地球温暖化による気候変動への対策は世界共通の待ったなしの課題だ。温室効果ガス(GHG)削減は世界の潮流であり、イノベーションをもって課題解決につなげる動きはより一層加速している。ネットゼロに向け、日本の変革につながるような破壊的イノベーションはどのように生み出していけばいいのか。約30年にわたり日米企業を研究分析してきたスタンフォード大学アジア・米国技術経営研究センター所長で、同大特任教授のRichard Dasher(リチャード・ダッシャー)氏の講演を紹介する。

※本記事は2023年3月に開催した「ZET(Zero Emission Technology)New Japan Summit 2023 Kyoto」の基調講演「脱炭素経済を実現するための価値創造とイノベーション 世界潮流と求められる日本の経済・社会変革」の内容をもとに構成しました(役職名は開催時)。

ネットゼロ実現に果たすべき、政府、産業界、市民の役割を知ること

 ネットゼロ(大気中に排出される温室効果ガスと大気中から除去される温室効果ガスが同量でバランスが取れている状況)を各国が目指す中で、まずBad Newsをお伝えしなければなりません。それは今の対策では、世界は気温上昇を1.5℃に抑えるのは難しいということです。(編注:21世紀末の世界の平均気温上昇を産業革命前と比べて1.5℃に抑える目標。2015年のパリ協定で提示され、2021年のCOP26で各国が目指す世界目標となった)。現在のやり方では、2.75℃〜3℃程度になってしまうという指摘があります。

Richard Dasher
Director of the US-Asia
Technology Management Center, Stanford University
Adjunct Professor
1994年からスタンフォード大学、アメリカ・アジア技術経営センターの所長を務める。研究・教育の主な対象は、イノベーションシステム、産業のバリューチェーンにおける新技術の影響、オープンイノベーション・マネジメント。日本、タイ、カナダなどの大学、国の研究機関、科学技術プログラムのアドバイザーにも就任。またシリコンバレー、日本、韓国のスタートアップ、ベンチャーキャピタル、非営利団体の顧問としても活躍している。2004年〜2010年まで、日本の国立大学初の外国人経営メンバーとして東北大学の理事を務めた。スタンフォード大学で言語学の修士号、博士号を取得している。

 一方、Good Newsは、GHG削減への世界各国の取り組みがかつてないほど加速し、非常に活発になっていることです。国レベルにおいて、日本やアメリカ、EUは2030年までに温室効果ガスを50%程度削減するという具体的目標を立てています。カリフォルニア州ではよりアグレッシブな目標を立てており、気候変動対策によって400万人の新規雇用を創出し、GHG排出量を85%削減し、石油使用量を94%削減すると打ち出しています。

Image: Richard B. Dasher

 では、どのようにすれば、ネットゼロの社会を実現することができるのでしょうか。そのためには全てのセクターの役割が重要になっています。

 まずは政府の役割です。国レベルはもちろん、自治体においても、国際協力はとても重要です。政府が目標を設定し、それに基づいた規制などを作ることは(GHG抑制の)一つの大きなツールとなります。手法として、法規制や規格があります。

 それから財政的なインセンティブや税金などによって、人々の生活や行動の変容に影響を与えるのも政府の役割です。非常に重要なポイントが、普及啓発です。市民に正しいニュースを発信して気候変動に対する意識を持ってもらい、問題の重要さ、深刻さを伝えなければなりません。

 民間部門として、企業や投資家、大学もこのセクターに属すると思いますが、まず自分たちのの事業がよりネットゼロに近づくような新しいやり方を導入しないといけません。そのためには、イノベーションを刺激することが必要です。このセクターで取り組むことは、人々が購入したくなるような新しいソリューション、新しい製品を開発することです。要するに、イノベーションを実行する責任は、産業界、大学側にあります。

 各個人、市民レベルでは日常生活の中で脱炭素に取り組み、サステナブルなソリューションを「買う」意識を醸成していく必要があります。各市民にこのような意識がなければ、自分たちの暮らしを変えることはないでしょう。

 市民レベルのもう1つの役割は、政府、産業界をチェックし、ネットゼロに向けた「約束」を守っていない状況を見つけたら、メディアなどの発信も含めて、きちんと声を上げて指摘することが重要です。これはイノベーションを採用する側の責任ですね。

 全てのセクターは各自の役割を果たさないといけませんが、特にビジネス、産業界はネットゼロへの変化、変革を促す「動機」になるものを市場に投入していく責任があります。人は「欲しい」から新しいものを購入しますし、欲しくなるのは「必要とする」ことを意識してるからです。また、産業界はそういった商品を生み出していく経済性とサステナビリティを考えていく必要があります。

Image: Richard B. Dasher

 ポイントは、いわゆる破壊的変革、ディスラプション/Disruptionが必要だということです。社会全体が従来のやり方をある程度捨てて、新しいものを導入していかないと、こういう変革や「ネットゼロの社会」の実現にはつながりません。

 ビジネスの世界において、破壊的イノベーションという言葉はかなり有名になりましたね。例えば、カメラを製造している企業はもちろんまだありますが、ほとんどの人のカメラは携帯電話に置き換わりました。伝統的な銀行は今も存在していますが、オンラインの支払いシステムは非常に普及しています。新聞業界もまだ残っていますが、広告の過半数はオンラインに移り変わっています。こういった講演も、多くの人々がオンラインで視聴できるようになりました。

 そんな破壊的イノベーションが生まれる社会とはどのようなものか、どうすればイノベーションは破壊的になるかというプロセスをもう少し考えてみましょう。

破壊的イノベーションはどのように生まれるのか?

 例えばスタートアップはよく破壊的イノベーションを起こすと言われていますが、別に意図的に物を破壊するつもりがなくてもいいわけです。意図的に古い業界をターゲットにして始めることもあれば、そうでないこともあります。

 Googleはおそらく、新聞やテレビ広告を脅かす意図はなかったと思われますが、継続的な成長は、当然ながら既存の産業からビジネスを奪うことにつながります。

 テスラは既存の自動車産業を破壊するつもりでいたでしょう。スポーツカーというニッチな市場からメインストリーム市場へ移行する長期的な計画を持っていました。

 ポイントはスタートアップは自社の新しいアイデア、新しい商品の開発に伴い、新しいバージョンのネットワーク、新しい価値観のネットワークを構築していく点です。このネットワークには新しい市場やユーザーだけでなく、流通、サプライチェーン、他のビジネスパートナーも入っており、スタートアップの活動が改善していくとともにより良くなっていきます。

Image: Richard B. Dasher

 非効率を減らすことで、旧来の方法よりも総コストを抑えることができますし、新しいネットワーク全体がWin-Winになるようなソリューションを提供します。テクノロジーとカスタマーエクスペリエンスを改善し続けると、旧来の産業が対応する前にメインストリーム市場に進出することができ、結果的に古い会社からビジネスを奪います。

 この新しいやり方、ネットワークには「魅力」があるからこそ、人は古いものや古いやり方を捨て、新しいものに飛んでいきます。これは人の好みによる「変革」ですから、パワーがあり強いですね。

 スタートアップは、破壊的イノベーションの優れた源泉です。大企業におけるイノベーションの大半は、既存市場向けの新製品やサービスの漸進的開発だったり、リスクの少ない技術・製品開発を中心にした新規事業の展開だったりと、技術的にも市場的にもリスクはわりと低いです。毎年、既存の自動車のモデルチェンジが出ることは典型例です。一方、スタートアップは両方のリスクを持ちます。

 実例としてまず、日本のモビリティの分野を見てみましょう。GHG削減につながるイノベーションにおいて現在、ほとんどの自動車メーカーは電気自動車とプラグインハイブリッド自動車を市場に投入しています。自動車の電動化はこの10年のすごく大きな波になります。それから大手自動車メーカーは水素燃料電池自動車を開発しました。TOYOTAのMIRAI、ホンダのクラリティがありました。

 技術のリスクがそれほど高くない分野では、バイオジェット燃料があります。最大の課題はコストダウンです。ユーグレナといった会社がありますね。

 技術、市場両方のリスクはまだ高いものに、eVTOL(電動垂直離着陸機)や新しい電気の飛行機がありますね。この分野のスタートアップ企業には、日本のSkyDriveや、teTra aviationがあります。

Image: Richard B. Dasher

 次に発電の分野を考えてみましょう。ほとんどの電力会社は再生可能エネルギーとしてソーラーと風力を取り入れています。日本の大手企業では水素を利用するガスタービンの開発も活発です。市場のリスクはまだ高いところではありますが地熱を利用する発電もあり、スタートアップも大企業も取り組んでいます。

 そして、日本では既に核融合に取り組むスタートアップ企業として、京都フュージョニアリング、EX-Fusion、Helical Fusionがあります。思うより早く核融合による発電が実現する可能性もなきにしもあらずですね。

 スマートインフラ(Smart infrastructure)の分野については、Factory automationでロボットを利用していくことでグリーンへの影響があり、大手企業がスタートアップのIoTなどのプロダクトを購入することもあります。

 それから技術のリスクがまだ高いのは、スマートシティじゃないかと思います。トヨタのWoven Cityや、三井不動産の柏の葉スマートシティなどがありますが、まだスケールは十分ではないと思います。スマートシティ内のモビリティや高齢者人口のことなどは考えられていますが、毎日の生活のあらゆる面で今後開発が必要なものが多くあります。

 技術的、市場的には高リスクで日本のスタートアップが取り組んでいる新たなものが宇宙向けのスマート基盤ですね。日本のロボットカンパニー、GITAIは宇宙ステーションの実験を2度実施しました。ispaceも資金調達で注目されています。

Image: Richard B. Dasher

 やはり大手企業とスタートアップの関係があるからこそイノベーションが生まれます。M&Aやアウトソーシングより、スタートアップと一緒に何か開発をしたり、スタートアップの将来に投資をしたり、PoCのデモを頼んだりすることの方がどちらかというと、オープンイノベーションですね。

日本に必要なのは、オープンイノベーションとグローバルエンゲージメント

 では、これからの日本の変革、転換はどこから来るのか、どう創出できるのかを考えた時、2つの大きな課題があります。

 1つは、大手企業とスタートアップ企業の関係をより改善するようなオープンイノベーションシステムを構築していくことです。もう1つは、グローバルエンゲージメントです。

 まず、オープンイノベーションに関して言いますと、様々な具体的な協力のやり方があります。時々、大手企業同士の関係もありますが、これはどちらかというと、イノベーションではなくてビジネス戦略の側面が大きいですね。大手企業はスタートアップを完全に買収することもありますが、これは商品開発段階の1つの関係ですね。また、CVCはもう先の将来への投資という位置づけになります。

 シリコンバレーはオープンイノベーションのエコシステムとして成功しています。スタートアップだけでなく、Fortune500の37社がシリコンバレーに本社があり、イノベーション活動においても社内の研究開発活動は活発です。大体において売上の10%から18%をR&Dに充てています。PoCやデモ、技術ライセンスをスタートアップから「購入」することについても、大手企業の関心が高い手法です。実はこれらが最も盛んに行われているやり方だと思われますが、ほとんどの活動は秘密扱いですから、なかなかパブリックの統計には出ません。

 また、ほとんどのいわゆるユニコーン企業は小さいスタートアップ企業を買収し成長しています。私達のセンターの調べによると、ある会社は上場前に10〜15社を購入したというデータがあります。それから大手企業もCVCの活動を行っています。日本のCVCはシリコンバレーでもとても活発に活動しています。

Image: Richard B. Dasher

Image: Richard B. Dasher

 次にグローバルエンゲージメントについてお話します。この言葉へのいい日本語訳がまだなかなかないようですね。昔のグローバルビジネスは海外で物を売ることでしたが、今は海外とリアルタイムで協力することに変わってきています。

 海外と協力することは、いわゆるダイバーシティ(多様性)のメリットを得なければなりません。ダイバーシティには、ジェンダーのダイバーシティもありますし、外国人と日本人のダイバーシティもありますし、年齢の多様性もありますよね。若い人たちがもっと声を出さないといけない時代になってきました。

 シリコンバレーのダイバーシティについていてみると、ジェンダー、男女の比率の問題はまだ全て解決ということにはなっていません。技術者の27%は女性ですが、この比率はもっと高くなければならないですね。

 ただ、国際性のダイバーシティについては、シリコンバレーはグローバルエンゲージメントのいいモデルになるかもしれません。技術者の69%は外国生まれで、インド、中国出身者を合わせると、全米より大きいグループです。

Image: Richard B. Dasher

 日本政府も現在、様々なプログラムを展開し、イノベーションを刺激しています。産業界、大学も取り組んでいます。日本は市民レベルの環境への意識がとても育っていますが、「転換後」の日本の姿をもっと想像する必要があります。ダイバーシティが進んで外国人がより多くいる日本を想像しないといけませんし、破壊的イノベーションによる新しい生活を想像してみないと十分な変革にはならないかもしれません。

 最後にまとめると、「ネットゼロ」への取り組みは計画通りに順調に進んでいるわけではありませんが、努力については認めたいところです。政府や産業界、市民など全てのセクターでそれぞれの役割があります。日本ではイノベーションのニュースは毎日発信されています。その上で、これから本当の「転換」が必要ですが、私はポジティブに捉えています。なぜなら、日本は建設的な関係を作るチームワークの良い国だからです。日本の将来は明るいと思いますし、今後も明るい日米の友好関係が続いていくと思います。



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