子連れの外出で感じた不便さをきっかけに、2016年、トイレの空き状況を可視化するサービスで創業したVACAN(バカン)。コロナ禍を転機に防災・公共分野へも領域を広げ、現在は全国2万カ所以上でサービスを展開している。
50件超の特許技術と国際的なデザイン賞(iFデザインアワード)を受賞したUI、そして機器の調達から運用までを一貫して担う独自の体制を武器に、大手インフラ企業や自治体との協業も加速中だ。創業10周年を迎える同社が次に見据えるのは、混雑可視化の先にある「空間の知能化」である。創業者でCEOの河野剛進氏に、その歩みと展望を聞いた。
目次
・「なぜ空き場所が分からない」から始まった起業
・プラットフォームの進化と「防災」分野への転機
・インフラ企業との協業で目指す「空間の知能化」
・「混雑可視化」のその先へ。AIプラットフォーム化への挑戦
「なぜ空き場所が分からない」から始まった起業
―河野氏は、学生時代や前職でどのような研究をされていたのでしょうか?
学部時代はオブジェクトディテクション(物体検出)を、大学院(現・東京科学大学)では技術経営(MOT)を専攻し、金融工学の数理モデルなどを研究していました。三菱総合研究所時代にはそれらが融合し、GPUを用いて金融領域の計算を高速化する、現在のAIの先駆けのような技術に携わっていました。
―起業のきっかけは、ご自身の体験にあるとうかがいました。
はい。子どもを連れて商業施設に行った際、トイレの待ち時間や飲食店の空き探しに翻弄され、心に余裕がなくなってしまう経験を何度もしました。「なぜ空いている場所が事前に分からないのか」という不満を解消し、「誰もがもっと他人に優しくなれる世界」を実現したいと考え、2016年にVACANを設立しました。
最初はトイレの可視化「VACAN Throne」からスタートしましたが、それはあくまで「ありとあらゆる空き状況を可視化する」というビジョンに向けた、最初の一歩に過ぎませんでした。
―創業当初は、どのような課題や困難に直面しましたか。
山のようにありましたが、一番大きかったのは「信用」の問題です。法人の銀行口座も簡単には開設できず、オフィスを借りようとしたら銀行口座が必要だといわれる。携帯電話を契約しようとしても、やはり口座が要る。大企業とのネットワークもなく、資金も限られている。お金もない、ネットワークもない、1人しかいない。そういう状況の中で「この人、大丈夫なのか」と見られるわけです。
もちろん、学生時代の友人や前職のつながりといった資産はありましたし、それ自体はとても大事なネットワークです。ただ、それだけでは不十分でした。ビジネスに必要な信用は、個人の人脈だけでは補いきれないものでした。
大きな支えになったのが、アクセラレーションプログラムです。特に東京都が運営する「青山スタートアップアクセラレーションセンター(ASAC)」には助けられました。ピッチの練習から大企業とのネットワーキング、起業家同士のつながりまで、あらゆる面で後押しを受けましたし、信用を担保してもらえたことも大きかったですね。ASACをきっかけに大企業が展開する別のアクセラレーションプログラムにもつながり、そのご縁が今も生きています。こうした外部の支援を得ながら、周りのサポートに助けられて、どうにか初期フェーズを乗り越えることができました。
Image : VACAN HP VACAN Throneから進化した「VACAN AirKnock」紹介ページ
プラットフォームの進化と「防災」分野への転機
―現在のサービスラインアップについて教えてください。
私たちのサービスの根幹にあるのがフレームワーク「vCore」です。さまざまな空間の状態を可視化・分析しようとすると、場所ごとに異なるニーズに最適なアプリケーションを開発できる基盤が必要です。「vCore」はまさにそのための技術群で、この上にデータやユーザー、個々のプロダクトが載る仕組みになっています。
最初はセンサーに特化した遠隔監視からスタートし、そこにカメラを使ったAI画像認識の技術を組み込んで、より高度な判断ができるようにしていきました。さらに行列管理の仕組みや、場所の取り置きができる機能なども加えています。場所に合わせた最適なアプリケーションを、「vCore」のプラットフォーム上で個別に開発していきました。
トイレの空き状況可視化から始まったサービスは、今では長時間滞在を抑制する「VACAN AirKnock」やトイレの個室内メディア「AirKnock ads」へと進化しています。個室内にタブレットを設置して、周囲の混雑状況や利用者の滞在時間をお知らせする仕組みで、30分以上の利用が64%減少するという効果が出ています。現在、全国約1万4,000以上のスポットに導入されています。
こうしたサービスは、自分たちがエンドユーザーとして「欲しい」と思うものを起点に開発しつつ、導入先やお客さまからの相談を受けて一緒に機能を作っていくという、両方のアプローチで広がってきました。現在、公共分野では約300の自治体、避難所だけで1万カ所以上、民間も含めると全国2万カ所以上でサービスをご利用いただいています。導入先はオフィス、駅、空港、商業施設、百貨店など多岐にわたります。
Image : VACAN デジタル整理券・順番待ち管理システム「Q ticket」
―競合となる企業やサービスに対する、強みを教えてください。
トイレだけ飲食店だけといった特定の領域だけ、あるいは予約システムだけを手がけている企業はあります。VACANのように混雑状況を横断的かつ統合的に解析している企業は、国内にもグローバルにもほぼ存在しないと認識しています。リアル空間の可視化を1つのプラットフォーム上でやっているのがVACANの特徴です。
これを可能にしているのが「vCore」で、さまざまな空間の情報を標準化する機能を持っていて、異なる種類の場所のデータを同じ尺度で扱えます。利用者に対して統一的な形で情報を届けられるのが、VACANの圧倒的な強みだと考えています。
技術面では、AI技術をはじめ50件以上の特許技術を取得済みで、さらに数十件を出願中です。また、デザイン性も私たちが大切にしている要素で、「VACAN Maps」は2021年にはグッドデザイン賞を、2023年には国際的なデザイン賞「iF DESIGN AWARD 2023」を受賞しました。導入先にとって使いやすいか、シンプルに操作できるか、利用者にどう情報を届けるかという観点では、デザインの力が非常に重要です。シンプルで分かりやすいデザインが決め手で、VACANを選んでいただくお客さまもいらっしゃいます。
本質的な差別化要因は、総合的なサービスを提供するための体制です。例えば、機器の調達から設定、施工までを専門に担う「グロース推進室」というチームがあります。単なるITサービスでは、Webに公開してURLを渡せば導入完了、となるかもしれませんが、空間を可視化するうえでは機器の調達、設置、設定なども必要になります。最初は「カメラをつけるだけ」と簡単に考えていたのですが、ビジネスとしてスケールさせるためのオペレーションはまったく違いました。それで専門チームとオペレーションを整備していったのですが、結果としてこれが強みとなり、他社に対する大きな参入障壁になりました。
さらに、導入後の運用管理も重要な強みです。全国に展開したサービスが常にインターネットに接続されている状態を維持しなければなりませんが、回線の切断やプロバイダー側の障害など、範疇外のトラブルも起こります。問題の切り分け、常時監視、復旧対応を行うための管理基盤を独自に構築していて、設置環境や技術ごとに異なるサポート履歴もすべて管理しています。「AirKnock」だけでも全国1万2,000個のセンサーがあり、さらにタブレットやゲートウエー、ルーターなども含め分散した環境で、大量のデバイスをコントロールする能力は、スケールしていくうえで非常に大きな武器になっています。
Image : VACAN
―防災・公共分野への展開が広がるきっかけは何でしたか?
コロナ禍は、起業してからのハードルの中でも非常に大きなものでした。飲食店、商業施設、駅、空港など、サービス導入先がどんどん閉まりました。皮肉な話ですが、人がいなくなって混雑自体は解消されたわけです。ただ、そこで私たちに期待されることがシフトしました。混雑の可視化ではなく、安心・安全へのニーズが一気に高まったんです。その流れの中で、防災という新たな用途が広がっていきました。
当初は、防災でのニーズがあるとは考えていませんでした。きっかけは東京都多摩市からの相談で、最初は投票所の密対策として使えないかという話で、「避難所でも使いたい」という話へと広がりました。避難所に行っても空いているか分からない、もし定員を超えていたら別の場所へ案内せざるを得ずたらい回しになってしまうという、課題を解決したいと相談を受けて、VACANの技術なら対応できるのではないかと。
空き情報配信サービス「VACAN Maps」を、避難所の混雑を可視化するツールとして2020年7月に多摩市で導入いただき、次いで8月に人口5万人あまりの宮崎県日南市でも導入協定を結んだところ、9月に日南市を大型台風が襲ったのです。どの避難所が開設されているか、混んでいるかがリアルタイムで地図上に表示される「VACAN Maps」へのアクセスは、1万アクセスを記録しました。以前は紙で一覧リストが配布されていましたが、すべての避難所が開設するわけではなく、市のWebサイトに載っていても地図とセットになっておらず、職員も他の避難所の状況を知るには防災無線で確認するしかなかったのです。「VACAN Maps」の導入でそれが一目で分かるようになり、住民からも職員からも「すごく便利だ」という声をいただきました。
コロナ禍を経て、公共も含めた施設や地域全体を支えるプラットフォームを作るという方向性が明確になり、私たちも寄り添い方を変えていく大きな転機になりました。現在200以上の自治体で、災害時の情報インフラとして「VACAN Maps」を活用いただいています。
Image : VACAN iF DESIGN AWARD 2023を受賞した「VACAN Maps」
インフラ企業との協業で目指す「空間の知能化」
―事業提携についての考えを聞かせてください。
提携の形はこだわっていません。必要があれば資本業務提携もあり得ますし、提携まで行かずとも深く協業しているパターンもすでにたくさんあります。NTT東日本やJR東日本などからは出資も受けていますし、実証実験を共同で行っています。提携の形も相手も、全方向的に重視しています。
IT企業との連携も広がっていて、IT系の企業と一緒にサービスを共同提案したり、新しいサービスを生み出す枠組みを検討したりもしています。一例として、ジャパネットタカタとは、長崎スタジアムシティを中心とした地域の活性化に向けた協業をずっと続けています。
提携先として特に意識しているのは、実際の空間を持っているインフラ企業です。私たちは空間の知能化を目指していますから、その空間を保有している企業との提携は非常に分かりやすいです。空間を持つ企業だけでなく、空間に対してサービスを提供している事業者との連携も重要で、こうした大企業との協業はこれからもさらに進めていきたいと考えています。
Image : VACAN
「混雑可視化」のその先へ。AIプラットフォーム化への挑戦
―今年で創業10周年となります。今後の展望について聞かせください。
混雑の可視化はこれからも強みとしながら、すでに混雑以外のことにも取り組んでいます。避難所であれば、混雑情報だけでなく、そこに誰が避難しているのかという情報も重要です。子どもが多いとか、薬が必要な方がいるかどうかまで連携できれば、必要な支援品をいち早く届けられるなど、利用者にも運営側にとっても便利になります。空間の状態を観察し、それを意思決定につなげ、最後にアクションまでつなげていく。こうしたフィジカルな領域でのAI活用を、さらに進めていきます。施設やエリアを支えるAIプラットフォームを作っていくというのが、次の大きなテーマです。
その一環として、2024年1月に生成AIに特化して、企業の伴走支援を行う子会社VACAN Technologiesを立ち上げました。全方位的にやるというよりは、既存のクライアントや株主など、施設やエリア、空間をマネジメントされている方々の困りごとに寄り添って、相手の立場で推進していくことを目指しています。それに伴い、これまであまり採用してこなかったコンサルティング人材やFDE(フィールドデータエンジニア)のような、顧客先の一部として共に課題解決を行う人材の採用も強化しています。
こうした顧客への深い関わりが、自社のプラットフォームやプロダクトの進化にもフィードバックされていくような相互関係を作っていくことが、私たちの次のチャレンジです。