※前編はこちらから。
※日本の研究開発(R&D)において課題に挙げられる「自前主義」や、事業化・市場投入で直面する「死の谷」を越えて、イノベーションのエコシステムを創出するには何が必要か。企業や大学VCの取り組み、政策などを通してヒントを探り、「進化するR&D」の姿を紹介する。
「強み」へのこだわりと「新しいこと」の矛盾
東大IPCの2つのファンドのうち、水本氏がCIOを務めるのが「オープンイノベーション推進1号投資事業有限責任組合(AOI1号)」だ。東京大学周辺でのオープンイノベーション活動の推進を目的とし、「企業とアカデミアとの連携によるベンチャーの育成・投資」というコンセプトで2020年に組成された。
各業界のリーディングカンパニーと連携した新会社設立や、大企業が事業を切り出して生まれるカーブアウトベンチャー、技術事業化に向けたジョイントベンチャー(JV)、大企業のアセットを有効活用するスタートアップを対象とした投資を手掛ける。直接投資先は現在18社(2022年6月時点)。武田薬品工業から独立した創薬スタートアップのファイメクスや、ユニ・チャームのプロジェクトから生まれた中国向け育児メディアのOnedotなど、ライフサイエンス、ハードウェア、AI/IT、メディア/サービスと、投資先はさまざまな分野に渡る。
水本氏は、日本の大企業の新規事業開発の課題を明確に指摘する。「大企業は『自社の強み』を生かす新規事業にこだわることが多いですが、『新たな事業を作る』という取り組みと、『自分たちの強みを生かしたい』という思考は、残念ながら矛盾しています」と言う。
東大IPC参画前は、大和SMBCキャピタル(現大和企業投資)にてIT・医療などハイテク分野へのベンチャー投資や、昭和シェル石油でタスクフォースリーダーとして決済プロジェクト、新電力プロジェクト、店舗のデジタルトランスフォーメーションなど、新サービス企画から市場導入まで主導した。京都大学院修了(技術経営学)、弁理士試験最終合格(2004年)
「もちろんまれにですが、自社の強みが新規事業と一致することもあります。例えばフィルムの技術をベースに再生医療に取り組むとか、発酵技術を生かして製薬に進出するといった『美しいストーリー』が出回るような『奇跡』がまれにあります。それは否定はしません。ですが、『強み』にこだわっていると選択肢は非常に限られます」と水本氏は指摘する。
強みを生かす事業は現業の担当者が「ほっといてもやる」ことだという。では、「強みにこだわらない」事業とはどのようなものか。
「例えば、SONYは映画会社を買収したり、金融や保険の会社を作ったりしました。それは『強み』にこだわらなかったからできたことです。ただ、これらを実行したのは創業者や社長という絶対的な権力を持っている人たちだったので、社内で『強み』云々の指摘を受けなかったからでしょう」
新規事業創出、新たな収益事業作りが求められる一方、現業と異なる新たな分野にチャレンジしようとした途端、「自社の強みは生かせるのか」と社内の圧力がかかる。上からの圧力によって選択肢が一気に狭まり、何もできなくなる、と水本氏は悪循環を指摘する。
「だから、自分の周辺にある絶対に本業を超えないようなことをやって、何となくお茶を濁す。これが残念ながら日本の大手企業の新規事業開発の実態だと思います。私自身が大企業で新規事業を手掛けた経験からも非常に思います」
水本氏はこの状態を「ヘルモード」と独特な表現をする。「例えば、ゲームでは、ノーマルモードやイージーモードがありますよね。ノーマルモードのプレーなら難易度は低くて何をやってもいいし、チャレンジできる。難易度が高くなると縛りがどんどんきつくなります。大企業の皆さんは『自社の強みを絶対に生かさないといけない』ことに縛られ、その上、『採用の権限がない』『外注先も自由に選べない』などといった、様々な社内の制約がかかります。それが『ヘル=地獄』モードです。縛りだらけのきつい状態では新規事業は作れません」
大企業が「欲しいもの」はマーケットのニーズになる
自社の強みへのこだわりにがんじがらめになるのではなく、新規事業を生み出していくために必要なのは「そこにマーケットがあり、ニーズがあること」と水本氏はシンプルに説明する。ではマーケットニーズをどう見極めればいいのか。
「ニーズを感じないなら、やらなくていいと思います。ですが、例えば大企業で管理部を持たない企業はありませんよね。管理の手間やコストを削減したいと常に考えています。そこに、スタートアップが開発したクラウド会計ソフトや人事労務管理のSaaSのツールが広く導入されました。大企業というのは多くの場合、ビジネスの『顧客』になるわけです。つまり、自分たちの『ニーズ』そのものが本当は大規模なマーケットニーズになり得るわけです。大企業も『自分たちが欲しいもの』『必要としているもの』を作ってみたらいいと思います」
それがなかなか実現できないのは、「我々は自動車メーカーだから」「SaaSなんて製造業には関係ない」といった現業内で収まろうとする思考だからだという。
R&Dも同様だ。自社の中核技術にこだわり事業化・製品化に取り組んだもののマーケットフィットに至らないという取り組みではなく、マーケットニーズがあることに技術を結び付けて事業化することがポイントだという。「別に自社で開発しなくてもいいんです。大学の技術を使ってもいいし、M&Aで買ってもいい。自前主義で考えず、単純にそこにマーケットがあって、ニーズがあれば、何をやってもいいと思います」と水本氏は言う。
「大企業の新規事業のポテンシャルは、普通に考えればスタートアップよりよほどあると思います。『自社の強みを生かす』という無駄なこだわりを捨てて、我々の強みは『大手というブランドと資金力だ』と割り切る。それだけでいいんです。例えば、スタートアップは『大手のブランドと資金』が喉から手が出るほど欲しいわけです。社名や名刺だけで相手が会ってくれるんですから。みんなが欲しがるものをうまく利用すればいいと思います」
マーケットニーズから新たな事業を始め、ブランドと資金力、採用権限を与え、事業に最適な社員や外部人材を社長に据えて子会社を早期に設立する、という流れが新規事業開発の1つの成功のカギだという。「新しい事業の種」をスケールさせていくためには、既存の企業文化・組織から一新して、新しい事業に最適な環境を作ることで事業を成長させていくのだ。
水本氏は「つまり大企業の新規事業開発では、スタートアップを完全に再現すればいいんです」と説明する。「変な制限を入れて選択肢を狭めると、優秀な社員は去っていきます。意思決定を自由にできるようにする、ポテンシャルを100%発揮できるようにさせてあげられるかどうかが、大企業が新規事業を成功させるための一番大事なファクターです」
Image: 東大IPC
大事なのは「勝てる」こと 勝てないことはやってはいけない
大企業と連携してイノベーションを支援するファンド「AOI1号」が投資するカーブアウトベンチャーには、デジタル広告代理店子会社が取り組むデジタル人材教育SaaS事業や、国の政策と連携して大企業が名を連ねて取り組むブロックチェーンによる貿易業務の電子化事業などがある。共通項はあまりないとしつつ、「人が主導したタイプと、会社が主導したタイプの2つに分かれます」と水本氏は説明する。
例えば、ユニ・チャームのプロジェクトから生まれたOnedotは「人が主導したタイプ」の企業だという。
日本の育児ノウハウや商材情報を強みにした中国や海外での事業展開を目的に、BCG Digita lVenturesとの共同プロジェクトを経て設立した。ソーシャルメディアなどを通じた育児メディア事業をはじめ、日本企業に対し越境ECなどの中国デジタル戦略・マーケティング支援を行う。同社のコンテンツは、東京大学の教授が監修し、東大の知見が活用されている。
代表取締役CEOの鳥巣知得氏は、BCG Digital Ventures やボストン・コンサルティング・グループでインターネット領域の新規事業やグローバル戦略に携わっていた。ユニ・チャームのコンサルティングプロジェクトの終了後、実際に事業化しようと、BCGを退職し、ユニ・チャームとBCGの出資のもと会社を立ち上げた。
設立当初の2017年に手掛けたのは、中国向けの育児メディア「Babily」で事業は急速に拡大。中国向けのデジタルマーケティング支援事業もスタートした。事業を加速化するために、2020年5月に東大IPCや日本生命、住友商事などから総額10.5億円の資金調達を実施した。これに伴い、資本構成が変わり、カーブアウトとなったという。
一方、「会社が主導したタイプ」として、水本氏は貿易業務の電子化に取り組むトレードワルツを挙げる。
貿易手続きに含まれるアナログなコミュニケーションの完全電子化を目指し、2020年にエヌ・ティ・ティ・データをはじめとする7社の共同出資で事業がスタート。政府と連携して、貿易情報連携プラットフォーム「TradeWaltz」の国内普及を進めている。東大IPCは2021年に5億円の出資を決定した。国の規制改革と連動しながら、各業界のリーディング企業が一緒に取り組む「護送船団方式」だと水本氏は説明する。
「我々がやりたいことは、社会的インパクトを出すことです。スタートアップ的なアプローチはもちろん非常に有効ですし、護送船団方式としてのやり方もあります。大事なのは『勝てる』ことです。勝てないことをやってはいけない。ダメなのは繰り返しになりますが、『ヘルモード』で仕事をすることです」
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「縦糸と横糸」でインフラを作っていく
「社会的インパクト」を作り出すためにー。東大IPCは、世界における日本経済の存在感低下と産業競争力の弱体化を背景に、政策的に作られた認定VCだ。大学の研究成果の活用などを通じてイノベーションを促進し、日本の産業力を強化していくことを目的に始まった。
だからこそ、ただ投資を通じて収益を確保するだけではなく、「イノベーションが生まれる仕組み」を作っていく使命が、社名の「協創プラットフォーム開発」に込められていると水本氏は言う。
「私は、組織は縦と横の『糸』で形成されていると思っています。縦はいわばフロントで、当社の場合、キャピタリストですが、投資だけやって高いリターンを出せばいいのかというとそうではない。民間なら100点満点ですが、私たちの場合は50点にしかならないのです。なぜなら私たちには『官』の顔があり、日本のためになる『インフラ』を作って残さないといけない。それがミッションです」
Image: 東大IPC
そのインフラとは、「スタートアップがどんどん生まれる仕組み作り」だと水本氏は説明する。最初に手掛けたのが、起業家が「最初の一歩」を踏み出す支援として行う「1stRound」というプログラム。VCから外部調達をする前のチーム、または設立3年以内のスタートアップを対象に、ハンズオンの支援で最初の資金調達を達成できる環境を提供する。
次に、東大IPCの投資先・支援先企業をはじめとするテック系スタートアップなどと、起業志望者やCXO志望者、エンジニア、副業志望者、学生らが相互に交流できる求人マッチングプラットフォーム「DEEPTECH DIVE」を設立。スタートアップに必要な「人材」が集まる仕組みを作った。その上で、現在取り組んでいるのは、「人材と技術をマッチング」して会社を生み出すようなプロジェクトだという。
「私の仕事はCIOとして投資でリターンを出すことと、その投資対象たるスタートアップが自然に生まれていくような仕組みをどんどん立ち上げるインフラ作りの2つがあると思っています」
投資事業を通じて思うこととして、水本氏はこう指摘する。「キャピタリストの仕事は極めて属人的です。例えば、自分が惚れ込んだ大学の技術に個人の人脈で社長を見つけて会社を作って投資する、というやり方もありますが、個のキャピタリストに依存しているという弱点があります。よく言えば組織に依存していない、悪く言えば組織に強みが蓄積しないということであり、これでは会社としても産業として成熟していきません」
東大IPCは、縦糸の投資と、横糸のインフラ作りですそ野を広げていくことを両軸に、社会的インパクトを作り出そうとしている。そのミッションに、水本氏自身も「ヘルモード」という規制を解除しながら取り組んできたという。
「実は東大IPC設立当初は、『シードベンチャーに投資してはいけない』という縛りがあり、これが結構なヘルモードでした。レイターのスタートアップに投資してファンドとしてリターンを上げても、東大IPCだからこそ創出できたベンチャーが生まれなくなります。これでは社会の期待に応えられないと思い、現在の『1stRound』を作り、資金調達に導く最初のフェーズを支援する実績とファンドリターンを得られるという仕組みの横糸を作ったわけです」
そんな水本氏の投資哲学は至ってシンプルだ。「ちゃんとニーズがある所にミートしたソリューションを提供しましょうというのが基本です」。投資先が必要とする「人・物・金」を集める手伝いができ、東大IPCが持つ事業会社とのネットワークや人脈で、業界の垣根を越えて機会を創出できることを大切にしているという。
東大IPCの強みは「東京大学」という日本トップの大学というブランドとネームバリューだ。「やはり、最高、一番、トップは何かのハブになりやすく、プラットフォームを作ることができます。そうやって東大を活用してプラットフォームを作ってどんどん広げ、日本という国に還元したいと思っています」