世界のオープンイノベーションの発信地、シリコンバレーのエコシステムに日本企業が入り込めない原因を説いた櫛田健児氏の「シリコンバレーの日本企業が陥る、10のワーストプラクティス」は大きな反響を呼んだ。一方で、「『シリコンバレーの』とうたっているが、日本国内でも当てはまることが多い」という指摘も寄せられたという。そこで、「新規事業」や「オープンイノベーション」に携わる企業人であれば、働く場所が日本であっても共通して陥りがちな落とし穴、日本企業という組織内でのパワーバランスや思考フレームに由来する最新のワーストプラクティスをまとめた。

―日本企業が新規事業でつまずく初歩的なミステイクは何でしょう。

 まず、新規事業を通じて会社として何がしたいのかがそもそも明確ではない、つまり、新規事業のビジョンがないことです。新規事業を生み出すことで、既存事業をオプティマイズ(最適化)したいのか、それとも全く異なる価値を創り出したいのか。最初にどちらの方向性でいくのかを明確にすることが重要です。ここが疎かになると、スタートからつまずいてしまいます。

 以前、新しい価値観や新規事業を生み出すには、「両利きの経営」が有用だという話をしました。私流の例えでは片方のはさみが大きい「シオマネキ」というカニのような状態が多くの既存企業で、大きなはさみが既存の主力事業、小さなはさみが新規事業です。大きなはさみはパワーが強いけれども、ディスラプションで腕ごとなくなった場合に小さなはさみしか残らなくなる。それでは生命体として立ち行かなくなるので、体力のあるうちに小さなはさみを育てることが肝心です。

 ただ、会社組織の大半の人は規模の大きい既存事業に属していて、新規事業は規模が小さい。大規模な設備投資などを伴う大企業の観点でいう「新しいことをやる」と、失敗を積み重ねながら成功への道筋を見出していく新規事業の「新しいことをやる」は根本的にフレーミングが違います。新規事業は未知の領域にチャレンジするという既存事業と全く異なる軸を持っていて、うまくいかないことがほとんどだというメンタルモデルがまず必要です。そしてうまくいかないのは「失敗」ではなく「ラーニング」の機会で、具体的に何がどういう力学でうまくいかなかったのかを検証できる大事な機会です。

シオマネキ image: Wuttichok Panichiwarapun / Shutterstock

―新規事業のビジョンを描いた上で、「うまくいかなくて当たり前、ラーニングの機会」と知ることから始まるのですね。次のフェーズでは何が必要になってきますか。

 組織の話になりますが、新規事業に携わる「新規事業部」や「オープンイノベーション部」というのは、孤立して本体のリソースが使いにくかったり、あるいは十分に使わせてくれなかったりする。そうすると、新規事業は新規事業部のみのマターであって、他の部署は関係ないというマインドに陥ってしまいます。

 カニの話で言えば、生命体として本体や脳みそのサポート、つまりリソースがないと小さなハサミは育ちません。したがってカニの本体と脳みそ、つまり経営トップのコミットメント・人材など各種リソースをふんだんに活用する必要があります。

―経営トップのコミットメントとなると、組織としての新規事業に対する本気度が問われそうです。

 その通りです。ここで現れる壁が、新規事業に対するトップのコミットメント不足です。これには2通りあって、1つはトップがあまり知らない、そんなに興味がないというパターンです。

 トップが統治型で、複数の主力事業部との調整がメインで、自ら強いリーダーシップとビジョンを描くタイプのリーダーシップじゃない場合に多く見られます。既存事業をオプティマイズして、そこから収益をどんどん上げていくタイプのリーダーで、これは多くの場合、既存事業部から上がってきた人が、既存事業部を大きくすることのみを本気の優先事項とする考え方を持っているパターンです。

 もう1つは、トップが新規事業に対する期待はあるけれど、担当部署に丸投げしてしまうパターンです。理解はあるけれど、「よし新規事業部、頑張れよ」と放置プレーをしてしまう。そうすると、新規事業部の定期的な進捗確認や社長報告がほとんどない、あるいは年に1回しかないというような状況が生まれる。これは、組織にサポートしてもらっていないに等しい状況です。

櫛田 健児
シニアフェロー
1978年生まれ、日本育ち。スタンフォード大学卒、経済学、東アジア研究専攻。カリフォルニア大学バークレー博士号修了。スタンフォード大学アジア太平洋研究所でポスドク修了後、2011年から2022年までスタンフォード大学アジア太平洋研究所日本プログラムリサーチスカラーを務めた。カーネギー国際平和財団シニアフェローで日本プログラムディレクター。シリコンバレーと日本を結ぶJapan – Silicon Valley Innovation Initiative @ Carnegieプロジェクトリーダー。キヤノングローバル戦略研究所インターナショナルリサーチフェロー。東京財団政策研究所上席研究員(客員)。スタンフォード大学非常勤講師(2022年春学期、2023年冬学期)。

―現場のあり方などで共通して見られるミステイクもあるのでしょうか。

 新規事業部のメンバー、つまり人員配置です。「新規事業部は新しいことをやる部署だから若者を配属しよう」という理由で人材を配置するケースは少なくありません。新規事業部のメンバーに裁量と決定権がない場合、新規事業部が新しいことをやろうとしたり、オープンイノベーションでスタートアップと関わっていったりする中で、社内の色々な所に許可をとらなくてはいけないのでプロジェクトが進まなくなってしまう。

 また、若手すぎてリソースも決定権もないだけじゃなく、社内の誰が何をやっているかそもそも知らないという状況にもなります。本来は社内の既存事業部を引っ張ってくるタイプの人的リソースと信頼が必要なのに、それがないので、つなぐべき人と人や、部署と部署をつなげられないという状況です。

―社内の連携が重要なのに、そこでつまずいてしまうわけですね。他に新規事業部と既存事業部の関係性で注意すべき点はありますか。

 新規事業は往々にして従来の物差しで測れないものですが、既存事業部のKPIを押し付け、既存事業のKPIで新規事業を測ろうとするという落とし穴に陥りがちです。本社の事業部はうまく行かない可能性が高い新しいことをやるインセンティブがKPIに含まれていないので、一緒に何かをやろうということになっても、全く見向きもしてくれない。

 これはトップのリーダーシップにもつながってきます。トップが新規事業をやろうと旗を振り、末端の人が頑張ろうと意欲を示しても、中間の本部長とか部長クラスの人が全然乗り気じゃなくてオセロゲームにならない。なぜかというと、中間層のKPIがちゃんと設定されていないからです。

 これらは根本的には、既存事業の思考フレームから外れたものは見えないという、思考フレームの問題です。

 例えば、UCバークレーのビジネススクールの教授の研究によると、コダックがデジタルカメラを発明した際、当時はカメラをどれだけユーザーが利用しているかの指標は「写真の現像枚数」でした。そうした場合、デジカメのデータを写真に現像する枚数自体は少なかったので、デジカメはニッチ商品だという結論になりました。実はものすごく人気なのに、みんな写真を現像していないだけというのを見落としていたので、デジカメが既存事業をディスラプトする脅威だったのに、状況把握のために集めるデータを既存の思考フレームで集めていたので捉えられなかったわけです。

 しかし、思考フレームを変えるというのは難しいもので、後から振り返ればあたかも簡単に思えるのですけど、当事者たちにとっては簡単な話ではありません。ですので、ここまで説明した構造要因というのは、何も悪いことをやろうとしているわけじゃない。既存事業をどんどん向上させようといった延長線上で、新規事業という違うことに適応できず、駄目になってしまうというケースです。

 ただ、既存事業の思考フレームから抜け出せないことが根本原因としてあることは理解しておく必要があります。

「新規事業は従来の物差しで測れない」と語る櫛田氏

―ここまで新規事業に取り組む姿勢についてお尋ねしましたが、反対に新規事業に取り組まないことによるデメリットは存在しますか?

 大企業が新規事業について考える時、「機会損失」を測っていないという点は見落としがちなポイントです。新規事業をやってみて、うまくいかなかった場合はもちろん見える形でのマイナスと捉えられてしまいがちですが、やらない、もしくは、そもそもやろうとしなくてディストラプトされてしまうという場合の損失に対する評価はされません。やらないことがマイナス評価にはつながらない現状は大きな問題と言えます。

 これは絶対うちの会社がやるべきだという新規事業の分野があっても、万が一うまくいかなかったら自分の個人評価が悪くなるというブレーキが働き、実際にやらないというのは否決権を持っている人が陥りやすい思考です。

 ただ、自社がやらなかった領域がものすごく大きな市場になったとしたら、それが表面化した後に「やらなかったコスト」というのは出せますけど、まだ有望市場として表面化していない時点で機会損失を数値化することはできません。そこが難しい所ですね。

―先ほど、経営トップのコミットメントが重要という指摘がありました。経営陣を巻き込んでいくには、具体的にどんな方法が有効でしょうか。

 例えば、私のワーストプラクティス集の記事を読んでもらう方法が有効です(笑)。内部の人間として上に意見を上げると、文句を言っていると受け取られるようなことも、外部から直接上にサクッとインプットすると、あっさり取り入れられるというパターンが驚くほど一般的なんです。社内レポートで報告するのとは、一味違う刺さり具合があります。

 また、トップと会う機会があれば、ぜひこれを試してみてください。どこかへ出張する先で「コラボ先の企業とちょっと会いませんか」とスケジュールを組み込む方法です。普段は多忙なトップも、出張先だとスケジュールがこちらで若干コントロールできる余地が生まれるんですね。

 本社だと既存事業の方に大半の時間を割き、難問に頭を抱えてさまざまな意思決定をしなければいけないので、トップの方々もアウエーで知的刺激を得たいという欲求があるし、息抜きのタイミングが必要。そのタイミングを上手に活用して、彼らにインプットしてもらうという方法は有効策の1つです。

image: SeventyFour / Shutterstock

―社内の仲間づくりに関してはいかがでしょう。

 仲間をつくるには社内でムーブメントを起こさなくてはいけません。大企業は何かしら面白い人が結構いますので、この指止まれ方式で情報発信して興味を持ってもらう。ここで、社内でアピールする場合も自社を外にアピールして仲間を作る場合も共通して言えることですが、誰のペインポイントを解決しようとしているかが重要です。顧客のペインポイント、つまり困り事、それをどんな風に解決しようとしているかです。顧客のさらに先のお客さんでも良いのです。

 例えば、身内に不幸があったとします。相続関連でさまざまなペーパーワークの手続きがあり、ライフラインサービスの停止・切り替え手続き、市役所での各種手続きなど少なく見積もっても100時間以上かかるでしょう。多忙で、精神的にも参っている時の100時間、これはペインポイント以外の何ものでもありません。もし仮に、これを数時間に減らすことができるとしたら、まさにペインポイントを潰せたということになるわけです。

 このケースで言えば、地銀とそのお客さんが、相続イベントが起きた後の5年間は資産をその銀行から動かさないという契約を結び、それと引き換えにこの100時間分に相当するであろう行政手続きや各種ペーパーワークを肩代わりしますと。そうしたサービスをスムーズに行えるよう、生前に土地の権利書とか必要な証明書の扱いも決めておくといった具合ですね。これは地銀のお客さんのペインポイントですが、地銀にサービスを提供している会社にとってはお客さんである地銀のさらに先にいるお客さんのペインポイントなので、その解決策を地銀に提案するというのもありです。

 ペインポイント中心の考え方というのは、まさにシリコンバレーの考え方です。世界トップに立つような巨大テック企業がうまく行っている時や、大成功しているスタートアップは、みんなこれをやっています。シリコンバレー流価値の作り方というのは、お客さんが真ん中にあるのです。

 このユーザーファーストの視座を4点に分けて説明すると、「①顧客あるいは顧客の顧客のペインポイント(課題)は何か?」「②その解決法は何か?」「③その解決法はスケールするか?」「④なぜ自社やこのチームでないといけないのか?」となります。

 ですので、新規事業を立ち上げる際には、誰のペインポイントを潰しているのかというのを明確にして、ペインポイントの解決法を探し当てる。そして、それを自社の発展の歴史だったりストーリーに組み込む。そうすることで、既存事業部の人たちを納得させられる説得力が生まれます。周囲を巻き込んでいくことに課題を感じているなら、ペインポイントの共感でつながるというのが解決の糸口です。(後編に続く)



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