東京大学協創プラットフォーム開発(東大IPC)は、東京大学周辺のイノベーションエコシステムの拡大を推進するために2016年に設立された東大100%出資の子会社だ。東大の知財活用や、起業支援、投資事業、大企業と連携したカーブアウト創出などのコーポレートイノベーション支援を展開する。日本トップのアカデミアがなぜ、事業創出に深くかかわることになったのか。東大IPC設立の経緯や、スタートアップ輩出と大企業との連携、日本のR&Dの課題について、代表取締役社長の大泉克彦氏に聞いた。

※後編はこちらから。

※日本の研究開発(R&D)において課題に挙げられる「自前主義」や、事業化・市場投入で直面する「死の谷」を越えて、イノベーションのエコシステムを創出するには何が必要か。企業や大学VCの取り組み、政策などを通してヒントを探り、「進化するR&D」の姿を紹介する。

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日本経済再興 産業競争力強化のために設置された認定VC

 東大IPCは、国の政策として設立した経緯がある。政府は、世界における日本経済の存在感低下と産業競争力の弱体化を背景に、2014年に「産業競争力強化法」を施行した。経済産業省や文部科学省など省庁も連携し、同法に基づき、大学の研究成果の活用を通じてイノベーションを促進するため、国立大学法人等が大学ファンド(認定VCが無限責任組合員として業務執行)を通じて大学発ベンチャーなどへ投資することを可能にした。つまり、東大IPCは日本の経済再興をミッションに設立された認定VCの1つだ。

 対象となったのは東大と、京都大学、大阪大学、東北大学の4国立大で、それぞれが認定VCを設立。政府は、独創的な研究開発に挑戦する大学において、その成果を基盤とした新産業の創出につなげたいと、これら4つの国立大学法人のファンドに対し合計1000億円を出資した。

 2016年の東大IPC立ち上げと共に代表取締役社長に就いた大泉氏はこう語る。

「東大IPCは、日本の新しい成長産業をつくっていくという施策の中で、北から東北大、東大、京都大、大阪大がそれぞれ各地域のベンチャー創出の拠点となるべく、国が予算を出して始まりました。ご存知のように、欧米の先進国ではスタートアップの輩出拠点として大学が非常に重要な役割を担っています。『大学を核にしたエコシステムの発展』に着目し、同様の仕掛けを日本にも導入する必要があると、4大学がモデル校に選ばれたわけです」

大泉克彦
東京大学協創プラットフォーム開発(東大IPC)
代表取締役社長
1980年に三井物産へ入社。IT関連ベンチャーへの創業メンバーとしての出向2回。IT関連の新規事業立ち上げ経験多数。その後、三井物産のCVCである三井物産グローバル投資の代表取締役を4年務め2015年に退社。東京大学勤務を経て、2016年に東大IPCの設立メンバーとして参画。代表取締役社長に就任。東京大学工学部卒。Harvard Business School PMD

 大学は「最高学府」であり、教育と基礎研究の場というイメージが日本では強かった。その大学が「投資」「事業創出」に関わることになり、国立大学法人が「事業創出支援」の役割を担うことが求められている。

 大泉氏は「歴史的にみると、日本の大学は明治政府が作ったときから、そもそも産業振興が念頭にありました。新しいテクノロジーを日本に持ってくるゲートウェイとして大学があり、産業界に対して求められる人材を提供していく役割がありました。それが東大をはじめ、日本の大学の原点的なファンクションであり、そこに改めて立ち返ろうという動きだとも言えます」

テクノロジーとビジネスに橋を架けるのが「起業家」

 大泉氏自身も東大の出身であり、工学部で都市工学を学んだ。「約40年前になりますが、当時の大学は基本的な教育と基礎研究を担い、実用化の部分は産業界が取り組む、というような役割分担でした。もちろん人材輩出という意味では、大学には船舶工学や電気工学といった就職先がすぐイメージできるような学科がありました」

 ただ、時代の大きな変化の中で、これまで以上に「R&Dを含む実用化能力、それ自体が問われるようになり、重要性が増してきている」という。これまでの「基礎研究と教育は大学、実用化研究は産業界」という役割分担から、境界が低くなり、クロスオーバーしていくのがマクロのトレンドだと、大泉氏は指摘する。

 では、研究開発を事業化していく上での課題は何か。大泉氏は「これはどこも共通の課題だと思いますが、研究やサイエンスの部分を、事業化しビジネスに置き換えていく部分にはまだ大きな溝があります。その溝をブリッジしていくのが、『起業家』と呼ばれている人たちです。テクノロジーからビジネス、技術からイノベーションをつなぐのは『人』です。そこの人材をいかに育成し、層を厚くしていくかが課題だと考えています」と説明する。

 そこで、東大と東大IPCの連携が活きてくる。東大は起業家教育を担い、東大IPCは起業家教育を受けた学生などがスタートアップを起こしていく上でインキュベーターとしての支援を展開する。例えば、東大IPCの「1stRound」というプログラムは、VCから外部調達をする前のチーム、または設立3年以内のスタートアップを対象に、最初の資金調達を達成できる環境を提供している。いわば、起業家が「最初の一歩」を踏み出す支援だ。

 2017年に「東大IPC起業支援プログラム」として始まった同プログラムは規模を拡大し、現在は東大IPCと、神戸大学、筑波大学、東京大学、東京医科歯科大学、東京工業大学、名古屋大学、一橋大学、北海道大学の共催で行われている。毎年2回の審査があり、採択されたチーム、起業家にはコーポレートパートナーなどの協力で、最大1000万円のNon-Equity資金、クラウドリソースやオフィスなどの開発環境、そしてキャピタリストと専門家による6カ月のハンズオンの支援が無償提供される。

 プログラムへの応募について、大泉氏は「毎回100チーム以上の起業意欲のある若い世代や、もっと上の世代の方々もチャレンジしています」と説明する。実際、「1stRound」に採択された起業家には、東大出身の若い世代だけでなく、大手電機メーカーの研究所で長年経験を積んだ研究者や大手商社の出身者もいる。自身の研究や新しい技術をきちんとビジネスにしたい、という意欲のある人材が集まる場となっている。

Image:東大IPC

大手損保との連携で生かされた大学発「道路点検」AI技術

 投資事業では、東大IPCは2つのファンドを組成している。東大関連ベンチャーへの直接投資とVCへのLP出資を行うファンド「協創1号」は2016年に250億円規模で設立。2020年には、「企業とアカデミアとの連携によるベンチャーの育成・投資」というコンセプトで、オープンイノベーション推進1号投資事業有限責任組合(以下「AOI1号」)を組成した。「協創1号」同様250億円規模の「AOI1号」は大企業のカーブアウトやジョイントベンチャー設立投資などとともに、事業会社と連携したプレシード育成投資を展開中だ。

 「1stRound」からの支援と事業化、資金調達のシームレスな仕組み作りが東大IPCの強みでもある。その成功事例の1つが、東大関連スタートアップのアーバンエックステクノロジー(以下、アーバンエックス)と三井住友海上火災保険(以下、三井住友海上)が連携したAIを活用した道路点検システムだ。

 アーバンエックス代表取締役の前田紘弥氏は東大出身。在学中に社会基盤学科および社会基盤学専攻で学んでいた頃、東大の生産技術研究所の関本義秀教授の研究室に所属し、日本のインフラ老朽化についての課題意識を持っていた。修士課程修了後は三菱総合研究所に就職し、大学での研究についても外部の視点から客観的に捉えることができたという。

 将来を考える中で、関本氏に声を掛けられ、特任研究員として東大に戻った前田氏。博士課程に在籍しながら、研究結果を活用した事業でマネタイズする将来像を見据えて起業し「1stRound」に採択された。東大IPCの大企業とのネットワークや、政府の各種委員会の委員も務める関本氏の行政とのつながりを生かし、アーバンエックスの技術と、三井住友海上のアセットがマッチングした。

 両社が取り組むのは、各自治体が行っている道路の損傷確認において、人員や予算の問題で十分な点検ができていないという行政課題に対し、アーバンエックスのAIを活用した道路点検システムと、三井住友海上のドライブレコーダーを活かして、その課題解決を図る事業だ。

 実証実験を経て、三井住友海上のサービスの1つだった大手小売事業者や物流事業者などの車両に設置されているドラレコに、アーバンエックスの道路点検AIシステムを搭載。広域の路面状態のデータを自動的に収集し、AIが道路の損傷個所を検出して地図上に可視化するという、新サービス「ドラレコ・ロードマネージャー」を2021年にローンチした。既に自治体の導入が始まっている。

 2022年4月には、AOI1号はアーバンエックスに対して、8500万円の追加投資を決定。VCのANRI、三井住友海上キャピタルとの共同出資となった。東大関連スタートアップと大手損保が連携し、行政の「公共財」の点検という課題解決をビジネスに結び付ける取り組みが注目されている。

 大泉氏は「事業の面としての広がりを考える上で、アーバンエックスの技術、三井住友海上のドラレコという、スタートアップと大企業がそれぞれ持っているアセットのうまいコンビネーションを東大IPCが橋渡しすることができました。スタートアップをどう大企業の力で成長させていくか、ということの1つの好事例だと思います」と語る。

Image:東大IPC

日本の大企業にいまだ残る「NIH」の呪縛

 大泉氏はもともと三井物産出身の元商社マンだ。IT関連ベンチャーへの創業メンバーとしての出向も経験し、IT関連の新規事業立ち上げの経験が多数ある。その後、三井物産のCVCの代表取締役を4年務め2015年に退社。東大IPCの設立に加わった。

 商社時代やCVCとしてシリコンバレーやイスラエルのスタートアップとのビジネスで関わった経験なども踏まえ、大泉氏は、海外、そして日本の「強み」をどう見ているか。「海外は地域によって特色がはっきりしていますよね。アメリカを例にすると、IT関係ならシリコンバレー、創薬関係と言えばボストン、と地域によって強みがあり、その強みの集積ができています」

 翻って日本はどうか。「例えば、日本で、東京でどんなスタートアップを集積させていくのか、という視点がグローバルなレベルで考えていく上で非常に重要だと思います。ITや創薬といった分野をカバーしつつ、特色という点で1つの可能性でいえば、例えば、ものづくりがあります。製造業や素材・部品などのテクノロジーの分野での集積はポテンシャルがあると思います」

「なぜなら、スタートアップの成長には大企業が必要だからです。日本の産業全体を見るとやはり製造業の強みは光っている。そこでシナジーを活かして新しい素材や部品、センサーといったもののスタートアップ集積で、グローバルにポジショニングしていくのは1つの可能性としてあると感じます」

 一方で、日本の大企業のR&Dに対して課題も感じている。「大企業とひとくくりでいうのは難しいと思いますが、共通事項として、Not Invented Here(NIH)はまだ強いと思います。『わが社が生み出した技術ではない』からと線を引いてしまう。だからこそ今、オープンイノベーションが大事だと言われているのです。それでも見ていると、自分たちが作り上げていない、NIHに対してどうしても距離を置いてしまい、組織として溶け込んでいかないという傾向を感じます。それが日本では大きなM&Aや新たな主力事業が育ちにくい背景にあるのかと感じます」

「欧米の場合は、1つの事業部そのものを作るような大きなM&Aをしますが、日本の場合は『中核技術は自分たちで作り上げたもの』であり、その周辺を強化するためのM&Aという位置付けが多いかと思います。自分たちの5年後、10年後の主力事業を育てていくための投資という形に変化・進化していくことが日本企業の課題の1つだと思います」

 自社の中核技術、自前主義にこだわるあまり、「研究開発投資が事業化・企業収益につなげられない」「事業構想から、研究開発、市場獲得・開拓までを通じたイノベーションシステムが構築できていない」「『死の谷』を越えられない」という課題。日本はどうやったらNIH症候群、自前主義から脱却できるのか。

「オープンイノベーションとは、インクルーシブな発想です。どんどん外から取り込みながら溶け合いながら、自分たちの組織の中で一体化していくプロセスです。マインドと組織はコインの表裏のような部分があると思いますが、やはり『多様なもの』『外のもの』を受け入れていくという考え方、マインドの部分は大きいと思います。例えばですが、新入社員の一括採用だけでなく、中途採用が当たり前の時代になってきました。『人材面のNIHからの離脱』であり、テクノロジーでも事業でもそういう発想で少しずつ進展していくのはグッドニュースであり、希望を感じています」

 日本の産業競争力強化という国が掲げたミッションの下、大学、企業、VCと連携しながら東大周辺のイノベーションエコシステムを広げる取り組みを展開する東大IPC。「東大の先生方とのネットワーク、学生たちとのネットワークが強みであるし、信用のクレジットを与えてくれている」という「東大ブランド」の優位性も生かしている。

 東大の中でまだ眠っている研究や知財の活用、テクノロジーを活かしたスタートアップの創出と大企業との連携を通して、大泉氏は「現在、東大関連スタートアップは年間40社前後ありますが、これが一桁多くなってもいい。少なくとも将来は何倍かになっていけるという感じがします」と手ごたえを語った。

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