岸田文雄首相が「5年間で1兆円」を投じると表明したことで、一気に注目度が増している「リスキリング」。岸田内閣が推進する「新しい資本主義」の人への投資と分配において、成長産業への労働移動に向けた「学び直し」として着目されたことが背景にある。だが、その岸田首相の「育児中などさまざまな状況にあっても主体的に学び直しに取り組む方々をしっかりと後押ししていく」という国会答弁が「育休中リスキリング発言」として批判も広がった。

そもそもリスキリングとは何か。一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表理事の後藤宗明氏は「自主的な個人の学び直しとリスキリングが混同されており、組織が実施責任を持つ『業務』であるとの認識が浸透していない」と指摘する。後藤氏に、なぜリスキリングが必要とされているのか、海外の動向や日本企業が取り組むべき課題を聞いた。

※インタビュー後編 世界の潮流、グリーン・スキルを知ろう 新たな成長産業へリスキリング、人的投資を

目次:
自動化に伴い「消える仕事」が拡大する未来
そもそもリスキリングとは?「6年遅れ」の日本の議論
日本でリスキリングが進まない理由 3つの「課題」
人的資本経営と「グリーン・スキル」へ

自動化に伴い「消える仕事」が拡大する未来

 日本で初めてリスキリングに特化した非営利団体「一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ」を2021年に立ち上げ、政策提言や企業向けの啓発活動に取り組んできた後藤氏。2016年頃からリスキリングについて独自で海外リサーチを始め、日本で非営利団体を設立し啓発活動に取り組むまでに至ったきっかけは何だったのか。後藤氏はオックスフォード大学のマイケル・オズボーン教授(当時准教授)らが2013年に発表した論文「The Future of Employment」(雇用の未来)を挙げる。

 論文ではコンピューター化によって「今後10年から20年の間に米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化され消失するリスクが高い」と指摘し、大きな衝撃が広がった。

 社会起業家支援に携わった経験や自身の転職を含めたキャリアも踏まえ、後藤氏も大きな衝撃を受けた。「テクノロジーによってどんどん世の中が便利になる一方、人間の労働の単純作業は自動化され、雇用が消えていくという大きな社会課題に衝撃を受けました。雇用がなくなれば治安が悪化するなどの傾向はアメリカ社会を見れば明らかです。この動きが日本にも来るんだと思いました」

 後藤氏は論文を読んだ2014年以来、「テクノロジーの導入により労働の自動化が加速し、人間の雇用が失われる『技術的失業』を防ぎたい」と思い、その解決策を模索し続けてきた。そこで出会ったのがリスキリングだった。

後藤 宗明
一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ
代表理事
早稲田大学政治経済学部卒業後、1995年に富士銀行(現みずほ銀行)入行。営業、マーケティング、教育研修事業を担当。2002年、グローバル人材育成を行うスタートアップをニューヨークにて起業。帰国し、米国の社会起業家支援NPO アショカ日本法人の設立に尽力。米国フィンテック企業の日本法人代表、通信ベンチャーの国際部門取締役を経て、アクセンチュアにて人事領域のDXと採用戦略を担当。

2019年、AIスタートアップのABEJAで事業開発、AI研修の企画運営を手掛け、シリコンバレー拠点を設立。2020年、リクルートワークス研究所にて「リスキリング~デジタル時代の人材戦略~」「リスキリングする組織」を共同執筆。2021年、日本初のリスキリングに特化した非営利団体、一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブを設立。2022年、SkyHive Technologiesの日本代表に就任。同年9月に書籍「自分のスキルをアップデートし続ける『リスキリング』」を上梓。

そもそもリスキリングとは? 「6年遅れ」の日本の議論

 では「リスキリング」とは、そもそもどういう意味なのか。なぜ今、必要とされているのか。日本では、「個人の興味・関心に基づく学び直し」という文脈や、学校教育から離れて社会に出た後も生涯にわたり学び続け、就労と学習を交互に繰り返すことを指す「リカレント教育」と同義で語られることも多い。英語の「Reskill」は、再教育や、新しい能力・技術を習得することで別の仕事に就くこと、などと定義されている。

 後藤氏はリスキリングに対する「学び直し」という訳は「半分正解だが不正確な表現」と指摘し、リスキリングは「新しいことを学び、新しいスキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」「企業などの組織が実施責任を持って行う『業務』」だと説明する。

 2016年、テック企業の海外営業を担当していた後藤氏は、最新テクノロジー分野の国際会議の場で、企業のデジタル化やデジタル人材育成の議論において「Reskilling」という言葉を頻繁に耳にするようになったという。2017年、米シリコンバレーを拠点とする研究機関、Singularity University の Global Summitに参加した際、技術的失業の解決策としてリスキリングが有効であることや、成長産業であるデジタル分野に従業員を移行させるためのリスキリングの必要性、AIを使った学びのプラットフォームがあることなどが紹介された。後藤氏は「これだ」と思い、そこから海外リサーチを深化させた。

「私は2016年頃がアメリカの『第1次リスキリングブーム』だったと思います。当時、アメリカでは『企業にデジタル人材が必要だ』『人材育成にはリスキリングが有効だ』という論が沸き起こり、具体的にどのようにデジタル人材を育成するのか、どのようにリスキリングするのかといった議論が活発になった時期でした。今の日本の状況は、ちょうどアメリカの2016年ごろとそっくりです。つまり、日本はアメリカの『6年遅れ』の議論を今やっているということです」

 米国のテック業界だけでなく、世界的にも、技術的失業のリスクを軽減し、衰退していく産業から成長産業へ労働移動を実現するための手法として、リスキリングが大きく注目されるようになっていく。

 世界経済フォーラム(World Economic Forum)は、2020年1月の年次総会(いわゆるダボス会議)で、「第4次産業革命によって1億3300万人分の新しい仕事が生まれると同時に、7500万人の雇用がこれらの新技術によって奪われる可能性がある」と発表。2030年までによりよい教育、スキル、仕事を10億人に提供するためのイニシアチブリスキリング革命(Reskilling Revolution)」を公表した。

 同年10月には、新型コロナウイルスの流行を勘案したレポート「The Future of Jobs Report 2020」をまとめ、パンデミックとデジタル化の進展により、「今後5年間で人間、機械、アルゴリズムの労働分担が進むことによって、8500万件の雇用が消失し、9700万件の新たな雇用が創出される」可能性があると予測。「未来の仕事」へのスムーズなシフトのためには、労働者の多くが2025年までにリスキリングを受ける必要があると提起した。

 後藤氏は、アメリカやヨーロッパがデジタル化に成功した理由には、企業が従業員に対しリスキリングの機会を提供し、政府や行政がそれを支援したことが背景にあると指摘する。

 日本でも新型コロナウイルスの流行以降、状況が変わってきた。「コロナ下で、非対面型のビジネスやオンラインでの仕事など急速にデジタル化のニーズが広がりました。そのデジタル化ができる人材が必要だとなり、リスキリングに注目が集まってきたといえます」

 世界経済フォーラムは日本の労働市場について、「労働人口の減少、低い労働生産性、地方と都市部間、デジタル格差、過去30年間横ばいの賃金水準など、課題を抱えています。ある調査では、2030年には、生産職や事務職の人材が210万人過剰になり、専門技術職は170万人不足すると予想されています。デジタルスキルを持つ人材を中心としたこの需給のギャップの拡大を食い止めるには、余剰となった人材への実効性あるリスキリングが極めて重要です」と指摘している。

 世界的には、テクノロジーの進化などに伴う技術的失業を防ぎ、成長産業へ戦略的に人材のリスキリングを行うという流れが広がっている。実際、AIの普及による自動化、人間の労働からの置き換えは進む一方だ。日本でもDX(デジタルトランスフォーメーション)の流れが一気に加速し、リスキリングという言葉への認知度は高まってきたが、本質が理解されていない現状もある。では、日本企業にはどんな課題があり、今後どうリスキリングを進めていくべきなのか。

Image: Chaay_Tee / Shutterstock

日本でリスキリングが進まない理由 3つの「課題」

 後藤氏は、DXの進展でデジタル人材の育成が日本でも急務である一方、欧米に比べて日本の企業でリスキリングがなかなか進まない理由として「3つの課題」があると説明する。

 1つ目は「働き方」に関する課題だ。「業務時間内にちゃんとリスキリングを行う体制ができていない」と後藤氏は指摘する。

本来、リスキリングは、企業などの組織が実施責任を持って行う『業務』です。ですが、現状は就業時間内にリスキリングができる会社がほとんどありません。多くの企業は従業員に対し『オンライン講座を契約したので好きな時間に学んでください』といった福利厚生の一環として学習機会を提供しています。もしこれが会社としてリスキリングに取り組んでやっているというなら、従業員が帰宅後や週末に講座を受けるのは時間外手当の対象になります。今の日本は実質、個人の自主性や自発的な学びに依存しているのです」

「子供を育てながら仕事をして残業もして飲み会にも出て、リスキリングとして講座を受けるなんて普通はできません。仕事の時間が減らない、つまり働き方改革がちゃんと進んでいない段階で、そのプラスアルファでやるリスキリングは続きません。企業はデジタル化を推進し、非効率業務を削減し生産性を高めて、学習時間を捻出する必要があります」

 2つ目は「処遇、お金」の課題だ。「現状では、多くの企業でリスキリングしても昇給や昇格につながりません。例えばAIの講座を受講して学んでも、現在働いてる職場でAIを使う機会もなければ、配置転換もないというような状況です。AIに関する新しいスキルはどこの企業でも必要とされ、欲しい人材であるはずなのに、そこに対しての処遇の改善がない。そうなると、高いスキルを身につけ、意欲のある人は外資系のテック企業などに転職してしまいます」

 後藤氏がヒアリングした企業の人事部の多くは、コロナ禍を経て、若い優秀な人材がどんどん辞めていく流れが止まらず、頭を抱えているという。「職場の心理的安全性ややりがいなど、働く要素にはいろいろなものがありますが、給与はものすごく重要な要素です。企業はちゃんとリスキリングをしていける体制を作り、リスキリングをした優秀な人材に対して昇給昇格、報酬とのセットで報いていかないと、リスキリングは『諸刃の剣』になってしまいます。『武器』だけ与えたら、優秀な人材、意識の高い従業員は当然社外に出ていってしまいます

 また、中小企業に対しては助成金などの支援が必要と指摘する。「一部の大企業と違い、中小企業はリソースが限られ、学ぶための費用負担は難しい状況です。例えば、リスキリングをする人の業務を引き継ぐ新しい従業員を雇用する費用支援や、リスキリングのための研修費用そのものの支援が必要です」という。

 3つ目は「学び」に関する課題だ。「よく『日本人は学ばない』とか『学ばないのは怠惰だ』といった指摘もありますが、そもそも仕事の量も減らない中で、プラスアルファで学ぶ時間を捻出するのが難しいことが、課題ではないでしょうか」

「例えばスウェーデンやデンマークでは、就業時間内にちゃんとリスキリングできる仕組みがありますし、アメリカやヨーロッパの企業ではアプレンティスシップ(Apprenticeship)という『徒弟制度』で、弟子見習いの有償のインターンシップの仕組みも浸透しています。日本の場合は就業時間内に学べない、学びにくい環境です」

 その背景には、日本企業の学びに対する慣習や、学んだことによる成功体験がある人が少ない点もあると指摘する。「昔は工業化社会で、学ぶことが得意でなくてもいい製品を作れることが評価されました。ですが、情報化社会への移行で『学ぶこと』と『働くこと』がブレンドされた中、『学んだら評価をする』ことが今もできていない状況ではないでしょうか」

 終身雇用や年功制の職能給の仕組みの中、勉強をしてもしなくても給与や待遇は同じ、ということが多くの日本企業で当たり前だったことを考えると、「まず、これまでの仕組みをきちんと整理し、再定義して新しい体制を整え、手厚いサポートをしないと、リスキリングで移行できない人もどんどん出てきてしまいます」と後藤氏は指摘する。

「例えば、野球からサッカーへとゲームが変わり、ルールも全く違うのに、いまだに野球しかやったことない人が監督をやっているのが日本の現状です。まずルールやボールの蹴り方から丁寧に教えることが必要ですが、日本企業はそもそもそれをやっていない。学びに対する価値観や慣習の問題は本当に根深いと感じています」

人的資本経営と「グリーン・スキル」へ

 リスキリングの浸透という視点から日本企業の課題を考えると「人的資本経営」の問題に行きつくと、後藤氏は説明する。

 人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方を指す。後藤氏は「そもそも日本の今の課題は、日本企業の中で人的資本経営をやってきた会社がほとんどないために起こっていると言えます」と語る。

 金融庁は2022年11月、「人的資本」の開示義務化の詳細を発表した。2023年3月期決算以降の有価証券報告書には、「従業員の状況」として女性管理職比率や男性育休取得率、男女間賃金格差を記載することや、「サステナビリティに関する考え方及び取り組み」の中で人材育成方針、社内環境整備方針、人的資本や多様性について測定可能な指標と目標を記載することを義務付ける。有価証券報告書を発行する大手企業約4000社が対象だ。

「そもそも人的資本経営をちゃんと実施してきた会社もないので、情報開示が義務化されることになってから『どうしよう』となっている企業も多いと思います。人的資本投資の中核はリスキリングです。ですから私は今、経営のトップの方とお話するときに人的資本経営とリスキリングをセットで伝えています」

 従来の財務指標だけでなく、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)に焦点を当てたESG投資への関心が世界的に高まり、企業経営のサステナビリティが重視されている昨今。日本でも有価証券報告書でサステイナビリティ情報の記載が義務化され、気候変動への対応においては温室効果ガス(GHG)排出量の積極的な開示などが求められるようになった。

Image: YAKOBCHUK VIACHESLAV / Shutterstock

 世界的な動きも踏まえ、後藤氏は「今後はデジタルのスキル同様に『グリーン・スキル』を身につける必然性が高まると考えています」と予測する。

 世界では欧州を中心にグリーン経済の実現による雇用「グリーン・ジョブ」の創出や、これらの仕事に必要な「グリーン・スキル」習得に向けた取り組みが既に始まっているという。日本政府も2050年のカーボンニュートラル実現や、GX(グリーントランスフォーメーション)を掲げる中、後藤氏はデジタルで遅れをとった日本は、「グリーン・スキル」「グリーン・ジョブ」「グリーン・リスキリング」の分野において世界をリードできる可能性があると期待を寄せる。

 後編では、後藤氏が指摘する世界のグリーン・スキルへの潮流や日本の可能性について紹介する。

※インタビュー後編 世界の潮流、グリーン・スキルを知ろう 新たな成長産業へリスキリング、人的投資を



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