※本記事は2024年12月にeiiconとTECHBLITZが共催したセミナー「Whyから始める企業変革 〜大企業におけるイノベーション戦略の立案と実践の思考法〜」の内容を基に構成しました。モデレーターを務めたのはeiiconのシニアコンサルタント、成富一仁氏。
目次
・イノベーションには北極星が必要だ
・「最初は微妙」だったビジョンが浸透した理由:パナソニックホールディングスの場合
・患者さんとの触れ合いが社員の意識を変えた:小野薬品の場合
・「WILL」を持つ人材を育み続ける
イノベーションには北極星が必要だ
成富:これまでのイノベーション創出活動や、そこで発生した課題や壁に、お二人がどう対応してきたかについて、「Why」の部分を中心にお話しいただけますか。
西城:パナソニック ホールディングスに属する技術部門では、2040年にどのような社会を実現したいか、そのなかで我々はどのような役割を担うべきかについて示した「技術未来ビジョン」を作成しました。
KPIを追求しながら現業を続けていくと、そもそも「何のためにこの事業を行うのか」という意味を見失ったり、人によって見解が分かれたりしてしまいがちです。また、イノベーションを達成するには、社内合意から始まり、投資や買収を実行する際にさまざまな壁や疑問にぶつかるものです。そこで、目指す方向を知るべき「北極星のような目印」が必要だという観点から、技術未来ビジョンの策定に至ったのです。「会社として『ここに向かっていくんだ』という指針があれば、その壁も乗り越えられるのではないか」という思いが背景にあります。
我々が実現したい未来とは「一人ひとりの選択が自然に思いやりへとつながる社会」であり、そのキーワードとなるのが「めぐる」です。エネルギーや資源だけでなく、一人ひとりがもつ優しさやスキルをめぐらせることで、より良い世界になるのではないかという想いがあります。
image : 登壇者のスライド資料から一部抜粋
藤山:小野薬品が「なぜ新規事業を行うか」「どこを目指しているのか」についてですが、「WILL(会社として・社員として成し遂げたいこと)」「CAN(当社だからこそ価値提供できること)」、そして何より「NEED(世の中に残されている重い課題)」の3つが重なる領域こそに、答えがあると考えています。
それらを踏まえ、私が属しているBX(ビジネス・トランスフォーメーション)推進部では「がん患者さん向けのケア・サポート」「がん以外の医薬品の対象疾患をもつ患者さんへのケア・サポート」「社員(主に社内ビジネスコンテスト)からの提案によるさまざまな困りごとを対象としたサービス」の3つの領域を手がけています。
その中から現在、新規事業として進んでいるのが「michiteku(ミチテク)」というWebサービスです。michitekuは「がんになっても怖くない、誰もがそう思えるような世界をつくる」ことを目指し、患者さんが今後の治療や生活について考えるサポートしています。現在はアプリを介して、がんに対する不安の緩和を目的とした情報を提供するサービスを行っておりますが、将来的には、例えば正しい治療法選択・仕事などとの両立支援・終末期のサポートなど、患者さんの人生に寄り添ったソリューション提供が考えられます。
「最初は微妙」だったビジョンが浸透した理由:パナソニックホールディングスの場合
成富:パナソニックの「技術未来ビジョン」は、どのような経緯で作られたのですか?
西城:PJの発足は、何名かの役員の発意によるものです。パナソニックは技術をコアとして大きな成長を遂げてきた会社であり、今までの技術部門のビジョンも非常に技術色の濃いものでした。ですから当然、方向性についての社内議論では「今までの延長線上がいいのでは」という意見も上がりました。ただ、昨今は気候変動をはじめとする大きな変化が世界規模で起きており、未来に不安を感じざるを得ない状況です。これまでの生活・暮らし方は立ち行かなくなる状況だからこそ、「抜本的な発想の転換が必要ではないか」ということで、これまでとは大きく方向性の違う内容を含むものとなりました。
先ほどの藤山さんの「WILL・CAN・NEED」の概念でいうと、まずは「WILL」。「パナソニックはどういう存在でありたいのか」を議論し、それを踏まえた上で、「本当にニーズはあるのか」についてさまざまなデータや技術の進化状況を鑑みながらさらに議論を進め、現在の「技術未来ビジョン」へとたどり着きました。
image : 登壇者のスライド資料から一部抜粋
成富:ビジョンを発表したときの社内の反応はいかがでしたか?
西城:2023年の夏頃に第1草案を発表したときは、正直、微妙でしたね。「たしかに理想的な世界だが、どう実現するのか」「これで事業になるのか」など。当然の反応だと思います。その後、何度も説明を繰り返したり、表現を推敲したりして、現在ではほとんどの事業部や事業会社のトップからの声が「ぜひこういう世界を作りたい」「ホールディングスが先導して、新しい世界・事業のチャンスを作ってほしい」というものに変わりました。
この構想を実現する為のアクションにおいて同じ想いを持つ他者・他社との協業は必須ですので、私たちは社外との対話も重視しており、「我々はこう思うけど皆さんはどうですか?」という形でいくつかのイベントなどで構想を話す機会を持ちました。その際の社外での当初の反応も、9割方は微妙なものでしたね。ただ、1割の方からは非常に強い共感を得ました。そのことで、「新規事業としていい方向に進んで行きそうだ」という確信を得ました。最初からみんなが「いいね!」という反応だと、タイミングとしてはもう遅いんです。インパクトや潜在的価値がある領域をいち早く見つけることが、大企業におけるオープンイノベーションの役割だと思っているので。
成富:具体的な事業内容はすでに見えていますか?
西城:「共助社会」の実現による地方創生の領域に可能性を感じています。居住人口ではなく「関係人口」(継続的に地域や地域の人々と多様に関わる人々)を軸に、地域に関わる人々によって生まれる交流や、それによる地方の事業活性化や住まう人のウェルビーイングへの貢献につなげるため、種まきを始めている段階です。
患者さんとの触れ合いが社員の意識を変えた:小野薬品の場合
成富:製薬会社は一般的に、患者さんの手前にいる病院・医師などをターゲットに事業展開をしている印象です。小野薬品の新規事業でのターゲットは、医療機関ではなく患者さんですよね。直接、患者さんに向けた事業を起こすに至った背景を教えてください。
藤山:おっしゃる通り、医薬品のエンドユーザーは患者さんですが、普段のビジネスでは患者さんに薬を処方する医師の方との関わりが主です。患者さんに向けた講演会や、上市の際に患者さんの声を聞くという活動はしていましたが、その機会はかなり限られていましたね。
ですが、抗がん剤の開発を通してがん患者さんと社員が触れ合う機会が増えてきたことで、「手術後は体が動きにくくなる」「薬の副作用が出る」「食事が取りづらくなる」といった問題を目の当たりにするようになりました。そこから、「もっと患者さんのためにできることがあるのでは」という視点が生まれた。まさに「WILL」が強くなったわけです。「大変な思いをしている人たちを助けたい」という社員たちの想いが、新規事業につながった感じですね。
成富:新規事業のスタート時は、トップから現場サイドまで一貫して「盛り上げていこう!」という空気でしたか?
藤山:そうですね。ただ、だいたいの企業は始めるときは「いいじゃん、やってみよう!」となると思うのですが、そこからが問題ですよね。当社でもスタートから4~5年経った今、「ビジョンは素晴らしいけれど、うちが本当にこの世の中で一番うまくできるのか」「投資をしていく価値があるのか」といった話が出てきています。「投資をしていく」「世の中に出していく」という段階では、先ほどの「WILL・CAN・NEED」の解像度をもっともっと上げていく必要があると実感していますね。
西城:まさに「あるある」だと思います。ビジネスコンテストなども、最初は「いいじゃん、いいじゃん」というムードになりますが、その後の具体的な道筋が見えないまま頓挫してしまうケースがわりと多いですよね。だんだんと足並みが揃わなくなり、最適な打ち手が選択できなくなってしまう。そのためにも、「WILL・CAN・NEED」の解像度を上げることに加え、改めて「Why」を意識することが重要かと思います。
成富:藤山さんは以前、ライオンというエンドユーザーとの距離が近い企業にいらっしゃいましたよね。今いらっしゃる製薬業界は法的規制などもあり、身動きが取りづらい部分もあるのでは?
藤山:ライオンでは日用品の商品開発や新規事業開発を担当しており、ユーザーのお宅を訪問して日常の行動を観察したり、お話を伺ったりというフィールドワークが必須でした。製薬企業では患者さんに話を聞く際にも制限があり、しかるべき手続きや抵触事項への留意が必要なケースも多いです。
そのような状況でも患者さんに直接話を伺う場をなるべく増やしてきましたし、そのことはプラスになっていると思いますね。製薬業界全体が、病気を治すだけでなく「人を見ていく」という流れになっていますし、小野薬品も患者さんに対する思いが非常に強い会社です。そうした要素を、新規事業などを通じてカタチにしていけたらと考えています。
image : 登壇者のスライド資料から一部抜粋
「WILL」を持つ人材を育み続ける
成富:そもそも、経営陣が企業変革への危機感を持っていない場合には、どのようにそうした意識を醸成していくべきでしょうか。
西城:危機感を煽ってドライブできるのは、短距離走だけだと思うんです。たとえば我々の
「技術未来ビジョン」の実現までは間違いなくマラソンであり、危機感だけでは完走できないでしょう。また私自身、ヤマハ時代もトヨタ時代も、危機感を煽るのではなく「機会がある」という言い方をしてきました。
経営陣には「こんな新しい機会があり、我々がやりたいWILLとも合致しています。どうしますか?」という形で提案し、検討した上で「やらない」と判断された場合は、まったくネガティブには捉えませんでした。検討した上での判断であれば、素直に経営判断だと納得できるからです。ただ、はなから検討しないのであれば問題でしょうね。
藤山:変革の必要がないという企業はおそらくないと思うので、「変革をしましょう」という提案は否定されないのではないでしょうか。その上で小野薬品の例をお話しますと、「新規事業を生み出そう」という起点ではありませんでした。「これから新しい市場に出ていかなければ」「海外展開も必要だろう」という議論の中で、「前例に従うのではなく、仮説思考でスピード感をもって動ける人材育成が必要だ」という方向性になり、「そのためには新規事業へのチャレンジも一つの方法だ」という流れでスタートしたのです。
ビジネスコンテストなどで改めて社内の人材を見渡してみると、「こんな才能の人がうちにいたんだ!」と驚くような社員、熱量をもってWILLを語る社員が多く現れたことは大きな収穫でしたね。とはいえ、現在は「社会にどんな価値提供ができるのか」という「成果」のほうに目が向いてきており、ここが大事な局面だと感じています。
成富:改めて、新規事業やイノベーションに取り組むときのポイントを伺えますか?
藤山:ユーザーにとって価値があるサービスを提供して売り上げを上げることはもちろん大事ですが、それだけではなく、企業価値や社員のエンゲージメントの向上につながるような要素も大事です。そうした部分の評価軸については、我々のようなポジションの人間が考えていくべきだと思っています。
西城:多くの企業において、事業のKPIは「どれだけ効率よく目的地に到達したか」という尺度で測られますが、それだと新規事業はどうしても評価が低くなってしまいますよね。財務諸表では必ずしも表せない価値、つまり非財務資本をどう測定し、どう企業価値につなげていくか。パナソニックでも「技術未来ビジョン」策定後の初手は、まずその対応でした。「我々のチームは現業のメトリクスではない尺度で測ります」ということを明確にしましたね。
成富:ビジョン策定から実現に向けては、具体的にどのような道筋を立てていらっしゃいますか?
藤山:私にも経験がありますが、いきなり「担当として進めろ」と言われても難しいものです。「この人たちやこの状況を、何とかしたい」という「WILL」をもつ人でないと進まないものです。まして、「面白いベンチャーがいるけど、この事業部にどうかな」と技術ありきで考えても、絶対にうまくいきません。まずは気概をもった人が担当することが大事ですが、それだけでも限界があるんですよね。WILLを持った人を社内で発掘し続ける、育成し続けるための仕組みも大事だと思います。
西城:100%賛成ですね、「この問題を何とかしたい」という発意はすごく大事だと思います。パナソニックでも、さまざまな社員から『技術未来ビジョン』に根差した各々のWILLのがまさに発現してきた段階なので、何とかこの後のステップにつなげていきたいと考えています。