製薬・素材・化学企業の研究開発(R&D)におけるDXが、実はまだ広く浸透していないことは意外と知られていない。これらの業界におけるR&Dは、1970年代に設計されたレガシーソフトウェアの活用がメインとなっていて、それを使いこなせるのも熟練した研究専門職に限られるといった課題があるためだ。この課題を解決し得るのが「量子化学計算」。その分野の第一線の研究者たちが「アカデミアにこもっていては技術を一般化できない」とスタートアップを立ち上げた。現在の社員のほぼ全員が博士号持ちという異色の研究者集団。東京大学や京都大学のVCも出資するQSimulate(本社:米マサチューセッツ州)の共同創業者でCEOの塩崎 亨氏が目指す業界の未来について話を聞いた。

アカデミアを飛び出した理由

―QSimulateを創業した経緯を教えてください。

 私は東大で博士号を取得した後、米国やドイツで研究者として大学で勤務していました。起業する前は、シカゴにあるNorthwestern Universityで助教授を務めていたのですが、われわれが研究していた量子化学計算に対する、大学と企業のニーズが合致しないという課題を抱えていたのです。

 平たく言えば、この分野に関する実際的なニーズは、大学での研究よりも、企業に直接導入する方が大きいという事情がありました。そこで、Northwestern University大学の同僚と共にアカデミアを飛び出し、2018年にQSimulateを創業したという経緯です。

塩崎 亨
Co-Founder & CEO
東京大学でTheoretical Chemistryの博士号を取得後、渡米。その後、ドイツに渡りUniversity of StuttgartでJSPS Fellowを務める。2012年6月から2019年8月までNorthwestern UniversityでAssistant Professorを務めた後、2018年8月にQSimulateを共同創業、CEOに就任。現職。

―QSimulateのソリューションは、どのようなことを可能にするのでしょうか。

 まず量子化学計算とは何かを説明しましょう。量子化学計算は、物質を構成する原子や電子、分子の動きを従来の計算機よりも何十倍も速く、正確に行うため、極めて精緻な予測が可能になるのです。量子化学計算は従来から研究が盛んだった分野ですが、膨大な計算リソースと時間を必要とすることから、企業の研究開発への実用化は難しいという事情がありました。QSimulateは、量子化学に伴う複雑な作業を自動化し、コスト・工程を削減したのです。

 共同創業者のGarnet Chanは、量子化学計算で20年以上のキャリアを積んだ大ベテランです。私と彼は、この技術を一般化するには、アカデミアにこもっていてはいけないと考えていた点で意見が一致しました。

 当社が開発する量子化学の独自のシミュレーションに基づいて、創薬や素材の研究開発速度を向上させるプラットフォームだと言えるでしょう。医薬品や素材の研究現場では、それらに使用する分子をコンピューター上で評価しています。

 自動車の安全試験でも、導入部分ではCADがつかわれるのをイメージしていただくと分かりやすいかと思います。かつて、CADが導入される1990年代以前には、設計段階から実地での評価試験が重視され、自動車を壁にぶつけるあの衝突シミュレーションが行われていたんです。コンピューターの力はまだ取り入れられていませんでした。現在ではCADの導入により、自動車業界の開発までの速度は飛躍的に向上しましたよね。

 創薬や素材の研究開発でも同じようなことが現在起こっているのです。例えば、創薬の現場ではある分子を試したいときに、実際にその分子が薬剤に適合するかどうかを水に入れてみないとわからないというのがこれまでの方法です。QSimulateのソリューションを使うと、コンピューター上でそれが判明するようになります。

image: QSimulate

現在の社員のほぼ全員が博士号取得者

―実際に、企業からのニーズも高いのでしょうか。

 製薬・素材企業にとって研究開発から製品化までのスピードを上げることは、そのまま企業の競争力に直結しますから、このようなソリューションはどこも欲しいと考えていると思いますね。

 実際、当社の顧客数も急増しています。具体的な顧客数は公表できませんが、加速度的に増えてきています。日系企業ではポリマー材料大手であるJSRや、化学大手のレゾナックなどが顧客で、特にJSRは研究開発のプロセスが何倍も速くなったと聞いています。

―短期間で多くの顧客を獲得できた要因はどこにあるとお考えですか?

 やはり、当社のシミュレーション技術が優れているからだと思います。そもそも、私がいたNorthwestern Universityでの量子化学シミュレーション研究は、世界でも相当最先端をいっている部類です。私自身がアカデミアで顔が広く知られている存在だったからこそ、技術力に自信がある人材をリクルートできるという事情もあります。彼らは、量子化学技術の「実用化」がしたくてたまらない、という人種ですから、規制の多いアカデミアよりも多くのことを試せる実業の世界にチャレンジしたいと考えているのです。ちなみに、現在の社員17人のほぼ全員が博士号取得者という異色のスタートアップです。

 スタートアップの世界では「プロダクト・マーケット・フィット」つまり、自社製品が市場に受け入れられなければ意味がないということがよく言われますが、これは本当だと思います。実際、当社も創業して3年間は愚直にプロダクトを磨き続け、市場からのフィードバックを受けて常に改善を繰り返していました。その成果として、市場にも求められる最先端の量子化学シミュレーションをお届けできるようになったと確信しております。

image: QSimulate HP

日本企業との提携は「来るもの拒まず」

―2023年内には日本拠点を開設し、日本市場へも本格的に進出する予定です。

 特に、われわれのメインの顧客層である製薬・素材業界に身を置く日本企業は、研究開発のDXに本腰を入れています。進出しないという選択肢はありません。

―具体的な提携先も、製薬・素材業界を想定していますか?

 両業界はもちろん、他業界とも話をしてみたいです。基本的に我々のスタンスは、来るもの拒まず、です。例えば、ロボット技術を開発している企業や、AI関連企業など「研究開発力を促進する」というテーマで企業活動をされている会社とは積極的に話をしてみたいですね。

―具体的に日本の大企業と提携することを考えた場合、どのような形態が理想だと考えていますか?

 製薬・素材産業に売り込む代理店をはじめ、合弁事業や共同研究などありとあらゆる形態でウェルカムです。形態に特別こだわりがあるというより、むしろビジョンを共にできる、フレキシブルな会社と話をしてみたいですね。

 また、投資・資本提携という関係性も選択肢に入れています。2023年8月30日には、東京大学協創プラットフォーム開発(東大IPC)から50万米ドルの投資を受け入れました。同年5月には、京都大学イノベーションキャピタル(京都iCAP)も当社に投資しています。今後も出資や資本提携は受け入れていく考えです。

―最後に向こう1年間の目標と、長期的なビジョンを教えてください。

 まず、今年末までに日本拠点を完成させることと、来年末までに顧客数100社を突破することが目標です。

 R&DのDXというのがまさに長期的なビジョンで、量子化学シミュレーションに限らず、「シミュレーションならQSimulateだ」と認知されるような企業になっていきたいです。現在、当社の事業領域は製薬・素材ですが、今後技術が発展していけば、他業界にも応用が効くソリューションを提供できる自信があります。長期的には、競合他社の買収を含めて、さまざまな選択肢を考えています。



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