目次
・代替肉のミッシングピース「脂肪」に着目
・培養脂肪の最大の課題を解決したもの
・調理時の「ジューッ」という音もまるで本物
・住友商事との提携で日本市場に足がかり
・大阪・関西万博参加で今秋来日予定
代替肉のミッシングピース「脂肪」に着目
世界中で注目を集める代替肉市場では、植物由来のタンパク質や培養筋肉に取り組む企業が主流だ。そんな中、ロンドン発のスタートアップ、Hoxton Farmsは、あえて「脂肪」にフォーカスして市場に新たな切り口から挑んでいる。動物を殺さずに、細胞培養によって生み出される「培養脂肪」は、代替肉の風味や食感を大きく進化させる可能性を秘めている。
この挑戦を率いるのが、細胞生物学者のMax Jamilly博士だ。ケンブリッジ大学で自然科学を学び、オックスフォード大学で幹細胞の成長メカニズム研究に取り組み、博士号を取得。「私はずっと、細胞を使った研究に取り組んできました」と語るように、学術の道を歩んできた彼は、長年にわたり細胞生物学に情熱を注いできた。

培養脂肪の最大の課題を解決したもの
細胞生物学への情熱は、やがて「食」への関心と結びついていく。
「私は昔から、食と食システムに強い関心がありました。食べること自体も大好きですが、それ以上に、食は私たちの生活や文化にとって不可欠な存在です。そして、食料システムや食の安全保障は、これからの人類に大きな影響を与えると感じていました」
科学と食。一見遠いようで、彼の中では自然につながっていた。細胞生物学の知識と、食への個人的な情熱。それをどう組み合わせ、社会に役立てられるか。彼は常にその可能性を模索していたという。
そして2020年、新型コロナウイルスのパンデミックという世界の転換点の中で、数学者で友人のEd Steele氏とともにHoxton Farmsを創業。幹細胞生物学と合成生物学の知識を持つJammily氏と、機械学習の専門家であるスティール氏のタッグは、培養脂肪の最大の課題である「コスト」と「スケーラビリティ(量産性)」に挑む強力な武器となった。
「Edの機械学習の専門知識と、私の科学的バックグラウンドを組み合わせることで、培養脂肪を現実的な価格で、かつ大量に生産できる仕組みをつくることができました」とJamilly氏は語る。

Image : Hoxton Farms Cultivated Fat
調理時の「ジューッ」という音もまるで本物
Hoxton Farmsが開発した「Hoxton Fat」は、見た目も香りも、調理時の「ジューッ」という音までも、まるで本物の豚脂肪そのものだ。それでいて、栄養面でははるかにヘルシーという、次世十代の「脂肪」である。「Hoxton Fatは、本物の豚脂肪のように見え、調理でき、香りも味も同じです。でも、栄養価はまったく異なります」とJammily氏は話す。
実際、Hoxton Fatは従来の豚脂肪に比べてオメガ3脂肪酸を20倍多く含み、その栄養価はサーモンに近いという。さらに、コレステロールや飽和脂肪酸は大幅にカットされている。「従来の味を損なうことなく、健康効果を飛躍的に高めることができました」と胸を張る。
製造プロセスは培養肉と似ているが、脂肪細胞を「成熟」させる点に重点を置いている。原材料となるのは、豚などの動物から採取した間葉系幹細胞(MSC)。一度採取した細胞は不死化されており、何度でも使用できる。「冷凍庫から細胞を取り出して、私たちが独自に開発したバイオリアクターに入れます」
バイオリアクターの中で、細胞には植物由来の培養液が与えられる。糖分、塩分、タンパク質などを含むこの培地の中で、細胞はおよそ1週間で増殖。その後、分化を経てジューシーな脂肪細胞へと成長する。こうして完成したものが、企業向けに販売される培養脂肪だ。
このHoxton Fatは、食肉や代替肉を製造する大手食品メーカーにとっても魅力的な選択肢となっている。というのも、従来の動物由来の脂肪は供給が不安定なうえ、品質にもばらつきがあるからだという。「畜産業に依存した脂肪の供給は、季節や天候、病気など多くの要因に左右されます」とJammily氏は指摘する。Hoxton Fatは、スケーラブルで安定的に供給できるため、ソーセージのような加工肉はもちろん、植物性タンパク質と組み合わせた代替肉の原料としても、さまざまな用途が期待されている。

Image : Hoxton Farms Bacon
住友商事との提携で日本市場に足がかり
Hoxton Farmsは現在、ロンドン市内にイギリス初の培養脂肪のパイロット施設を構えている。約500リットル規模の設備で、毎月キログラム単位の「Hoxton Fat」を生産できる体制だ。「この施設は18カ月前に建設したばかりで、まだ非常に新しい状態です。この1年間で生産能力を1,000倍にスケールアップしました。今後もさらに拡張していく予定です」
Hoxton Farmsのビジネスモデルは、単に製品を販売するだけでなく、顧客企業と連携して製造体制を構築していくスタイルだ。「現在、顧客と協力して、私たちの技術を活用した製造施設の構築を進めています。将来的には、顧客自らが自社施設で培養脂肪を生産できるようにするのが目標です」
同社が最初の展開先として注目しているのがアジア太平洋地域だ。
「ロンドンでのスケールアップと並行して、シンガポールや日本を含む主要市場で規制関連の承認を取得し、今後18カ月以内に市場投入を実現したいと考えています」とJammiy氏は展望を語る。
最初の市場としてシンガポールを選んだ背景には、規制当局の対応の早さがある。
一方、日本市場への進出では、住友商事との戦略的提携が大きな突破口となった。2025年3月に発表されたこの提携により、Hoxton Farmsは海外スタートアップとして初めて、日本での非商用サンプル提供を実現した。
「住友商事とのパートナーシップにより、日本企業に向けてHoxton Fatを活用した試作品の開発が可能になりました。日本に輸入された私たちの培養脂肪を、実際の製品開発に活用してもらうという、世界初の機会が生まれています」
また、同社は日本市場での認可取得に向け、業界団体の細胞農業研究機構とも初期段階の協議を進めているという。「日本市場にもスムーズに参入できるよう、私たちも政府との協議に積極的に協力しています」と、日本への本格展開に向けた意気込みを語った。

Image : Hoxton Farms Scientists in tissue culture
大阪・関西万博参加で今秋来日予定
Hoxton Farmsは今後1〜2年の間に、いくつかの重要なマイルストーンの達成を見据えている。「2025年後半には、製造スケールの拡大に向けて、日本の大手企業との新たなパートナーシップを発表する予定です」とJammily氏は語る。さらに、トン単位での生産を可能にする大規模な商業施設の建設、そして2026年に予定している資金調達により、事業のさらなる成長を図る方針だ。
(※取材は2025年6月初旬に実施。その後、6月19日に三井化学がHoxton Farmsへの投資を発表)
より長期的なビジョンとして「世界最大のバイオ製造プラットフォーム」の構築を掲げている。「将来的には、私たちが日々利用している多くの製品が、細胞培養などのバイオ製造技術を基盤に作られるようになるでしょう」と語るように、Hoxton Farmsは脂肪にとどまらず、さまざまな細胞培養技術を支えるスケーラブルかつコスト効率の高いプラットフォームの開発を進めている。
「私たちの取り組みは、豚の脂肪だけにとどまりません。他の動物種やさまざまな細胞タイプにも応用可能で、さらに食品以外にも、化粧品やバイオ医療といった分野への展開も視野に入れています」
そうした多用途の応用を可能にしているのが、同社の技術基盤だ。ジャミリー氏は、競合との差別化ポイントとして3つの柱を挙げる。第1に、味と健康の両立。「私たちの製品は、市場でもっとも美味しく、もっとも健康的だと自負しています。AIを活用することで、脂肪の栄養組成を自在に設計できるのです」
第2に、細胞生物学の知見。そして第3に、独自開発のバイオリアクターと、それを支えるAIによるプロセス最適化。これらの技術を融合することで、培養脂肪の生産において高いスケーラビリティと柔軟性を実現している。
最後に、日本市場への思いについて、Jammily氏は次のようにメッセージを送った。
「Hoxton Farmsは、日本でのパートナーシップ構築とHoxton Fatの導入に非常に前向きに取り組んでいます。日本の皆さんと一緒に未来の食を創っていけることを楽しみにしています。9月には大阪・関西万博にも参加予定ですので、現地での新しい出会いを心から楽しみにしています」