2025年、日本のオープンイノベーション業界に驚きが走った。
長年、KDDIでスタートアップ投資やオープンイノベーションを牽引し、「KDDIの顔」とも言われた中馬和彦氏が、みずほフィナンシャルグループ(以下、みずほFG)へ移籍したのだ。
社内で確固たるポジションを築き、業界でもトップランナーとして知られていた人物が、なぜ新たな環境へ飛び込んだのか。
とりわけ30代、40代のミドル層のビジネスパーソンにとって、それは「転職」という言葉では片付けられない問いだった。
しかし、本人は少し意外な表情でこう話し始める。
「僕、今でも転職したっていう感覚はあんまりないんですよ」
この一言が、このインタビューのすべてを表していた。中馬氏が変えたのは会社ではない。変えたのは、専門性を発揮する"舞台"だった。
目次
・第1章 会社ではなく、「職業」を選ぶ
・第2章 会社の看板は、会社の外で通用しなかった
・第3章 「これだ」スタートアップ投資を選んだ理由
・第4章 ミドル層の武器は「大企業を動かせること」
・最終章 AI時代、主役はスタートアップだけではない
第1章 会社ではなく、「職業」を選ぶ
──KDDIからみずほFGへの移籍は、多くの人にとって驚きでした。ご自身では、どのような決断だったのでしょうか。
中馬氏:「周りからは『転職』と言われます。でも、自分ではそういう感覚はあまりないんです。実は、もともとみずほへ行こうと思っていたわけじゃなく、『投資家』として新たな立場を模索していたんですよ」
──ということは、独立も視野に入れて動いていたのですか?
中馬氏:「そうです。CVCの責任者として長くやってきて、エクイティ投資は日本でもかなり経験を積ませてもらいました。やればやるほど、金融の重要性とか、金融が社会に与えるインパクトの大きさを実感するようになったんです。だから次は、VCでもいいし、プライベートエクイティ(PE)でもいい。投資家というフィールドの中で、もう一段違う景色を見たいと思っていました」
そのタイミングで届いたのが、みずほFGからのオファーだった。「独立」という選択肢もあった。それでも金融グループを選んだ理由は、「会社」ではなく、「役割」にあったという。
──最終的に、みずほを選んだ決め手は何だったのでしょうか。
中馬氏:「僕の中では、専門性はずっと変わってないんですよ。投資家として。そして、事業を創る人として。それは独立してVCをやってもいいし、金融機関の中でやってもいい。所属は変わっても、やっていることも、目指していることも、実はほとんど変わってないんです」
数多くのスタートアップと向き合う中で、中馬氏は一つの現実を痛感してきたという。
「スタートアップ経営者の頭の中は、資金調達が3分の2くらいを占めている。本当は事業に集中してほしい。でも現実は違う。だからこそ、お金を出す側には、社会を変えるだけの大きな力がある」
その視点から見ると、みずほFGへの移籍は「転職」ではなく、社会に与えられるインパクトを広げるための自然な延長線上にあった。
第2章 会社の看板は、会社の外で通用しなかった
今から約10年前。中馬氏のキャリア観を大きく変えたのは、40歳手前で経験した出向だった。KDDIから、住友商事と折半出資の子会社J:COM(ジェイコム)へ。さらに、ジェイコム子会社のショップチャンネルへ。初めて「会社の外」に出た。そこで待っていたのは、想像していた世界とはまったく違っていた。
中馬氏:「KDDI社内では、新規事業をずっとやってきて、役職もあったので、ある意味、周りからリスペクトされたり、話を聞いてもらえたりするのが当たり前でした。でも、ジェイコムへ行ったら、役職がついていても外様扱いで見向きもされなくて。さらに、ショップチャンネルへ行ったら、その傾向はもっと顕著でした。元いた会社からも少しずつ忘れられて、行った先では『外から来た人』。そんな経験は初めてでした」
──その経験から何を学びましたか。
中馬氏:「一番大きかったのは、外から自分の会社を見られたことですね。その時に思ったんです。会社の中でやっている役割って、外から見ると本当に脆いなって。特定の会社の中で評価されていても、それは外では何の意味も持たないことがある。だからあらためて感じました。『社会の中で必要とされる人材と、社内で評価される人材は全く違う』、と」
その頃から、中馬氏のキャリアの軸が変わった。会社の中でどんなポジションに就くかではない。会社を離れても、自分は何者として必要とされるのか。その問いに答えられる人間になろうと決めたという。
中馬氏:「会社とかポジションじゃなくて、自分ができることを明確にしよう、と。そこからは、会社のローテーションでキャリアを考えるのはやめました」
第3章 「これだ」スタートアップ投資を選んだ理由
会社を離れても通用する武器を持つ。そう決めた中馬氏が選んだのが、「スタートアップ投資」という専門領域だった。
──数ある仕事の中で、なぜスタートアップ投資だったのでしょうか。
中馬氏:「外から見た時に、KDDIが一番成功していると思えたのがスタートアップ投資の領域だったんです」
当時、KDDIは国内でもいち早くCVCを立ち上げ、投資件数でも国内トップクラス。時代はガラケーからスマホへ。Googleをはじめとするテック企業が世界を塗り替え始めていた。
中馬氏:「『これだ』と思いました。世の中が変わる熱量を感じたんですよ。今まで付き合ってきた大企業だけじゃなくて、スタートアップが世界を変えていく。その真ん中にいられる仕事だと思いました」
そこで中馬氏は、KDDIへの帰任に当たり、スタートアップ投資の責任者のポジションを強く希望。この領域のプロフェッショナルになる覚悟を決めたという。
そこから約10年。中馬氏は「会社員」ではなく、オープンイノベーション領域のプロフェッショナルとして、自らの名前を業界に刻んでいく。
──実際に担当してみて、一番面白かったことは何でしたか。
中馬氏:「大企業って普通、ベンダー側にお客様として扱われますよね。でもスタートアップ投資の世界は逆なんです。出資する側なのに、自分から頭を下げて、『教えてください』『出資させてください』ってお願いして回る。イベントへ行って、人に会って、とにかく外へ出る。大企業の仕事とは真逆なんですよ」
「これをやっている限り、自分自身もマーケットもディスラプトされない。常に世の中の変化のど真ん中にいられる。その感覚が、本当にエキサイティングでした」
第4章 ミドル層の武器は「大企業を動かせること」
2025年、中馬氏はみずほFGへ加わった。新たなファンドを立ち上げ、投資を実行し、新規事業組織を率いる。通信業界と金融業界という文化の違いだけを見ても環境は大きく変わったように見えるが、チームづくりに関して本人はこう振り返る。
中馬氏:「投資チームとしては、本当にいいチームなんですよ。金融リテラシーがあって、融資経験もある。経営者と向き合ってきたベースラインがあるので、そこへエクイティ投資の考え方を加えるだけで、一気に強くなる。投資という意味では、びっくりするくらい順調です」
一方で、新規事業という視点では、別の課題も見えてきたという。
中馬氏:「ただ、投資はあくまで手段なんです。目的は、新しい事業や産業を生み出すこと。 そうなると、銀行だけでは難しい部分もあります」
その理由は、銀行という組織の特性にある。
中馬氏:「金融機関は、お客さまの事業を支えるプロフェッショナルです。でも、自分たちでプロダクトをつくり、売り、改善し続ける『事業会社』ではありません。だから、事業をゼロからつくる感覚は、どうしても経験しにくい」
だからこそ現在は、事業会社やスタートアップなど、異なるバックグラウンドを持つ人材を積極的に迎え入れている。
中馬氏:「育成だけで補うよりも、実際に事業をつくってきた人に中途で入ってもらう方が早いと思っています。例えばエンタメならエンタメ、防衛なら防衛。その業界特有の空気感や言葉遣い、意思決定のスピード感は、実際にその世界を経験してきた人じゃないと分からないことが多い。金融の知見と、事業をつくってきた経験。その両方がそろって初めて、新しい産業を生み出せるチームになると思っています」
──中途採用も始めているとのことですが、大企業で経験を積んだ30代、40代のミドル層が武器にすべきものは何でしょうか。
中馬氏:「大企業を動かせることだと思います。これって、実は大企業で長く働いた人しか身につかない」
「失礼をしない。空気を読む。稟議を通す。…まあ、クソみたいなノウハウですけど(笑)でも、大きな組織を動かすには、絶対に必要なんです」
さらに、中馬氏はこう続ける。
「オープンイノベーションってある意味、大企業と真逆のことをやらなきゃいけない仕事じゃないですか。でも、大企業の作法を知らない人には、その"逆"は通せない。大多数を理解している人だけが、マイノリティになれるんです」
最終章 AI時代、主役はスタートアップだけではない
──オープンイノベーションには、大企業、スタートアップ、VC、大学、研究機関など、さまざまなプレイヤーがいます。その中で、これからの日本企業に期待される役割をどう考えていますか。
中馬氏:「少し極端な言い方をすると、この30年はインターネット革命の時代でした。Googleをはじめとするインターネット企業が新しい価値を生み出して、それが既存の社会に"足されていく"時代だったんです。だから、日本の大企業、特に製造業や素材産業のような会社は、オープンイノベーションに積極的じゃなくても、ある程度やってこられた」
しかし、その前提はAIの登場によって大きく変わろうとしている。
中馬氏:「これからAIが入ってくると、自動化も進むし、社会の仕組みそのものが変わっていきます。そうなると、変えなきゃいけないのはアプリやサービスだけじゃない。街も、工場も、物流も、医療も、行政も、全部です」
つまり、イノベーションの対象は「デジタルの世界」から「現実世界」へとより広がっていく。そして、その現実世界を支えているのは、ほかでもない日本の大企業だ。
中馬氏:「社会を本当に変えようと思ったら、既存のプレイヤーを変えなきゃいけない。そこには必ず大企業がいます。だから、新しい技術やスタートアップを知っている人だけでは足りない。それを受け止めて、事業として社会実装できる人が必要なんです」
スタートアップは変化を生み出す。大企業は、その変化を社会に実装する。どちらが欠けても、イノベーションは広がらない。
中馬氏:「本当の意味で、オープンイノベーションはこれからが本番だと思っています」
──最後に、中馬さんがこのオープンイノベーション領域に挑戦し続ける理由は何でしょうか。
中馬氏:「スタートアップやオープンイノベーションの世界にいると、少なくとも社会のフォロワーにはならない。常に変化の源流にいられるんです」
「もちろん、大企業で出世する人生も素晴らしい。ただ、そこには『あなたは仕事を通じて何を得たいんですか』、という価値観への問いがあると思っていて。大組織に依存して人事異動や定年に右往左往する我慢の人生よりも、自分が直接社会に価値を提供する。僕は、そういう与える側の人生を選びたいんです」
その価値観こそが、変化の最前線に立ち続ける原動力なのだろう。