四足歩行ロボットが歩いている。そこに人間が近づき、脚を根元から切り落とす。普通なら、そこで終わりだ。ところがロボットは数秒もがいたあと、残った関節の振り方を自力で見つけ出し、何事もなかったかのように再び歩き出した——。
世界中に拡散したこの映像で本当に注目されたのは、ロボットの身体ではなく「中身」のほうだった。作っているのは、米ピッツバーグに拠点を置くSkild AI(スキルド・エーアイ)。あらゆるロボットを、たった1つのモデルで動かす「頭脳」の開発に全てを賭けるスタートアップだ。
共同創業者の1人は、世界トップクラスのAI研究機関として知られるカーネギー・メロン大学(CMU)でAIとロボティクスの教授を務めていたディーパック・パタック(Deepak Pathak)氏。ロボット開発で世界的に知られる中国・Unitree Robotics(ユニツリー)について、同氏はこう言う。「あの会社を有名にしたのは、私たちの研究成果でもある」
2026年1月にソフトバンクが主導したシリーズCでは14億ドルを調達し、創業から3年足らずで評価額は140億ドル(約2兆2,300万円)を超える。なぜ、ハードウエアではなく「頭脳」なのか。前編では、一人の研究者がロボティクスにたどり着くまでの思考と、その技術の中身を聞いた。
四足歩行ロボットの足を人間がチェーンソーで切るが㊧、Skild AIの「頭脳」を搭載したロボットは自動で動きの調節を行い㊥、数秒もがいたあとに再び正常に歩き出す㊨(Skild AIのYoutube公式動画のスクリーンショット)
💡【要約】Skild AIのコア概念
・知能の定義:知識の量ではなく「どれだけ多くを新たに知れるか」=改善する能力
・言語モデル型のAI:言語や数学は進化史ではごく最近の概念。ネット上に大量の既存データがあるため開発が進みやすい
・Skild AIのアプローチ:何億年もかけて進化した「身体の使い方(物理的推論)」から着手する。ロボティクスにはネット上のデータが存在しないため、あらゆるロボットの行動データを1つの頭脳に集約して無駄なく学習させる「オムニボディード(omni-bodied)」を採用
目次
・研究者が見た「知能」の正体
・なぜ言語ではなく身体なのか
・70年間、ロボティクスは何を見誤ってきたか
・前例なきオムニボディードの発想
・何十億回の失敗が、頭脳を作る
研究者が見た「知能」の正体
―まず、ご経歴とSkild AIを創業した理由を教えてください。
Skild AIを立ち上げる前は、AIとロボティクスの分野で世界トップクラスであるカーネギーメロン大学(CMU)の教授でした。日本とも縁があり、教授になって間もない時期に大川財団のフェローシップ(大川情報通信基金)をいただいています。学部はインド工科大学(IIT)カンプール校、博士号はカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)で取得しました。AI分野に取り組んで15年ほどになりますが、この15年、AIの研究とエンジニアリング以外は何もしていません。
なぜ起業したのか。動機は何層にもあります。私の博士研究は「自然界で機能している知能を、どうすれば機械の中に作れるか」というテーマで、その過程で提唱したのが「人工的な好奇心(artificial curiosity)」という概念でした。
―好奇心、ですか。
ええ。当時の機械学習の主流は「教師あり学習」でした。人間がラベルを与え、猫、犬、車の例を何千と見せて機械に学ばせる。しかし人間はそうやって学びません。1,000個の例を見せられて学ぶわけではなく、探索しながら学ぶ「自己教師あり(self-supervised)」の存在です。そして動物や人間の学習を駆動している鍵の一つが、好奇心なのです。
知能がどう働くかを本当に理解しようとするなら、それが「どう良くなるか」を解き明かさなければなりません。知能とは、どれだけ知っているかではない。どれだけ多くを新たに知れるかです。今の知識から新しい知識へどう進むか、どうすればより賢くなれるか。つまり、知能とは改善する能力なのです。
なぜ言語ではなく身体なのか
―その問いが、ロボティクスへ向かわせたのですね。
そうです。私たちが知っている知能の多くは、物理世界の中で進化してきたからです。周りを見渡せば言語モデルやコーディングエージェントが並んでいますが、あれは人間や動物の学び方ではありません。言語や数学は、進化の歴史から見ればごく最近の概念です。進化は何億年もかけて、手の使い方、身体の動かし方、物を開ける方法、移動する方法を獲得してきた。次に視覚が現れ、言語が来たのは一番最後です。
ところが今のAIの世界は、逆方向に進んでいます。まず言語に集中して言語モデルを作れば、汎用人工知能(AGI)に至るはずだ、と。しかし、言語がAGIに至るという証拠はどこにあるのでしょうか。私たちが持っている唯一の証拠は、自然界で知能がどう生まれたかであり、それは物理的推論(physical reasoning)を通じてでした。
好奇心から物理的推論へ。これが教授時代の研究の中心で、有名になった論文もいくつも出ました。ユニツリーを有名にしたのも、あの一連の論文だったと思っています。私たちは世界で最初に彼らのロボットを買った顧客であり、そのうえで成果を世に示したのですから。
―なぜ、大学を離れたのでしょうか。
ある時点から、自分の研究室で成果をさらに伸ばすことが非常に難しくなったからです。制約になっていたのは技術ではなく、リソースでした。十分な計算資源も、投じられる人手もなかった。「物理世界に根ざした知能(intelligence grounded in the physical world)」というビジョンを広げるには、会社を興す以外の道が見えなかったのです。
共同創業者のアビナフ・グプタ(Abhinav Gupta)も、同じくCMUの教授でした。一時期はFacebookで働いていた彼に、「このまま改善を続けるには一緒に何かやるしかない」と持ちかけたのが始まりです。
70年間、ロボティクスは何を見誤ってきたか
―開発中のプロダクトについて教えてください。
私たちが作っているのは、ロボティクスのための汎用的な頭脳です。特筆すべきは、それが「オムニボディード(omni-bodied)」な頭脳だという点です。あらゆるロボットの身体、あらゆるタスクを、たった1つの頭脳でこなす。人型ロボットでも、犬型の四足歩行ロボットでも、工場のロボットアームでも、すべて同じ頭脳です。前例がありません。
ここで2つの疑問が出るはずです。なぜ「頭脳」に集中するのか。そして、なぜその頭脳をそこまで汎用的にするのか。
―では、1つ目から。なぜ頭脳なのですか。
ロボティクスはAIの中でも最も古い分野の一つで、70年の歴史があります。1970年代のデモ映像を見てください。日本にも、素晴らしいデモを見せてきたロボット企業がいくつもある。それなのに、私たちの周りにロボットはいません。
なぜか。誰もがロボティクスを「ハードウエアの問題」として扱ってきたからです。しかし欠けているのはハードウエアではない。未知の状況に汎化し、見たことのない環境へ転移する「頭脳」です。ロボティクスは本質的に、頭脳とデータの問題なのです。だから私たちは、頭脳だけに集中しています。
前例なきオムニボディードの発想
―2つ目の疑問です。なぜ、そこまで汎用化する必要があるのですか。
いま、AIの進歩が起きている領域を見てください。言語、音声、画像、動画、音響──すべて、すでに大量のデータが存在する領域です。インターネット上に、です。
しかし、ロボティクスにはインターネットが存在しません。ネット上にロボティクスのデータはない。ということは、「自分のロボットのデータだけを使う」「このロボットのデータだけを使う」という贅沢は許されないのです。データが不足しているからこそ、一つひとつのデータ点が極めて重要になる。
だから私たちは、頭脳を極限まで汎用化しました。世界中のどのロボットがどんな行動をとっても、その裏で私たちの頭脳が改善されていく。私たちが会社として速く成長できるのは、顧客がどのロボットに載せるかを、私たちが気にしなくていいからです。
🤖 10万体のロボットで訓練された「頭脳」
Skild AIの公式技術ブログによると、「Skild Brain」はシミュレーション上に用意した10万体の異なるロボットを制御させることで訓練されている。1つの身体向けの解を丸暗記できない状況に置くことで、適応する戦略そのものを学ばせる狙いだ。学習データから完全に除外した未知のロボットに対しても、追加の微調整なしにゼロショットで動作したという。太ももから先の脚を切断されて自由度が4つ失われた四足歩行ロボットは7〜8秒後に大きく脚を振る歩き方を発見し、車輪を固定されると歩行に、解除されると走行に切り替わった。
(出典:Skild AI公式ブログ「The case for an omni-bodied robot brain」)
何十億回の失敗が、頭脳を作る
―どんな身体にも適応する頭脳を、どうやって作るのですか。
論点は2つあります。中核となる概念は何か。そして、そのためのデータをどこから得るか。
まず概念から。私たちのロボットは、その場で連続的に適応します。言語における最小単位がアルファベットやトークンであるように、ロボティクスの最小単位は「電流」です。ロボットはモーターに電流を流している。そして、あらゆる状況に反応しなければならない。
たとえば、歩行中に脚のモーターが故障したとします。ロボットはその場で適応しなければならない。この適応はオンラインで起こります。私たちはこれを「文脈内適応(in-context adaptation)」と呼んでいます。ChatGPTのプロンプトに何を書くかで返ってくる答えが変わるのと同じように、私たちのモデルはロボットが「今どう感じているか」を読み取り、次の時間ステップで適応するのです。
高速に適応できるからこそ、モデルはハードウエアをまたいで容易に動きます。脚のモーターが2つ壊れても適応できるということは、脚がなくなって別のモーターになっても適応できるということです。新しい身体、新しい形状に適応し続けられる。この適応能力こそが、頭脳を極めて汎用的にしているのです。
―学習データは、どこから集めるのでしょうか。
ロボティクスにデータは存在しない、と言いました。ですからまず、「人間の動画」から始めます。YouTube上の動画や、クリエイティブ・コモンズのオープンソース動画です。人の頭にカメラを付けてデータを取ることもできます。
しかし、それだけでは足りません。誰かを見ているだけでは、その行動は再現できないからです。もしそれで十分なら、あなたも私もプロのサッカー選手のようにプレーできるはずでしょう。私はロナウドとメッシのプレーを10年近く見てきましたが、まるで真似できません。
そこで2つ目のリソースが「シミュレーション」です。ロボットは人間を観察したうえで、シミュレーションの中で練習する。そして何百万回、何十億回と失敗します。シミュレーションはGPU上で非常に高速に回せますから。この「人間の動画+シミュレーション」の組み合わせがベースモデルを機能させ、「Skild Brain(スキルド・ブレイン)」が生まれます。
Skild Brainができあがれば、それを企業に提供できます。個別のタスクについては、「遠隔操作(テレオペレーション)」で手動でデータを集め、その環境に合わせて微調整する。事前学習(プレトレーニング)が人間の動画とシミュレーション、事後学習(ポストトレーニング)がテレオペレーションのデータ。これがデータの部分です。
記事後編は…
記事前編では、パタック氏の「思想」とSkild AIの「技術」を紐解いた。では、この頭脳は実際にどこまで現場に出ているのか。後編では、すでに動き出しているビジネスと、ソフトバンクによる出資や住友グループ、三井グループとの協業、そして日本の製造現場に向けたメッセージを聞く。
(後編へ続く)