抗がん剤治療の副作用である頭髪などの脱毛を理由に、がん治療自体を諦めてしまう患者が一定数存在する。これを「がん治療における最大の課題」と考えるアイルランド発のLuminate Medicalは、がん患者のQOL向上と在宅治療の実現に向けて、脱毛防止キャップ「Lily(リリー)」や神経障害予防デバイス「Lilac(ライラック)」を開発した。技術的な特徴は、日本でよく見られる頭皮を冷却する手法ではなく、圧迫式を採用している点だ。同社の共同創業者でCEOを務めるAaron Hannon氏に、プロダクトの強みや日本進出の展望などを聞いた。

目次
頭皮圧迫式のデバイスが持つ優位性とは
「頭髪の脱毛が最大の課題」と考える理由
かつらメーカーも競合、アメリカでは保険対象
市場理解を支えてくれる日本パートナーに期待

頭皮圧迫式のデバイスが持つ優位性とは

―御社の製品について、詳細を教えてください。

 現在、3つの製品があります。「リリー」は、圧迫療法を用いて化学療法による脱毛を防ぐ帽子型のウェアラブルデバイスです。頭皮に制御された圧力をかけることで、毛包への血流を減少さえ、抗がん剤への暴露を最小限に抑えます。このデバイスの強みは、持ち運びが可能で場所を選ばないことです。患者は化学療法の治療中や治療後など、いつでもこのデバイスを使用でき、通院などの必要がありません。例えば、日本では頭皮を冷却することによって同様の効果を得る「頭皮冷却装置」が多く利用されていますが、この方法は基本的に病院でしか実施できません。

 病院側にとっても、通院を前提とした対処は病院のキャパシティを圧迫することになるので、結果として患者が脱毛防止のための治療を十分受けらない状況につながります。私たちはより多くの患者がこの種の治療を受けられるように、患者にとってより快適でポータブルな代替手段を作ることに真剣に取り組んでいます。頭皮冷却装置が普及している日本市場のステークホルダーと話し、多くの日本の患者にリリーを提供することを楽しみにしています。

image : Luminate Medical HPから抜粋

 2つ目のプロダクトは「ライラック」です。ライラックと日本市場とのつながりは非常に興味深いものがあります。というのは、手足に発生する神経障害である末梢神経障害の予防に関する初期研究の一部は、日本発祥のものであるためです。

 人口統計学的に、アジアの人々は化学療法によって手足に非常に大きな神経損傷を受ける傾向にあることが知られているため、日本の大学ではこの分野に関する多くの研究が行われています。私たちが開発したライラックは手袋とブーツのセットで、リリーと同様の圧迫技術を使用して末梢神経を保護するものです。

 神経障害は仕事への復帰を妨げたり、日常生活の中での何気ない動作に支障を来すなど、患者の人生を「悪化」させてしまうことが多いです。また、多くの痛みをもたらします。化学療法の試験から離脱した患者の28%が末梢神経障害を理由にしているという統計があります。

 当然のことながら、化学療法の中止はがん再発のリスクとなります。ライラックのような製品によって神経障害を未然に防ぐことができれば、医師は患者への化学療法の投与を最後まで行い、生存の可能性を最大限にすることができるのです。

image : Luminate Medical HPから抜粋

 3つ目の「Lotus(ロータス)」は、患者がより多くのがん治療のプロセスを自宅にいながら受けられるよう設計された新製品です。ロータスで目指しているのは採血や化学療法投与前の症状の事前評価などをクリニック外で行うことで、例えば、血液検査の結果を待合室で何時間も待つことなく、大切な人と自宅で過ごしながら、治療の準備を整えた状態でクリニックに到着できるようにすることです。

 具体的には低リスクの薬を、患者自身がインスリン注射のように注射します。投薬が高血圧などの異常を引き起こすケースがありますが、そういった有害事象を医師が遠隔でモニタリングできるような方法となります。

image : Luminate Medical HP

「頭髪の脱毛が最大の課題」と考える理由

―起業のきっかけは、共同創業者のBarbara Oliveiraさんと大学でたまたま隣に座ったことだそうですね。

 その通りです。当時、Barbaraは乳がんイメージングの博士号を取得したところで、私は彼女が師事していたのと同じ教授の研究室で、身体障害者の生活を支援する機器の開発に取り組んでいて、たまたま隣の席に座ったんです。その後、医師や患者への聞き取り調査を一緒にするようになり、本当に多くの人が、「脱毛ががん治療における最大の課題」だと感じていることを知りました。

―その経験が創業や化学療法中の脱毛を防ぐ開発につながったのでしょうか。

 私達が医療機器の研究に際して大切に考えていることは患者と話し、彼らの本音を理解することですが、その中で際立っていたのはいかに多くの患者が脱毛に影響を受けているかということでした。

 乳がんを患った若い母親が、「子供たちに何もかも大丈夫だと思わせたい。自分がどれほどの病気で何が起こっているのかを子供たちは知るべきではない」と私達に強調しました。

 がん患者は時として、脱毛によって病状が明らかになるのを恐れて治療をやめてしまうことがあると聞き、私たちは何かしなくてはと思いました。人々はただ生き延びるだけでなく、生きることを望んでいます。

 脱毛や神経損傷による障害のために化学療法を受ける回数を減らすべきではありません。患者は本当に貴重な時間を病院で過ごすのではなく、大切な人と過ごすべきです。患者が治療中にも自分らしくいられるようにすること、これが私たちの使命となりました。

Aaron Hannon
Co-Founder & CEO
2018年にアイルランド・ダブリンにあるTrinity Collegeで工学系の学士号を取得後、アイルランド国立大学ゴールウェイ校でリサーチアシスタントとリサーチフェローを経験。同大学で約3年間勤務した後、2020年1月にLuminate Medicalを立ち上げる。CEOに就任(現職)。

かつらメーカーも競合、アメリカでは保険対象

―がん治療に伴う不妊や早期発症性閉経の予防にも取り組んでいるそうですね。

 まだ初期段階ですが、当社ではがん治療による生殖能力減退リスクを避けるための研究を行っています。乳がんや精巣がんなどへの化学療法治療は、子供を産む可能性を減少させることがあります。私達はこれらのリスクを減らし、化学療法を受ける前に卵子採取をする、などの難しい選択をしなくて済む方法を模索しています。

―競合他社をどのように見ていますか。また、競合他社とどのように差別化を図っていますか。

 先程も申し上げたように、日本では頭皮冷却装置を採用し始めているクリニックが多いです。日本は、この種の技術にとって世界で3番目か4番目に大きな市場だと思います。しかし、頭皮冷却装置は臨床に時間を要するため、この技術にアクセスできるのは全患者の1〜2%に過ぎません。病院に行かなくても利用できるリリーは患者にとってメリットが大きいです。

―頭皮冷却装置以外に、「かつら」を脱毛対策として利用する患者が多いと聞きました。米国などでは保険適用となることが多いようですが、かつらメーカーも競合として認識していますか。

 はい、アメリカではかつらに患者1人当たり平均1,000ドルもの金額が使われています。当社はリリーの目標価格を1,500ドルに設定していますが、FDA(米食品医薬品局)の承認を得て保険適用されることによって、より多くの人々がリリーを使用できることを目指しています。

 現在、米国の病院運営大手であるNorthwell Healthなどと協力して大規模な研究を実施し(取材は2024年12月初旬)、そのデータをFDAに提出して2025年に認可を得る見込みです。(公的医療保険制度の)Medicareは現在、既存の技術を使用して脱毛を防ぐためのケース1件ごとに1,750ドルを支払っていて、米国で保険に加入できることを大変嬉しく思っています。日本やヨーロッパでも、現地のパートナーと協力して保険市場をより深く理解し、患者に多額の自己負担金がかからないような解決策を考えたいと思っています。

image : Luminate Medical HP 製品紹介ページ

市場理解を支えてくれる日本パートナーに期待

―今後の計画について教えて下さい。

 短期的には、2025年に米国で製品販売を開始することが大きな節目です。中期的に重要なのは、米国以外でリリーの非常に大きな市場となるであろう日本と欧州への進出です。欧州はすでに検討中の国がいくつかあり、例えばオランダはこのタイプの技術に強いです。日本は最先端の医療機器市場があるためリリーのような製品が必要とされると考えており、今後12カ月から24カ月の間に日本のパートナーと協力して日本市場に展開することを視野に入れています。

 長期的にはライラックとロータスの市場展開ですね。来年半ばには米国でライラックの大規模臨床試験を開始する予定です。がん治療で米国で最も評判の良い施設の1つであるCedars-Sinai(シーダーズサイナイ)や、がん治療の世界最高峰として知られるMemorial Sloan Kettering Cancer Center(スローン・ケタリング記念がん研究所)など、非常に有望なパートナーと協力します。ロータスに関しては2025年末に向けてフィージビリティ・スタディを開始する予定です。

―そうした目標を達成するための課題やハードルは。

 課題の1つは、グローバルでスケーリングを開始するために適切なパートナーを見つけることです。当社は米国をはじめとした市場で存在感を高めていますが、日本市場などについてはまだ当社が理解し切れていない独自の特性があります。これらの市場への拡大を支援する適切なパートナーを見つけることが次の課題です。

image : fizkes / Shutterstock

―日本市場への進出に向けて、どのような業界の企業とパートナーシップを結びたいですか。

 特に関心が高いのは、医療機器を病院に卸している大手企業ですね。また、当社の機器を実際に代理販売できる企業や、日本の医療保険に対する理解を高める支援をしてもらえる企業にも関心があります。

 さらに、病院と直接対話することにも関心があります。アメリカで行っているように、日本の患者を対象とした臨床試験を行い、当社の製品を提供したいと考えています。

 すでに、複数の日系企業の代表者をアイルランドのオフィスに招き、当社の技術やこれまでの成功について知ってもらうための非常に有意義なミーティングの場を持ちました。私達は常に新しいパートナーを探しているので、製品に興味を持っていただけたら是非ご連絡をいただきたいです。



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