目次
・ソフトウエア開発から畑違いの宇宙分野へ
・わずか5週間、衛星製造の常識変えた設計思想
・群雄割拠の衛星メーカー、勝つための条件とは?
・防衛企業と契約、Apexが築いた「信頼」の裏側
・最大のハードルはサプライチェーン
ソフトウエア開発から畑違いの宇宙分野へ
「私はもともと航空宇宙の世界とは無縁でした。出発点はソフトウエア、とくにモバイルアプリの開発です。プログラミングも独学で学びました」。Apexの共同創業者でCEOのIan Cinnamon氏は、自身のキャリアについてこう語る。その経歴は、航空宇宙業界の起業家としては異色だ。
マサチューセッツ工科大学(MIT)で学んでいたころ、航空宇宙分野に魅力を感じたものの、当時は「起業のハードルが高すぎる」と感じて断念したという。「何をするにも莫大なコストがかかり、個人の起業家が入り込める業界ではないと思っていました」
その後、シリコンバレーでソフトウエア開発に携わり、2015年には国家安全保障分野向けのAI・コンピュータビジョン技術を提供するSynapse Technologyを創業。2020年に同社をPalantirに売却し、そこで新たな転機が訪れる。「Palantirで最初に言われたのは、『これまでやってきた技術をすべて宇宙と衛星に応用してほしい』ということでした。私は興味を抱きつつも、『そんなニッチな分野で何ができるのか?』と半信半疑でした」
しかし、業界はすでに大きく変わっていた。SpaceXのロケット再利用や、Blue Originといった新興企業の登場によって宇宙輸送のコストが劇的に下がり、各国政府の衛星戦略も変化していた。
「かつては10億ドルをかけて大型衛星を1基打ち上げていたのが、今では同じ予算で100基の小型衛星を構築する方向にシフトしています。たとえ1基が撃墜されたり、深刻なサイバー攻撃を受けたりしても、残り99基が残る構造です」
この動きを目の当たりにし、Cinnamon氏は新たな課題を見出す。小型衛星へのニーズは高まっているものの、それを実現できるだけの製造体制が整っていなかったのだ。「防衛大手や従来のメーカーでは、大量の衛星をスピーディーに製造する体制がなかった。そこで私は、この根本的なギャップを埋めるべくApexを立ち上げました」

わずか5週間、衛星製造の常識変えた設計思想
Apexが打ち出す最大の強みは、衛星の中核をなす「衛星バス」の標準化と製品化にある。衛星バスとは、電源、通信、姿勢制御、熱制御といった基本機能を備えたプラットフォームのことで、ここにミッションに応じた観測機器や通信装置(ペイロード)を載せることで、多様な用途の衛星が完成する。いわば衛星の「骨格」となる部分を、Apexは規格化された製品として提供している。
この仕組みによって、同社は顧客に対し3つの大きな価値をもたらしている。第1は、圧倒的な製造スピードだ。
「これまで衛星を1基つくるのに5年かかるのが当たり前でした。でも、たとえば年に15基必要なら、そのペースでは到底間に合いません。Apexでは、1基を約5週間で製造できます」
第2は、透明性の高い価格設定だ。ApexのWebサイトでは、従来のような電話での価格交渉なしに、製品の価格がすぐに確認できるようになっている。これは、官需中心で閉鎖的なイメージの強い航空宇宙業界では異例の取り組みだ。
そして第3が、高い品質基準。宇宙空間では一度打ち上げた衛星にアクセスすることがほぼ不可能なため、最初から不具合を出さない高精度な設計・製造が求められる。Cinnamon氏は「私たちは、最初から宇宙仕様で非常に高品質なシステムをつくることを前提にしています」と語る。
この大量生産を可能にしているのが、同社が持つソフトウエア基盤だ。
「私たちのやっていることは、ハードウエア単体で実現できるものではありません。すべての活動の基盤に、強力なソフトウェアがあります」
実際、同社のエンジニアの約半数はソフトウエアエンジニアで構成されており、業界内では異例の体制だ。ソフトウエアは、売上管理からサプライチェーン、在庫の管理、そして衛星に搭載される制御ソフトウェアに至るまで、すべてを自社開発している。「衛星の挙動を細かくコントロールし、顧客のペイロードと緊密に連携させる。この業界でそれを実現するのは非常に難しいですが、私たちはそこに自信を持っています」
image : Apex HP
群雄割拠の衛星メーカー、勝つための条件とは?
Apexが目指すのは、「最安」ではなく「最適」だ。衛星バスのコスト競争力について尋ねると、Cinnamon氏は、価格を単体で語ることの危うさを指摘する。「宇宙産業では、単に衛星プラットフォームの価格だけを見るべきではありません。打ち上げコスト、ペイロードの価格、運用期間などを含めた“システム全体の経済性”で考える必要があります」
同社の衛星は5〜7年の運用を想定して設計されており、これは業界標準に準じた仕様だ。そのうえで、Apexの戦略は明確だ。「私たちは『最も安い会社』になろうとはしていません。“最も早く、最も高品質な製品を提供できる会社”を目指しています」
競合との違いを聞くと、Cinnamon氏は即座に「製造能力」だと答える。「今や衛星メーカーは多数存在しますが、重要なのは『どんな衛星をつくるか』ではなく、『どれだけ速く、どれだけ大量に生産できるか』です。ここがApexの勝負どころです」
その製造哲学を象徴するのが、投資家のひとつであるToyota Venturesの存在だ。「彼らが私たちに出資したとき、『あなたたちは衛星業界のトヨタになれる』と言ってくれました。トヨタは、スピードと品質を両立した生産で世界トップの会社です。私たちも、宇宙産業でその地位を目指しています」
そして、笑みを浮かべながらこう付け加えた。
「いつか誰かに『宇宙のトヨタ』と呼ばれるのが、私の夢なんです」

image : Apex 衛星バス Aries
防衛企業と契約、Apexが築いた「信頼」の裏側
創業からわずか2年半。それでもApexは、すでに業界で確かな足跡を残している。「私たちは、ゼロからスタートして、宇宙空間で稼働する衛星を完成させるまでの『世界最速記録』を樹立しました」。この成果をきっかけに、同社はアメリカの防衛関連の大手企業との契約を次々と獲得。業界内で一目置かれる存在へと成長している。「詳細はお話しできないものも多いですが、たとえばBooz Allen Hamiltonは私たちの顧客です」。また、防衛技術企業のAnduril Industriesとも取引関係があることも確認されている。
宇宙技術の領域において、防衛分野はとりわけ保守的かつ高い信頼性を求められる市場だ。その中でApexが短期間でパートナーとして認められた背景には、技術力と実行力の両立がある。
2024年4月にはシリーズCで2億ドルを調達。これも、信頼に裏打ちされた成長戦略の一環だ。
「調達した資金のすべては、製造力の拡大に充てます。今、顧客からは『10基、20基、40基の衛星を、できるだけ早く』というオーダーが来ています。私たちの最優先は、その需要に応える製造体制を確立することです」
現在、Apexの衛星はすべてロサンゼルス本社で製造されているが、同社の視線はその先を見据えている。
「トヨタが複数の拠点で車をつくっているように、私たちも同じ体制をつくれます。将来的には、日本を含め、世界各地で工場を建設する可能性を検討しています。それが実現すれば、私たちにとって非常に光栄なことです」
Apex Airesがロケットから離れる様子
最大のハードルはサプライチェーン
Apexは今後2年で、月産12基の衛星生産体制の確立を目指している。創業からわずか数年で、すでに初号機の宇宙投入を達成した同社は、次のステージに進もうとしている。
「現在は、小型の『Aries(アリエス)』、中型の『Nova(ノヴァ)』、大型の『Comet(コメット)』という3つの衛星バス製品ラインを本格的に量産する準備を進めています」
ただし、その道のりは平坦ではない。最大のハードルはサプライチェーンだ。
「従来の航空宇宙業界では、1基の衛星を作るのに数年を要します。私たちは年間数十基を製造しなければなりません。しかし、市場にある部品の多くはこのスピードに対応できないため、自社で製造する必要があるのです」
この「量産への挑戦」の中で、日本との連携にも強い期待を寄せている。
「米政府はすでにJAXAや日本の省庁と連携しています。私たちもそうした繋がりを持ち、日本の卓越したエンジニアリングと製造技術を持つ企業の皆様と連携することで、日本市場で大きな価値を生み出していきたい。私は防衛と宇宙の未来において、日米の協力が非常に重要なものになると確信しています。Apexは、米国と日本の関係をより強固にする一助となることを目指しています」
Cinnamon氏は、Apexの最終的な目標をこう語る。
「私たちは、銀河系最大の衛星プラットフォームの供給企業を目指しています。地球にとどまらず、『何かを軌道に載せたい』という時に、まず名前が挙がる存在になりたいのです」