インド大手の金融系VC(ICICI Venture)、GEのVC、IntelのVCを経験し、2008年にInventusに参画。Inventusでの投資実績としては、redBus (iBibo/Naspersが買収) 、Power2SME、PolicyBazaar、eDreams、peel-works、Avaz、Tricogなどがある。
政府主導でデジタル社会、キャッシュレス社会に向かう
―まずインドスタートアップエコシステムの近年のトピックを聞かせてもらえますか。
Samir:まずここ2年で、政治、ビジネスにおいて大きな変化が起こっているのは見逃せないですね。政治面でお話しますと、2016年11月にナレンドラ・モディ首相が「4時間後に現在使っている高額紙幣を廃止します」と宣言しました。これはインドだけでなく、全世界に衝撃が走りました。わずか4時間後に、今、手元にあるお金が無効になるわけですから、銀行やATMには長蛇の列です(笑)。この政策は「ブラックマネーの撲滅」が狙いで、「デジタル社会」「キャッシュレス社会」へ移行したいという政府の意向がハッキリと表れています。
実際、政府はデジタル社会に向けて動いています。インド国民は13億人を超えますが、マイナンバー登録比率が実に9割を超えています。登録の方法は、顔写真はもちろん、指紋、両目の虹彩の記録を取ります。マイナンバーは納税申告、行政サービス、銀行取引、携帯電話の購入に至るまで、あらゆる場面で提示を求められます。「国が管理し過ぎだ」という批判もありますが、ビジネスをするうえで悪事が働きにくい社会インフラを築いたとも言えます。
インドに携帯電話を普及させたJio Phone
―なるほど。本当に大きな変化ですね。ビジネス面ではどうですか。
Rutvik:2016年にJio(ジオ)という財閥系の会社が携帯電話業界に新規参入を果たしました。それまで、毎月1000円近くかかっていた4Gデータの通信費が、一気に200円代で使い放題になりました。また、Jio Phone(ジオフォン)という携帯端末を実質無料でばらまきました。それにより、それまで携帯電話を持てなかった層も持てるようになったのです。
一方、スマホ端末では、韓国のSamsung(サムソン)、中国系Xiaomi(シャオミ)、華為(ファーウエイ)が人気です。インドでのスマホ普及率は50%を超えています。つまり、6億人規模のIT市場が既に存在しているのです。Jioの参入は、通信業界に価格破壊をもたらし、既存の携帯電話会社は料金を下げざるをえなくなりました。ユーザーにとっては、とても良いことです。スタートアップにとっても、新しいビジネスチャンスが生まれ、結果として今後、市場はどんどん大きくなっていくでしょう。
実際、私は前職でGoogleにいたのですが、Jio参入の前と後では、YouTubeの視聴もサーチ検索もともに10倍以上に拡大したようです。この大きな市場変化は、スマホアプリ市場も活性化させています。当社が投資しているHealthifyMeは、健康管理アプリを開発し、500万ダウンロードを稼いでいます。そのうち、年間で2万円を支払うユーザーが2.5万人いると言われています。経済成長にともない、都市部では「人口の半分が栄養を取り過ぎている」というデータがあり、まだまだ成長余力のあるサービスだと評価しています。
―御社の投資方針、投資スタイルについても教えてもらえますか。
Parag:我々はたくさんの投資はしません。過去2つのファンドを通じてインド国内で投資してきたのは22社です。そのうち、EXITは3社あります。投資領域はモバイル・インターネット関連、ソフトウェア、AI、フィンテック、IoT等です。投資ステージとしては、シリーズAで投資をし、投資後8~10ヵ月で戦略、プロダクト、組織、オペレーションを磨き込みます。主にリード投資家として参画していますので、投資先の経営陣として入ることが多くあります。次のラウンドでは、より事業シナジーが高い領域の企業に入ってもらいます。特に成長しているスタートアップの場合、リードではないですが追加投資をすることもあります。
私はInventus設立前の1993年からインドでベンチャー投資をしています。当時はまだ、エンジェル同士のネットワーク「Mumbai Angles(ムンバイエンジェルズ)」、FlipkartやGoogleといったエンジェル投資に積極的な企業の存在、IIT(インド工科大学)、IIM(インド経営大学院)といったインキュベーター支援、アクセラレーターなどは存在していませんでした。その点、これから起業する人たちは、アイデアの初期段階から色々な人の支援を受けられるので、とても恵まれています。ただ、シリーズAの投資になると、ぐっと専門的になり、経験も必要とされます。実際にVCとして機能しているのは、インドでも15~20社程度と言われています。VCとして機能するには、お金だけでは不十分なのです。
―投資先のEXIT事例を紹介してもらえますか。
Samir:2008年に組成した1号ファンドがもうじき満期を迎えるのですが、10社投資したうちの2社がEXITしています。その1社は、インド最大のバスチケット予約サイトで、2013年に中国のテンセントと南アフリカのIT企業Nasperの合弁会社に138億円で売却したのです。当時のIT企業のEXIT実績としては最大級でした。
もう1社は、Dentsu Aegis Network(電通グループ会社)にEXITした、デジタル広告配信技術をもつアドテク会社です。ここはAmazon本社に勤務していたエンジニア3人が、インドに帰国して設立した会社です。技術力がある会社でしたので、エンジニアが「働きたい」と集まる人気のスタートアップでした。実績としても、2017年にEXITするまでに、インド国内におけるFacebook、Googleへの広告配信シェアで3割近くを握っていました。
インドで技術開発をし、世界に売り込む
―Samirさんが今、注目している業界はありますか?
Samir:B to BとSaaSモデルは注目しています。インドでは世界に通用するソフトウェア人材が大勢います。B2B向けソフトウェアは、技術力が成功の大きな鍵を握っています。事実、インドスタートアップは、「インドで技術開発をし、世界に売り込む」というのが主流です。我々の投資先で、Eコマース支援のUnbxdというスタートアップがありますが、すでにアメリカで120社の顧客を獲得しています。顧客の中には、アメリカで一番大きな家具量販店のECや、オフィス用通販サイトの大手EC等がいます。
インドの主要IT関連企業が加盟している団体、NASSCOMが発表したデータによると、2020年にはインド国内のSaaS市場も1000億円、2025年には1兆円になると言われています。海外だけでなく、インド国内でも成長が見込まれます。
インドでもフィンテックの流れはますます強まる
―今後も続くであろうインドスタートアップ業界のトレンドがあれば教えてください。
Rutvik:フィンテックの流れは、今後ますます強まっていくでしょう。インドでは経済成長が続き、中間所得層が増えてきています。一方で、現金社会が続いていたので、クレジットカードや、銀行口座を持っている人間が全人口の2%弱と少ない。しかし、ほぼ全国民がマイナンバー登録をしたことで、与信を取ることが可能になりました。今後、ローン、保険の事業は伸びますよ。実際に、paytm(ペイティエム)という電子決済ができるスマホアプリがインドでは非常に伸びています。このアプリは、公共料金の支払いや、個人間のおカネの貸し借りでも利用でき、「キャッシュレス社会」の流れは強まるでしょう。
また、これは世界的な流れですが、ブロックチェーンは新しい技術進化として注目です。ビジネスチャンスも生まれ、社会をデジタル化させていくでしょう。インドでは、「デジタル社会」「キャッシュレス社会」が同時に実現されようとしています。
―大きな変化とともに、ビジネスチャンスも生まれているインドですが、インドのスタートアップのエコシステムの課題はありますか?
Samir:政府が「スタートアップを増やしていこう」と宣言し、本格的に手を打ち始めたのはこの2年です。まずは、海外からのスタートアップ投資をしやすい環境を整えました。
一方で、インド国内のエンジェル投資家、個人がスタートアップ投資する際の税金の煩わしさは、残された課題です。また、スタートアップ登記するための設立準備も、もっと簡素化しなければなりません。インド国内では基本、赤字決算ではIPOはできません。アメリカのNASDAQのように、成長していれば、IPOできる仕組みの方がスタートアップにとっては良いはずです。さらに、「NASDAQにIPOするには、まずはインドの証券取引所にIPOしなければいけない」という規制も大きなハードルになっています。
インドのVCから見た、ソフトバンクのビジョンファンド
―投資家にとっては、EXITの選択肢は多い方がいいでしょうね。皆さんにとって、ソフトバンクのビジョンファンドはどう映りますか?
Samir:ソフトバンクは早い時期からインドに投資していました。初期の頃はいくつか失敗もありましたが、最近は投資戦略も「レイトステージ」、かつ「黒字化している企業」もしくは「黒字化がみえている企業」に対して大きな投資をしています。投資を受けることができたスタートアップにとっては、莫大な資金を獲得したことにより盤石なポジショニングを得ることができるので、心強い味方となります。一方、投資を受けた企業と競合だった企業にとっては、大きな脅威以外の何者でもないでしょう。これは投資家にとっても立場は同じです。味方にもなるし、敵にもなりうる可能性があるということです。
インド市場への投資には根気が必要
―最後に、日本企業に向けてメッセージをお願いします。
Rutvik:インド市場への投資には根気が必要です。中国市場のように、短期のリターンを求めると成功は難しいと思います。ただ、我々インドが誇れるのは、エンジニアのタレント、技術の分かる起業家の層が厚いことです。今後、データサイエンス、AI、マシンラーニング等といった高度技術は世界中で求められます。よって、インド発のスタートアップがグローバルで活躍することは珍しくない時代に来ているといえます。私がこれまでお会いしてきた日本人や日本企業は、インドの事情を理解し、我々とパートナーシップを組んでくれました。ぜひ、今後も良い出会いを期待しています。