ガレージ付きオフィスで、スタートアップと共同開発
―IHIグループ(以下、IHI)向けのシリコンバレー拠点「IHI Launch Pad」は2018年に開設したそうですね。いまの活動内容や体制について教えてもらえますか。
多屋:IHIのシリコンバレー拠点には3名がいて、IHIやお客さまの課題を、オープンイノベーションの力を使って解決しようとしています。IHIの社内だけではできない部分をパートナーと一緒に共同開発やビジネス開発をしています。
―IHI Launch Padでは具体的にどんな活動をしているのですか?
溝内:IHI Launch Padは持ち込まれるプロジェクトの開発フェーズに合わせて様々なサポートを行っています。特徴はガレージエリアがあって、現地のスタートアップと日本のチームが場所を共有しながら速いスピードで開発できる点です。開発フェーズが進むと、お客様に対してのデモもガレージでできるようになっています。
溝内 健太郎 Senior Vice President
2009年にIHIへ入社し、技術開発本部にて、制御や電気電子関係の研究開発を実施。2019年よりIHI INC.(現IHI Americas Inc.)へ出向し、シリコンバレーでIHI Launch Padにてビジネス開発を担当。2006年京都大学大学院理学研究科修了(物理学・宇宙物理学専攻)。2012年より技術士(電気電子部門)。2013年より技術士(情報工学部門)。
これまではスタートアップとの共同開発するための場所がなく、相手のスタートアップのオフィスに入り浸るか、日本に持ち帰って開発するかしかありませんでした。スタートアップには他のお客さまも来るので、我々の開発品や設備を置いておくと機密的にも問題があり、開発しづらい面もありました。そのためガレージがほしいと事業部からは以前より言われていたのです。
―ガレージでスタートアップと一緒に共同作業したりデモができるのはいいですね。他にこのオフィスでイベントも開催しているそうですね。
多屋:そうですね。事業開発の可能性を広げるために、新たにIHIとスタートアップとの連携イベント「IHI Swing by」も立ち上げました。今年7月、5社の宇宙関係のスタートアップをお呼びして、事業部メンバーとスタートアップが膝を突き合わせて、共同でビジネスプランを作るという趣旨です。
最後に当社の事業部経営陣にプレゼンをして、面白い事業プランにはその場で予算をつけました。実際、5社中3社に予算がつき、PoCが始まっています。また、NASAの Ames Research Center、ISS National Labといった米国の公的機関、ベンチャーキャピタルのDNXも参画し、事業プランなどについてアドバイスもいただきました。
2019年7月に開催した「IHI Swing by」の様子
年に十数件のPoCを実施し、年1件の事業化を目指す
―いまスタートアップとの協業は年にどれくらい行っていますか?
多屋:調査するスタートアップ社数は年間、3ケタに上ります。そのうちPoCまで進むのは十数社で、少しずつ増えているところです。
事業化に至る案件としては年間1件程度を目指しています。また、我々はハードウェアがメインなので、事業化までは3年ぐらいはかかると見ています。私が赴任した際は4年で3件の事業の立ち上げがミッションでした。当初はなかなか難しかったのですが、Kinema Systemsなどとの協業を含めて、4年で3件の事業化ができました。ただ、今思えばかなり難しい目標で、当時はとにかくやってみようと目標が立てられたんだと思います。だから私の1、2年目はいつもお腹が痛かったです(笑)。
多屋 公平 Vice President
2005年にIHIへ入社し、以降、GXロケットや新型ロケットエンジンの開発や次世代宇宙システムの概念設計などに参画。2015年よりIHI INC.(現IHI Americas Inc.)へ出向。シリコンバレーに駐在し、主としてRobotics、Additive Manufacturing、AI、宇宙などの分野で、スタートアップ企業とIHIとの提携を中心とした新事業・新サービスの推進を担当。2005年ジョージア工科大学大学院修了(航空宇宙工学)。2013年より技術士(航空宇宙部門)。2013年、2014年と日本航空宇宙学会宇宙航行部門委員。
―そもそも、なぜシリコンバレーにオフィスを立ち上げたのでしょうか。
多屋:私がシリコンバレーに来たのは2015年の春で、シリコンバレーにIHI Launch Padを作ったのは2018年です。2015年以前にもスタートアップとの協業に取り組んでいましたが、どちらかというと単発的な活動でした。そうした協業案件がいくつか形になり、組織的にオープンイノベーションを進めてみようという話になりました。ファンドに出資する機会もあり、私が2015年に常駐する形でシリコンバレーにやって来たのです。
私はアメリカの大学院を出ていたので、アメリカのことは知っていましたが、スタートアップについてはド素人でした(笑)。ただ入社以来、宇宙事業の仕事をしてきて、ちょうど宇宙関係のスタートアップが盛り上がっていたことへの興味はありました。というのも、私が関わっていたロケット開発と同時期に、スタートアップのSpaceXもロケット開発を始めたんです。当初はこちらの開発の方が先行していたのですが、その後、様々な事情で開発中止になってしまいました。
一方、SpaceXは最初は打ち上げに失敗していたのですが、その後は成功して、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの会社です。そういった経験があったので、私個人としてはスタートアップとは何か、シリコンバレーに何があるのか、という興味はあったのです。
スタートアップにはマーケットや生産技術などを提供
―当初はシリコンバレーの人脈、スタートアップとの接点もなかったんですよね。どうやってスタートアップと組んでいったのですか。
多屋:当初はスタートアップ側に、何ができるのか、何をしたいのかを伝えられずにいました。しかし現在は、IHIがスタートアップに対してマーケットの提供や生産技術面、製品化のサポートを行うから、一緒に協業しようという形が多いです。例えば産業機械ではアジアにこういったお客さまがいて、こういったペインポイントがあるということをスタートアップに伝えて、協業で一緒にソリューションを提供するなどですね。
―IHIは自社内にも最先端技術を持っていると思いますが、スタートアップにはどういった技術を求めていますか?
溝内:たとえばディープラーニングなどAI技術です。AI技術の一例として、私たちの社内でも以前から産業向け画像解析技術について研究開発を着実に進めていました。そこに、ディープラーニングという破壊的な技術がやって来たのです。破壊的な技術が来たからといって、画像解析のスペシャリストを一気に入れ替えるわけにもいきません。そういう時こそ、オープンイノベーションで、外部から技術を取り入れることでトレンドにキャッチアップできると思っています。
中村:我々は技術の蓄積があったとしても、組織が大きい分、動くのに時間がかかります。エネルギー分野では、急速に再生可能エネルギーが拡大するなど、マーケットの変化が予想を超えたスピードで進みます。そのスピードについていくために、スタートアップと組むわけです。
中村 太一 Vice President
2000年にIHIに入社。火力/原子力発電プラント機器の輸出営業を主に担当。2019年よりIHI INC.(現IHI Americas Inc.)へ出向し、シリコンバレーでスタートアップのリサーチ・提携推進を担当。
多屋:いま破壊的イノベーションが起きている分野は、IHIのコア技術とは少し違う分野だと思っています。ガスタービンなどの古典的な燃焼、タービンをはじめとする回転機械の技術でイノベーションが起きているのであれば会社は迅速に対応すると思いますが、AIや再生可能エネルギー、電池などの分野は自社ではやってもやりきれないので、パートナーと組む方がいいという考えです。
ロボット+AIで倉庫の荷下ろし作業を自動化
―スタートアップとの具体的な協業事例を教えてもらえますか。たとえばKinema Systemsとはどのような形で協業したのでしょうか?
多屋:Kinema Systemsとは、ディープラーニングによる物体認識技術を活用し、荷卸し作業を自動で行うロボットを共同開発しました。もともと2016年夏にDNXから紹介されて会って話を聞くと、ウチの日本のお客さまのペインポイントに見事に合致していました。我々は倉庫と倉庫システムを販売しているので、自動化などの問題点をよく理解しており、Kinema Systemsの技術が活用できるとわかったのです。
IHIがKinema Systems社と共同で開発したデパレタイズシステム
それでPoCをやるとうまくいったので、すぐにそのお客さま向けの製品を共同開発しました。両社の役割分担としては、Kinema Systemsは画像認識のAIシステムを担い、IHIは全体システム開発を担い、AIとロボットの制御システムとのインテグレーションは共同で実施しました。
発電所、衛星モニタリングなどでも協業
―他の協業の事例はありますか?
多屋:IHIがアメリカで運営する発電所にAIを導入したApp Orchidの事例があります。発電所の運営には規制があり、頻繁に変更されます。その変更に対して社内の内規やコンプライアンスを変更して確認しないといけないのですが、これまでは人がやっていました。それをAIで行うことでコスト削減、ヒューマンエラーの減少につながりました。
もう1つはフィンランドの衛星モニタリングサービスのICEYEの事例です。彼らはレーダーを利用して、雲があっても夜間でも地上をモニタリングできる技術を持っています。ICEYEのデータを使い、日本のお客様向けにサービスを提供しています。これはスタートアップに日本マーケットを紹介してうまくいった事例の1つですし、我々としても競争力の強化、コストダウンにもつながりました。
―協業事例を聞くと領域はバラバラですが、これをシリコンバレーの3名で事業部と連携しながら進めるのは簡単ではないと思います。どのような方法で連携していますか?
多屋:当初は私1人でひたすらやるしかなく、失敗も多かったです。ボストンやシアトルなど全米を回って、スタートアップの窓口をやっていました。日本側にはレポートを送るだけでは反応がなかったので、このスタートアップと組めばこういったことができる可能性があると提案し、シナリオを作って送っていました。モノによっては全く的外れだったかもしれませんが、それを繰り返さないとこちらも勉強できないと思っていました。
多屋:しばらくは単独で行った後、日本側にキャッチャー組織を作りました。今はそのキャッチャーが事業部とのリレーションを持ちスタートアップとの事業のコーディネーションから、PoCのサポートをします。事業部は目の前の仕事が大切なので、キャッチャーが中心になりスタートアップに対して動いています。この制度は昨年から始めて、今年はキャッチャーの人数を増やして6人います。IHIは4つの事業領域があり、それぞれ最低1人ずつキャッチャーを付けています。
やはりKinema Systemsの成功事例は大きかったです。この成功事例により、他の事業部もウチでもできるという雰囲気になっていますし、話を聞きつけたお客さまにも興味を持ってもらっていると伝わっています。
それにバックオフィスの意識改革も進んだと思います。調達にしてもスタートアップは、サプライヤーと同じ支払契約ではいけませんし、法務にしてもサプライヤーと同じ業務契約書ではいけません。パートナーとして対等に付き合う契約でなくてはいけません。
社内の意識をどう改革したか
―どのようにして、その意識改革を進めましたか?
多屋:直接行って事業部とともに法務部などを説得しました。法務などの条件を合わせることでスタートアップとの関係が良くなり、事業スピードが上がるといった説明しました。説得は大変でしたが、やった価値はあったと思います。日系企業がスタートアップとの協業でつまずくのは、事業スピード、本社との考えの差異がほとんどです。ですからスタートアップに対する考えのベースを日本側へ浸透させることは重要でした。
会社幹部の関心も高まり、昨年からは多くの経営層・役員が寄ってくれるようになりました。それはそれで大変なのですが(笑)。それにより役員の理解も進んで、トップダウンでも話が通じるようになりました。このIHI Launch Padの立ち上げもKinema Systemsの事例もあったので、社内の理解が早かったです。
―スタートアップとの協業で失敗はありましたか?
多屋:失敗はあり過ぎますが、事業を進めるスピードが遅くてスタートアップに飽きられたというのは当初多かったですね。NDAを締結しようとしても、日本側で時間がかかって、スタートアップが離れてしまったり。やはり相手側にNDAをもらうと、法務部が全てを読んで確認しなくてはならなくなり、修正もあるのでどうしても時間がかかります。ですから今はこちら側でNDAを作って、譲歩できるところは先に譲歩しておく。相手が修正してもそこさえ確認すればいいので時間短縮につながります。
協業進行のタイムラインを最初にしっかりと相手に伝えていなくて破談になるケースもありました。やはり始めに時間がかかることを説明しておくことが大事です。あとは目的のない面談を当初はよくやっていました。面白そうだからと情報収集でスタートアップと会っても相手は何しにきたんだという感じでしたね。
―スタートアップと協業するにあたり、どういった方々と連携していますか?
多屋:VCが一番多いと思います。投資家さんにも頑張りは伝わるようで、頑張っているから紹介してやるよと言われることもあります。彼らも紹介した案件がうまくいけば評判が良くなるでしょうし。それにスタートアップからスタートアップを紹介されることもありますし、優秀な人材を紹介されたりします。
スモールスタートからステップバイステップ
―シリコンバレーに日系企業が増えていると思いますが、それらの企業を見ていてどう感じていますか?
多屋:シリコンバレーには日本人の先人がいて、相談できる人も増えているので、これから来る人にはいいと思います。一方で日系企業や人と会っていれば、仕事をしている気になってしまう面もあり、それは課題だと思います。事前にKPIをしっかり定めるなど準備が必要だと思います。
―IHIの場合、まず多屋さんが1人で始めて、事業を3つ立ち上げた後で増員して、IHI Launch Padを設立しました。逆に最初からお金をかけて大きく始める方法もあると思いますが、それぞれ善し悪しはどう考えていますか?
多屋:それは会社によると思います。弊社では最初から大きく始めるのではなく、まずは地道に成果を出し、判断する人を含めて何ができるか、できそうかを知って、次はこれを目標にしますという形で進めました。ステップバイステップはウチの会社らしいと思います。ここも倉庫の物件で安いオフィスですし、IHI Launch Padのロゴも社内公募で決めました。スモールスタートだと言って始めていますし、会社としても実験的な意味もあったので、まずあるお金の中でどこまでできるかやってみようという考えを持っています。
―IHI Launch Padは今後、どういった方向へ進んでいきますか?
溝内:先ほどご紹介したイベント「IHI Swing by」にてPoCが3件決まりました。冬にも同じようなイベントを開く予定です。そうすると来年以降、PoCがあちこちで行われて、IHI Launch Padの本領が発揮されます。スタートアップがリーンスタートアップをするように、我々IHI Launch Padもリーンに運営を回して改善していきます。
中村:今のメンバーも社内の異なる領域から集まってコラボレーションしています。このIHI Launch Padでもさまざまな領域のスタートアップ同士とコラボレーションをしていく、そんな場にしていきたいですね。