※前編はこちら。
恩返しから「恩送り」の番に
2012年には、革新的ワクチン開発を目指すVLPセラピューティクスを共同創業した久能氏。社会起業家としては、S&R財団を設立。ワシントンDCのジョージタウン地区にある18世紀の歴史的な邸宅として有名なハルシオンハウスを購入し、そこを拠点として若い世代の起業家や科学者、アーティストらを支援するHalcyonを共同創業する。2018年には京都府でフェニクシーを共同創業し、取締役を務める。
――研究者から起業し、新薬開発でビジネスの成功をおさめ、今は起業家育成、ビジネス創出の支援に回られています。支援に回ろうと思ったきっかけには、どんなことがあったのでしょうか。
2012年ごろに会社の日常業務から離れ、アメリカの方にお任せすることにしました。では、これからの10年、何ができるかと考えたときに、私がここでしてもらったことをコミュニティに返していきたい、また、日本から来た方の支援をしたいと思っていました。
米メリーランド州ベセスダにあるアメリカ国立衛生研究所(NIH)に来ていた赤畑渉さんという日本人の研究者と知り合いました。ワクチン開発に取り組んでいて、当時はまだ若くてこれからどうしようか迷っていましたが、一緒にワクチン開発を目指すVLPセラピューティクスを2012年に共同創業しました。赤畑さんは日本でもがんや新型コロナウイルスのワクチン開発にも取り組んでいます。
2014年、Halcyonを立ち上げる。2018年、フェニクシーを共同創業。ジョンズホプキンス大学、ヘンリー・L・スティムソンセンター、マンスフィールド財団、京都大学等の理事のほか、お茶の水女子大学や、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の評議員も務める。2022年の純資産額は2億2000万ドル(約299億円)と推定される。
振り返る余裕ができると、お世話になった方々にお礼やお返しをしたいと思った時には既に亡くなられた方や引退された方もおられました。それならこれから「恩返し」ではなくて「恩送り」をしていこうと思いました。次の世代のために、Investments to next (次世代への投資)をしていこうと。ちょうど、2013、2014年ごろのアメリカでは大きな動きがあり、ソーシャルインパクト、世の中を良くするっていうことに対しての責任、ビジネスの手法を使って世の中も良くするというSocial entrepreneur(社会起業家)がまさに怒涛のように増えていました。
お金はもちろんツールです。でもお金を儲けることができないとサステイナブルじゃない。ではお金を儲けつつ、どう世の中をよくするかということをより意識的に考える、いわゆるProfit(利益)& Purpose(存在意義)を考える社会起業家という人たちが本当にたくさん出てくる時期でした。
せっかくインキュベーターをするのなら、社会起業家のためのインキュベーターをやろうとなり、Halcyon(ハルシオン)を2014年にスタートしました。5カ月間、ワシントンDCに滞在して、インキュベートするというプログラムです。若い人たちと一緒に取り組んだプログラムはどんどん大きくなり、既に100人以上が100社以上の会社をつくって旅立ち、約2500人の雇用を生み出し、約200億円の資金を調達しています。
成果をきちんと出す、数字を出せるという測定可能でスケーラブルな仕事をしましょうと若い世代に伝え、それが形になりつつあるという感じです。
Image: Halcyon
Image: Halcyon
「お金が集まるのは男性の会社ばかり」に気付き、即行動 女性ファンド設立
――ハルシオンはすごく多様性にあふれた取り組みですね。
2016年ごろ、ハルシオンにちょうど男女半々ぐらいの起業家が来てくれ、ジェンダーもpeople of colorも、全体のバランスがとてもよかったんです。でも、お金を集めようと資金調達をやり始めた途端に、95%くらいのお金が男性が創業した会社に行く。事業内容を比べても差はないし、女性が立ち上げた会社の方が将来性があるところも多かったのにも関わらずです。いくらなんでもおかしいねと調べました。すると、すぐに問題が分かりました。
金融業界そのものが男性社会で、9割以上が男性という業界なんです。アメリカで、ですよ。シリコンバレーのVC、ベンチャーキャピタリストのほとんどは白人男性で、そして97%のお金は、男性の立ち上げた会社に投資される、ということが分かりました。ダイバーシティの問題は、投資を受ける側の問題ではなく、投資する側、お金を出す側の問題だと気付いたんです。その上でアメリカのいい点は「気付いたらすぐやる」という点です。
女性のファンドマネージャーによる、女性のためのファンド、We Capitalを2016年に立ち上げました。(女性やノンバイナリーのリーダーがテクノロジーを使って世界の課題解決に取り組む企業に投資するベンチャーキャピタル)Rethink Impact と一緒になって、100億円ぐらいのファンドを作ることができました。女性の投資家を育てることが必要であり、投資する側が多様でないと、お金の流れに関する結果は変わらないのです。
アメリカで遅れていたのが、女性が「お金を触らない」という部分でした。信じられないかもしれませんが、アメリカでは働く女性は多いし、高い給料をもらっている女性も多いのにも関わらず、例えば資金を運用することに関しては男性の仕事、投資家は男性という状況でした。
ファンドの立ち上げに多くの方々が賛同し、やり始めたら、すごく上手くいっています。We Capitalはこれまで25社に投資しました。3社はユニコーンです。気づいてみたらやってみよう、やってみたら結果を出そうという、これもPoCですね。いろいろ言われることもありましたし、男性がファンドを作るとなると1000億くらいはないといけないという話になったのかもしれませんが、小さな額ではあるけど、とにかく始めました。その後、ゴールドマン・サックスなどもジェンダーファンドを立ち上げ、今すごく注目されている分野です。
Image: 久能祐子氏
プロフィットオンリーの西海岸、「ビジョン系」の東海岸
――アメリカの実行力はすごいですね。若い世代の意欲やビジョンにも大きな力を感じます。さまざまな壁もあったと思いますが、どう支えてきたのでしょうか。
ファンドに参加した人たちはビジネスで成功した女性たち、50代、60代の女性が多いです。ミレニアム、GenZといわれている人たちがビジョンを掲げて取り組もうとしている時に、その「お母さん世代」が、額は少ないながらも自分で使えるお金ができて賛同してくれたという感じです。
自分の娘たちが教育も受け、働き、ビジョンも志もあるところを応援したいという感覚がありました。特にアメリカの中でも東海岸はそういう意識が強いと思います。
――シリコンバレーのある西海岸と、ワシントンDCなどのある東海岸で、起業や投資に関する違いがあるのですか。
ありますね。シリコンバレーも今は変わってきているけど、本当にプロフィットオンリーなところがあって、先ほども言いましたが、シリコンバレーのVCは97%のお金を男性に出していて、ほとんどのファンドマネージャーも男性、ボードメンバーもほとんど男性という世界でした。最近は変わってきています。ただ、力の世界というか、規模や経済的リターンを競い合う部分が大きいです。
東海岸は「なんのために、その会社を立ち上げて事業に取り組むのか」「実現したらどんな世の中になるのか」といったビジョン系が強いと思います。ここ5、6年はシリコンバレーも含めて、「ビジョン系」の流れが非常に強くなってきたと感じます。ジェンダーギャップについても、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)の問題も含め、シリコンバレーが強く批判されたことに対して、何とかしようという動きでもあります。
あるいは、物事がCentelized(中央集権化)されていることに対する反対の気持ちも広がっています。ブロックチェーンもその動きですよね。Decentralized(分散型)やTransparency(透明性)という考え方がより強まっています。
よく日本の方にビジネスやアメリカの状況などを聞かれる際に、こうお答えしています。
「アメリカ、特にシリコンバレーをモデルとして追いかけていると、日本が追い付いた時には『シリコンバレーモデル』はもう古くなっているし、シリコンバレー自体が変わっていて既になくなったモデルになっている可能性もあります。やはり、自分たち自身が1番いいと思うビジョンを作ったり、それに向けて最もやりやすいアプローチを考えてやってみることが、1番大事じゃないですか」と。
パラダイムがシフトする世界で必要とされるのは「中心から離れている人」
――まさに日本でもジェンダーギャップやアンコンシャスバイアスの問題は、指摘され続けています。にも関わらず、「男性ばかり」の世界ではなかなかその問題に気付かなかったり、変えようという動きも自発的には起こりにくい状況です。
パラダイムがシフトするというのは、今までみんなが「良い」と思っていたモデル自体が崩れるということです。今ある選択肢の中だけで「モデル」を探してしまうと、先述したシリコンバレーのようにVCの大半を男性が占め、女性の起業家にお金が行かないという話になってしまいます。ただ、We Capitalの立ち上げやユニコーンが輩出されている例でも分かるように、女性に資金が行き始めると一気に花開くということも証明されています。
最近話した日本の女性の方が「男性たちが『僕たちの価値観、僕たちの側に乗って来てもいいよ』という取り組みには、乗らないことにしている。それは『倉庫行きの列車』かもしれないから」と話しておられました(笑)。日本人が「シリコンバレーモデル」を追いかける必要がなくなっていることと一緒で、女性も「男性モデル」を追いかける必要はもうなくなっていると思います。
――社会課題を解決するためにビジネスの手法を利用し、利益をちゃんと出すことが大事だという観点は一層強まってきていると感じます。ハルシオンで多くの若い起業家を育ててきた久能さんはその背景をどう見ていますか。
将来がより一層、予想しにくくなっていることが要因として大きいと思います。日本でもよくVUCAとか、人新世とか、言われていると思います。要は化石燃料を使い始めてから、さまざまなことが指数関数的に起こり、将来が予想できない状態で私たちは生きています。何が起こってもおかしくないという世界を生きているのです。そうすると、お金儲けができるかどうか以前に、生きていけるかどうか、サステイナブルかどうかという重要性が大きいわけです。
ビジネスのアウトカムとして考えられるものも多様化してきています。経済的インパクト、社会的インパクト、環境的なインパクトと、少なくとも3つはあります。気候変動という大きな問題も含めて、若い世代はこれら3つのインパクトを目指さなければならないし、そうじゃないと生きていけないと考えています。
Image: Halcyon
Image: Halcyon
「将来が見えにくい」「何が起こるか分からない」世界だからこそ、今まで誰もやってないことを実現できる人が必要とされていることだと思います。だからこそ、ダイバーシティやEquity(公平・公正)、Social Justice(社会正義)も大事です。これまでのように、右肩上がりに、直線状に世の中が開けていた状態なら、10年前のモデルも今のモデルもそれほど変わらないでしょうが、「パラダイム自体が変わらざるを得ない」ことに、多くの人が直感的に気付いていると思います。
例えば、インターネットモデル、情報革命モデルも30年しか持たないと言われます。「次の波」がやってくるのも当然で、それに対してどうしたらいいか、なかなかバックキャストができないわけです。
リーマンショックが2007年から2008年にあり、いかにお金だけを目指してやることが虚しいかを知った当時20歳だった人達も、今は30代です。当時のgreedy(強欲)な、バブルに浸かっていた親世代がいかに無力なのかを知り、やはりミレニアル世代、ジェネレーションZは世の中を大きく動かそうとしています。
新型コロナウイルスのパンデミックもそうですが、次々と危機がやって来ます。危機の事態には女性や子供、弱者に最も影響が出ます。グローバライゼーションで格差も大きく広がりました。これまでアメリカの良さはミドルクラス(中産階級)が多くを占めることでしたが、格差が広がり、社会階層間のモビリティが悪くなって、「下から上へ」行くのが難しい社会になってきました。
多様性、公平さ、インクルージョンの時代を迎え、パラダイム自体が変わるなら、いま「中心・センターにいない人」、「マジョリティでない人」の方が将来が見えない、答えが分からない時代に活躍するという考え方だと思います。
起業家育成に「京都」を選んだ理由
京都を拠点にしたフェニクシーは、社会課題を解決する事業アイデアと、それに取り組む起業家を育てることをミッションに設立。インキュベーションプログラムは、大企業に所属しながら起業を目指す人向けの育成にも取り組む。参加者がフェニクシー専用施設「toberu」に4カ月居住して各自の事業アイデアを磨き、新規事業創出や起業を目指す住み込み型のプログラムだ。
――ワシントンDCでやっているような社会起業家育成を、京都でフェニクシーとして始められたと聞いています。手ごたえはいかがですか。
フェニクシーもソーシャルインパクトを作り出すための社会起業家支援ですが、日本の場合は大きな組織、大企業に属していらっしゃる方が多いので、そこを辞めなくてもできる起業をやりましょうということで、スタートしました。
うまくいってるのはそういう大きな組織に属している人たちと、学生出身や、京都にたくさんいる起業家達が、ミックスして共に過ごすことなんです。インキュベーションプログラムの参加者は、フェニクシー専用施設「toberu」に4カ月間居住します。食事はフードインキュベーターっていう形で、料理で起業したい人達が担当します。そうやってミックスされた環境が非常に良かったのではないかなと思うような結果がだんだんに出てきています。
Image: フェニクシー
ファンドもつくりました。日本にもインキュベーターはたくさんありますので、私たちは、プロダクトやサービス、会社の価値創出よりも、「人を育てる」ことに取り組んでいこうと思っています。未来を切り拓いていける人、自分で決められる人、自分でビジョンを作り、リードして周りとやっていける人が育っていってくれたらいいなと思っています。
ハルシオンも一緒なんですけど、Sharing time and spaceで、古い街で自分とじっくり向き合う時間が4カ月~5カ月あるというのは、単にビジネスプランを作るだけではなく、人間の学びや悟り、そういうところに大きく貢献するのではないかと思っています。そういう意味でどちらも「唯一無二の場所」になっていければと思います。
――京都という場所を選んだのは、ご自身が京都大出身だからですか。
実はそうではないんです。個人をよくすること、社会をよくすること、世界をよくすることの3つを同時に考えるのはなかなか難しい。京都という場所は、京都大も「自由の学府」と呼ばれますが、個人の自由が非常に大きい所だと思うんです。自分で考えて、自分で決めて、自分でやって結果をみる。非常にシンプルです。その個人が取り組んだことが社会に、世界にとっていいことにつなげられるか、「三方よし」になればいいなと思いました。
あと、東京は「シリコンバレーモデル」でやっていくだろうと思っていましたし、同じ日本で同じことをやっても意味がないと思ったので、「東京モデル」ではないやり方を京都でやってみたいと思いました。
「中央」から少し離れたところにいるという事が、「真のイノベーション」には必要なのではないでしょうか。東京には東京の良さが、シリコンバレーにはシリコンバレーの良さがあります。ただ、今のように、何が起こるか分からない世界をゼロから受け止めて、それに対して動ける本当の意味でのリーダーになっていくのは、中央から「ちょっと離れたところ」から出てくるのではないか。そんなふうに思いましたので、京都にしました。
Image: フェニクシー
アイデアの先見性 「綺麗な心で強い人」に投資する
――最後に、久能さんの投資家としてのクライテリア、投資哲学について教えてください。
レイトステージは自分ではやっていなくてもう別にお任せしていますが、We Capitalも含めて、アーリーステージに関しては私自身で決めているものもあります。先ほどのVLPセラピューティクスもそうですが、やはり、私にとって大事なのは、「アイデアの先見性」ということです。また、うまく行った時の広がり感、duplicableなのか、再現性があるのか、スケーラブルなのかという点を見ています。誰も考えていないようなアイデアがうまくいったとしたら一挙に大きくなる話なのか、という視点です。
ソーシャルインパクトと経済的インパクトとのバランスが取れているかという点も考慮します。ただ、最後はやっぱり「人」なんですね。変に聞こえるかもしれませんが、「綺麗な心で強い人」なんです。強さと志、最後まで行ける人はそのどちらも持っている人です。
どちらかに偏ってると、山の頂上まで行くというとても大変な仕事をやり遂げられない、登りきれないんですよね。
でも、これは本当にあくまで私の考えであり、私の好みで投資先を決めています。なぜ投資する側の多様性が大事かというと、私の例でも分かるように、それぞれ違う人がいるからこそ、さまざまな投資があるということです。決まった規則やルールはありません。だからこそ、投資される側の多様性も出てくるわけです。そうすると多様な起業家が生まれ、多様なアウトプットが出てきて世の中がよくなります。選択肢を狭くしてはいけないと思っています。