研究室で反応が成功したとしても、そのまま工場で同じように製造できるわけではありません。スケールが変われば熱の伝わり方も、反応速度も変わります。研究室ではうまくいった反応が、大型設備では再現できないことも珍しくありません。
だから私たちは、「反応開発」と「装置開発」この2つを同時に進めています。これは大学の研究室だけでは対応が難しい領域でもあります。
ただ「大きな装置を作ればいい」わけではない。
―量産化というと、大きなプラントを作るイメージがあります。
齋藤CEO:実は、そこも私たちは従来とは違う考え方をしています。
メカノケミカル反応は非常に速く進行します。だから、大きな装置で一度に反応させようとすると、熱が急激に発生し、安全性の確保が難しくなる場合があります。
そこで採用しているのが、「ナンバリングアップ」という考え方です。
1つの巨大な装置を作るのではなく、人の背丈ほどのコンパクトな装置を複数並べ、それぞれで高速に反応を回していく。そうすることで、安全性を確保しながら、生産量を増やしていけます。
―最初から数万トン規模の市場を狙うわけではないのですね。
齋藤CEO:そうですね。まず私たちが狙うのは、医薬品やエレクトロニクス材料のような、高付加価値で少量多品種の領域です。
この分野は、メカノケミカルの特徴を最も生かしやすい。まずここで確実に実績を積み上げ、将来的には化学産業全体の製造プロセスを変えていきたいと思っています。
いきなり100点を目指すのではなく、一歩ずつ実績を積み重ねながら、市場を広げていく考えです。
研究成果は現在、十数キログラム規模までのスケールアップが成功している(同上)
北海道大学発として、日本発として
―最後に、メカノクロスとして目指す姿について教えてください。
西岡氏:私たちが目指しているのは、単に一社の事業を大きくすることではありません。100年後も、有機合成の中心にあり続ける技術を育てることです。そのためには、自分たちだけで技術を囲い込むのではなく、エコシステムをつくる必要があります。
例えば、受託合成を得意とするメーカーや、装置メーカー、素材メーカーなど、多くの企業がメカノケミカル有機合成を活用できる環境を整えたい。
そして将来、「溶液」と「メカノケミカル」が対立するのではなく、ごく自然に共存し、その両方を含めて有機合成と呼ばれる時代をつくりたいと思っています。
―海外展開も視野に入れているのでしょうか。
齋藤CEO:もちろん、アメリカやヨーロッパなど海外市場も見据えています。ただ、私たちは最初から海外へ行くことは考えていません。まずは日本で成功事例をつくることが重要だと思っています。
その理由は、日本には世界でもトップクラスの化学メーカーや素材メーカーが数多く存在するからです。特に高付加価値材料や少量多品種生産の分野では、日本企業には長年培ってきた技術力があります。メカノケミカル有機合成も、まさにそうした領域と親和性が高い技術です。
まず日本で実績を積み重ねる。日本の製造業と一緒に成功モデルをつくる。その上で、アメリカやドイツなど世界市場へ展開していきたいと考えています。
―日本のディープテック領域には、世界からも熱い視線が送られています。大学発ディープテックとして、これから日本に必要なことは何だと考えていますか。
齋藤CEO:今回、私たちが創業した理由そのものが、その答えだと思っています。大学には世界を変える可能性を持った研究がたくさんあります。一方で、それだけでは社会実装までたどり着きません。
反応を開発する、装置を開発する、量産化する、顧客と一緒に実証する——。
こうしたプロセスを担う存在があって初めて、研究は産業になります。だからこそ、大学と企業、その間をつなぐスタートアップには大きな役割があると考えています。
私自身、大企業で新規事業に携わってきましたが、今はゼロから新しい技術と事業を立ち上げられることに、大きなやりがいを感じています。100年以上続いてきた有機合成の常識を変える。
その挑戦を、この北海道大学から、日本、そして世界へ広げていきたいと思っています。
メカノケミカル有機合成を100年後も生き残る技術にするため、メカノクロスはエコシステム構築の重要性を説く(同上)
編集部あとがき
技術の社会実装について、米国の著名VCアンドリーセン・ホロウィッツ(Andreessen Horowitz)の共同創業者であるベン・ホロウィッツ氏は、以下のような趣旨の発言をしている。
Great technology alone doesn't build a company.
(傑出した技術それのみで会社は作れない)
その点、メカノクロスへのインタビューを通じて、同社が「大学」「スタートアップ」「事業会社」というそれぞれの強みを組み合わせながら、量産化のその先にあるエコシステムの構築を見据えていることにとても頼もしさを感じた。
100年以上続いてきた有機合成の常識を変える挑戦。その成否は、1社の成長だけでなく、日本のディープテックが世界で競争力を発揮できるかを占う試金石の1つになるのかもしれない。