サプライヤーとの購買交渉をAIエージェントが担う。そんな未来は、すでに現実になりつつある。米カリフォルニア州に本拠を構えるPactum(パクタム)は、ウォルマートなど世界の大手企業が導入する「AI交渉エージェント」を開発。これまで人手不足で見過ごされてきた交渉案件の約8割を自動化し、収益改善を実現している。同社のCEO、カスパー・コルユス(Kaspar Korjus)氏はこう語る。「人間の交渉は、しばしばゼロサム思考というバイアスに縛られます。AIこそが、取引先双方の利益を引き出す交渉を実現できるのです」。AIが人間を補い、時には超える交渉力を発揮する――その革新の裏側を紐解いた。

目次
大企業の購買業務「最大の課題」とは?
サプライヤーとAIエージェントが自動交渉
交渉を邪魔する人間の「ゼロサム思考」
製造業が強い日本市場は「非常に魅力的」

大企業の購買業務「最大の課題」とは?

―パクタムは大企業の購買交渉を担うAIエージェントを開発しています。この領域にはどういった課題があるのですか?

 最大の課題は、膨大な数のサプライヤーに対応しきれないことです。大企業では数万社ものサプライヤーが存在しますが、この数に対応するだけの購買担当者を雇うことは企業にとって現実的ではありません。そのため、どうしても大口の取引先や主要なサプライヤーとの交渉に集中せざるを得ず、「全体の約80%に当たる調達案件は、実質的に放置されている」とも言われています。

 その結果、サプライヤー側が自由に価格を決めて値上げをしても、誰も対応できないという問題が生じているのです。私たちはこの課題を解決するために、サプライチェーン全体でサプライヤーと交渉できるAIエージェントを開発しました。

 AIエージェントの効果は絶大です。パクタムを導入した企業では、交渉による収益改善率が平均4.2%に達し、そのうち約70%の契約交渉が人の介在なしに自動で完了しています。換算すると、支出100万ドルあたり約4万2,000ドルの付加価値をもたらしている計算です。さらに注目すべきは、サプライヤーの74%が「人間との交渉より好意的だった」と回答している点です。AIがもたらすのは単なる効率化だけではなく、交渉の当事者双方にとって満足度の高い体験であることが分かります。

Kaspar Korjus
Co-Founder & CEO
英ブラッドフォード大学経営学部で経営学学士号、英ランカスター大学で修士号を取得。2014年よりエストニア政府の先駆的な取り組み「e-Residency」(電子居住者制度、国外居住外国人も登録と同国での会社創業が可能に) のMDを務め、4年半にわたり同プロジェクトを牽引。2019年にPactumを共同創業し、CEOに就任。

サプライヤーとAIエージェントが自動交渉

―ウォルマートのような巨大企業も御社のソリューションを活用していると伺いました。主な顧客はどのような企業でしょうか?

 主な顧客は、売上規模が50億ドル以上の大企業です。なかにはウォルマートのように、年商6,000億ドル規模の企業もあります。特に効果が大きいのは製造業の直接材調達です。部品のように購買項目が多い領域では、AIが効率化に大きく貢献します。間接材の調達では、業種を問わず幅広く導入されています。

 多くの企業は、まずテールエンド(小規模・低額)の調達案件から始めます。例えば、1,000ドルや1万ドル規模の購買申請でも、当社のAIエージェントが支出管理システムから案件を拾い上げ、自動で価格交渉を行い、更新します。そこで成果を実感すると、中堅サプライヤーや、より重要なサプライヤーとの交渉へと活用範囲を広げていただくといった流れです。大企業がAIエージェントを活用するには長い道のりがありますが、パクタムは導入の最初のハードルが低いと思います。

―具体的に、AIエージェントはどのように交渉に臨むのですか?

 サプライヤー視点から見ると分かりやすいです。サプライヤーにはまず、調達数量や価格、契約などが記載されたメールを受け取ります。その中にはリンクがあり、アクセスするとチャットボットのようなインターフェイスが開かれます。そこで、AIエージェントが企業の代表としてサプライヤーと対話し、価格や契約条件について交渉します。

 AIエージェントは取引の価値を最大化するために、サプライヤーの好みを探り、彼らが望む条件を吟味しながら価格交渉をします。最終的に合意に至ると、AIエージェントがバックグラウンドで関連システムを自動更新する仕組みです。事前に設定された基準に沿って動作するため、勝手に新しいスクリプトを作ることも、外部から操作されることもありません。

交渉を邪魔する人間の「ゼロサム思考」

―なぜ人間のバイヤーよりも、パクタムのAIエージェントの交渉の方が生産的なのでしょうか?

 AIは人間より「知性がある」わけではありません。一方で、AIは人間ができないことをいとも簡単にやってのけます。人間のバイヤーは契約交渉を1件ずつしかできないのに対し、AIは同時に数千件の交渉に臨める点が顕著でしょう。また人間には、同時に全システムにアクセスし、分析を並列的に処理することは到底不可能ですが、AIにはこれはお安い御用です。

 加えて、こと交渉に関しては人間には厄介な欠点もあります。それは「バイアス」がかかってしまうこと。代表的なものは「ゼロサム思考」です。これは、相手がより良い条件を獲得した場合、自分は損する」というような心理ですが、交渉ごとにおいて必ず結果がゼロサムになる場合はそう多くありません。実際は、条件を詰めれば双方が得するようなディールは数多くあります。

 例えば、次のようなケースが考えられます。資金繰りに困っているサプライヤーがいて、彼らはすぐに現金が欲しいという動機があります。この時、サプライヤーは「早めに支払いがあるなら、値引きで構わない」という妥協点を持っています。買い手の企業にとってもキャッシュが今すぐあるなら「早めに支払って値引きを得られる」のは純粋な得になります。

 しかし、ゼロサム思考に囚われていると、サプライヤー側は「値引きをすれば自分も損する」と考え、買い手側も「無理に値下げを要求すると、サプライヤーが離れかねない。値下げは到底無理だろう」と思い込み、値引きを受けられる機会を自ら逃しかねません。

 つまり、「双方が得する妥協点」は数学的には存在しますが、人間の頭では処理が追いつかないケースがあるのです。「早期に支払いをして、値引きを得る」という発想を思いつくには「相手の財政状況」「在庫水準」「業界の価格水準」「納期のタイミング」など、20以上の要素を同時に考えた上で、最適解を編み出す必要があるからです。

 AIはこうした複雑な要素を同時に計算した上で、最適な妥協点を瞬時に、感情なしで算出できます。人間の交渉においては「ゼロサム思考」という心理状態にどうしても囚われがちですが、AIに心理はありませんから。

―コルユスさんは2019年にパクタムを共同創業しました。創業のきっかけは?

 私はパクタムを立ち上げる前、エストニア政府で働いていました。エストニアの電子居住制度を立ち上げ、日本に何度も訪れたことがあります。当時、安倍元首相もエストニアの電子居住者(e-Resident)になるなど、日本政府はエストニア政府が推進するデジタル社会への関心を強く持っていたのです。

 そうした中、「AIの導入は政府よりも民間企業の方が進んでいる」と気づきました。「歳を取ったらまた政府に戻ろう。その前にAIを基盤としたスタートアップを立ち上げよう」と考えたのです。

 起業に際して私が立てた仮説は2つ。1つは、将来はAIが人間の同僚となり、同じように働くようになるだろうということ。もうひとつは、「交渉」においてAIが重要視されるよういなるという予測でした。

 交渉はある意味、一種の芸術で、地球上で最も価値を生む営為です。契約、採用、販売──いずれも合意をすることで、新たな価値が創造されます。そこで私たちは、「人間ではなく未来の労働力であるAIエージェントに、この最も価値ある仕事=契約をまとめる役割を担わせよう」と考え、契約を結べるAIチャットボットを創ったのです。当時は「人々がAIエージェントを信頼して契約交渉を任せるなんてありえない」と思われていましたが、今では技術が成熟し、企業も人間もAIエージェントを重要な交渉相手として受け入れるようになっています。

―人間にはバイアスがあること、それが交渉能力の妨げになっていることに気づいていたのですか?

 はい。人間の限界は理解していて、だからこそAIエージェントであればそれを克服できると考えていました。ただ当時は、「人間がAIを受け入れるのか」という点に関してははっきりと予見できていませんでした。もしかしたら「AIとは仕事をしたくない」というデモが起きるかもしれないと考えていたくらいです。

 ところが今日では、ビジネスシーンでAIが容易に受け入れられています。これは思うに、ビジネスにおいて人が求めるのは「結果」です。交渉相手が人間ではなくAIだったとしても自分に有利な契約が結べたら、人はそれで満足します。必ずしも人間でなくても良いということですね。

image : Pactum HP

製造業が強い日本市場は「非常に魅力的」

―日本市場をどのように見ていますか?

 日本は非常に魅力的な市場だと考えています。製造業の大企業が多く存在するため膨大なサプライチェーンを抱えているので、こうした企業では未対応のまま放置されている交渉案件が数多く残されています。

 また、ロボットや先端技術に対して高い親和性がありますし、人件費が高く、自動化へのニーズが高いこともAIエージェントの導入を後押しすると考えています。

―日本市場に進出する考えはありますか。

 すでに私たちはNice Eze(ナイスエズ)という日本企業と業務提携をしています。彼らがパクタムの日本企業への販売代理店を務めています。私たちは、多くの日本企業に我々のソリューションを使って欲しいと願っています。

 具体的な業界として挙げられるのは、製造業でしょう。他国でも、パクタムの導入は製造業ほど進んでいます。彼らは直接購入する部品が大量に存在しますから、交渉の最適化は必須です。



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