食品メーカーでの経験、感じた限界
2013年、国際連合食糧農業機関(FAO)が気候変動や人口増加による食料問題を解決する糸口として、昆虫を食用としたり、家畜の飼料にしたりすることを推奨する報告書を公表した。以降、昆虫食に取り組むスタートアップが増えている。エリーは2017年に設立し、2018年から本格的に蚕を原料とした次世代食品「シルクフード」の研究開発に取り組んでいる。
梶栗氏は食品メーカーの出身で、当時は小麦や大豆などを扱っていたが、ある限界も感じていたという。
「メーカー勤務時代は、小麦や大豆からつくられる食品素材を扱っていましたが、非常にコモディティ化していて、悪い言い方をすると価格競争のような世界でした。当時、面白いと思ったのは、植物性タンパク質や大豆タンパク、今でいう大豆ミートでしたが、日本の食品産業は少々保守的で、チャレンジングなことに取り組みづらい傾向が、少なくとも私がいた時代はありました」
人口の増加に伴う世界的な食料危機が叫ばれ、代替食品のトレンドが注目される中、「昆虫食にチャンスはある」と考えた梶栗氏。「昆虫をもって新しいタンパク源をつくることで、肉や牛乳、卵から置き換え、食料問題の解決につなげたい。蚕の栄養素によって日本の健康問題の解決にもつなげたい」とエリーのミッションを語る。
養蚕の長い歴史と、伝統の絹産業を誇る日本の強み
多種多様な昆虫の中で、蚕に着目した理由は大きく2つあると梶栗氏は説明する。
1つ目は、蚕は効率的に飼育・生産できるという点だ。「蚕は、養蚕業の長い歴史の中で完全に家畜化されています。逃げたり、飛び跳ねたり、鳴いたりもしません。また、省スペースで効率的に飼育できます。非常に飼いやすい昆虫で、他の昆虫に比べても食への利用に優位性があると思います」
もう1つの理由は、日本ならではの強みだ。絹の原料である繭を生産する養蚕は、約2000年前に日本に伝わったとされる。近代化において養蚕・製糸業は国内で盛んになり、技術も発展した。世界遺産にも登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)があるなど、生糸は当時、日本の主要な輸出品であり、産業を支えた。
「日本には、蚕に関する研究成果が多数あります。例えば、昆虫を将来的にゲノム編集したり、より美味しい食品として開発したりするためには、品種改良などが必要になります。日本における蚕の研究リソースは非常に豊富で、ゼロから研究を積み重ねる必要はなく、バックボーンがあります。日本で昆虫食をするなら、絶対に蚕だと思いました」
蚕を「おいしい」「健康」「使いやすい」次世代のサステナブルな食品として刷新し、日本発の代替タンパク質産業として世界中に普及させることで将来の食料不足問題の解決を実現したいという考えだ。
Image:エリー
大企業とアクセラレータープログラムで連携
蚕を食品として利用するために、エリーは積極的に大企業のアクセラレータープログラムに応募した。これまで、伊藤忠商事、稲畑産業、キリン、大正製薬、明治、味の素などのプログラムに参加したほか、東大IPCの起業支援プログラム、京都大学との研究開発にも取り組んできた。
パウダー化に取り組んでドレッシングを実験的に作ったり、群馬県の養蚕関連団体とつないでもらったり、栄養素の分析をしたりと、大企業のリソースやネットワークを活かしたオープンイノベーションで、研究と商品開発につなげていった。酒⽥⽶菓とは共同開発によるチップス、大正製薬とは限定販売でプロテインスムージー(現在は休売)の商品化を実現した。
大正製薬との連携を通して、蚕の分析や研究開発を進めた結果、蚕は62種類の栄養素を含んでいること、オメガ3脂肪酸が豊富であることも分かった。ほかにも素材加工においても、パウダーだけでなく、より生に近いペースト状にすることで、「シルクミート」として代替肉としての展開も道が拓いていった。
「昆虫食というと、まだマイナスなイメージがあり、そこからのスタートだったので、信頼度の高い大企業と一緒に情報発信をしていくべきだと思いました。また、大企業は素晴らしい研究施設、リソースを持っており、よりスピード感を持った非常に実践的な研究開発ができるという利点があります」と大企業との連携のメリットを語る。
豊富なオメガ3脂肪酸で「肉と魚のいいとこどり」
エリーのプロダクトには現在、消費者向けのチップスやチョコレート、業務用にペーストやパウダーなどがある。敷島製パン(Pasco)とは業務提携契約を結び、蚕パウダーを使った共同商品開発に取り組み、Pascoの「まゆの便り」シリーズとしてクロワッサンやマドレーヌが販売されている。
また、シルクミートをひき肉の代わりに使ったハンバーグパティやタコスミートなどへの可能性も広がる。
「大豆ミートなどのプラントベースミートは、いわゆる脱脂した素材を使うことが多く、添加物を入れる必要があったり、大豆の栄養素のみになったりします。それに対し、蚕はナチュラルな原料で栄養素も豊富なため、添加物を使わなくてもよく、青魚のようにオメガ3脂肪酸を豊富に含むので、『肉と魚のいいとこどり』ができるといえます」
エリーのプロダクトは現在、蚕の繭の中にある蛹(さなぎ)を原料としている。使用している蚕は2種類あり、桑を食べる蚕は国内の製糸工程で出てくる蛹の中から食品にも使えるものを提供してもらっているが、主な原材料となる蚕はベトナムの委託農家で生産している。
ベトナムの養蚕で使っている蚕の飼料は、キャッサバの葉だ。タピオカの原料としても知られるキャッサバは、アフリカやアジア、中南米など熱帯の地域を中心に広範囲で栽培されている。世界的には主要作物で、日光や乾燥に強く、育てやすい点が特徴だ。
「昆虫食で一番重要なのは、餌をどうするかなんです。キャッサバはイモとして炭水化物として取れますし、葉は養蚕に使われて、タンパク質と良質な脂質になりますので、簡単に育てることができる上、三大栄養素をバランスよく摂れるところが強みになります」
キャッサバを食べる蚕で養蚕モデルを 地域と連携した耕作放棄地問題の解消にも
エリーの現在の収益体制はビジネス向けの原材料販売と、消費者向けの販売で、ポップアップストアなど小売店向けの展開でも認知度を広げている。
今後2〜3年の展開として、「まずは先述したように『肉と魚のいいとこどり』というシルクミートの市場をつくっていきたいです。またオメガ3脂肪酸を豊富に含んだプロテインパウダーの開発を考えています。この2つは商品化が決まっています」と梶栗氏は説明する。
生産面では、ベトナムでの委託農家だけでなく、国内でキャッサバを使った養蚕のパイロットファームをつくり、将来的には国内外で「エリー式養蚕モデル」を広げていきたいと考えている。
「まずは群馬県内の農家と連携し、自社のパイロットファームを始めます。それをモデルに、全国に、当社から養蚕のノウハウや必要なもの(蚕の卵、キャッサバなど)を提供し、それを使って蚕を生産してくれる農家などと連携する、というところから始めたいです」
国内でキャッサバを使った「エリー式養蚕モデル」を構築できれば、各地域と連携し、耕作放棄地や空き家を活用した地域活性化につなげることもできる。
そのためにも、さまざまな大企業とのパートナーシップについて見据えている。「全国的なネットワークがあり、自治体などと連携しながら『新しい食の生産モデル』をつくっていける企業と一緒に取り組みたいです。加えて、絹の生産ももちろんできるのでアパレルとも連携できます。耕作放棄地からたくさんのバリューを生み出せるというこのモデルは、日本各地で活かせると思います」
「サステナブルで将来的に意味のある、でも今はまだ抵抗感が強いという『昆虫食』において、販売の部分を一緒に考えてくれる卸・小売関係との連携ができればと思います。我々は『日本発の代替タンパク』を謳っており、海外市場で『肉と魚のいいとこ取り』で生まれた新しい昆虫食として、グローバル展開につなげていける協力者がいるとありがたいです」
そのためにも、原料の安定供給とコスト抑制が必須だ。現在、ベトナムでの原料生産は1キロ当たり1000円ほどだが、これを日本で加工するために冷凍空輸をすると、物流費がプラスで大きく圧し掛かる。日本でキャッサバの栽培、養蚕が実現すると、今のコストを抑えることができる可能性があるため、それを検証するためのパイロットファームでもあるという。「コストは1キロ当たり、約300円の水準を当面は目指していきます」
Image:エリー
主要なタンパク源を置き換える新たな市場づくりへ
エリーが目指す将来的なビジョンとして、梶栗氏は「まずプロダクトに関しては、代替肉からスタートして、卵、乳と、蚕で主要タンパク源を置き換えていきたいと思います。現在その研究も進めており、課題も見えてきていますのでそこをクリアしながら、今後3年くらいで、次に進めればと思います」と説明する。
生産面では「やはり大量に作るとなると、海外の主要なキャッサバ産地の近くで生産加工拠点を作る必要があります。その上で、シルクミートは欧米市場を狙い、生産拠点は今後も東南アジアが中心になると思います」と語り、海外展開のビジョンについて説明する。
世界的な人口増加と気候変動による食糧危機、さまざまな環境問題。その解決の糸口として注目される昆虫食。梶栗氏は「昆虫食というと、『昆虫をいかに食べるか』といった話題になりがちですが、我々がやっている事業は『昆虫原料からいかに付加価値の高い食品素材を作るか』であり、まさにフードテックです。見ているのは新しい市場であり、将来必ず必要となるサステナブルな市場に向けて、チャンスを感じたり、ぜひ取り組まなければいけないという使命感を持つ企業とぜひ連携して取り組んでいきたいです」と語った。
かつて、日本の貿易を支えた製糸・養蚕業。蚕を活かしたサステナブルな「新たな食の産業」として生まれ変わり、世界に打ち出していけるか。今後の取り組みが注目される。