病院向けコンサルから未経験のペットビジネスへ転身
―会社員から独立・起業された当初は、猫・ペットとは違う領域のビジネスだったと伺いました。
最初に起業したのは、会社員時代に手がけていたのと同じ病院経営コンサルティングの会社でした。その次に興したのは簡易的な診療記録やレセプト(診療報酬明細書)情報を包括したDPCデータの活用ソリューションを提供する企業です。同じ病気でも、病院によって治療内容が違います。それこそ同じ病院でも医師が違うと治療内容も違うのです。その違いを可視化し、治療成績のよい方法を見極めたり、処方する薬を見直したりする際の指標にするのが目的でした。
―人間の医療という社会的意義の大きな領域から、猫の健康へフォーカスするようになったきっかけを教えてください。
コンサルの宿命というのでしょうか。顧客にコミットして医療の標準化という目的が達成されると、コンサルの仕事は不要になってしまいます。また経営者間の方向性の違いも表面化して、仕事には魅力を感じていたのですが、いったん医療業界からは離れたいと思うようになっていました。
次は何をしようかと考えていたタイミングで東日本大震災が発生し、犬や猫をはじめとする動物が直面する殺処分や同行避難・同伴避難などさまざまな問題を目の当たりにしたのです。
私自身、子どものころから現在もずっと犬と暮らしています。経営のトラブルに疲れていた時期も、私が家に帰るとどんな深夜でも迎えに来てくれる犬にとても気分が癒やされていました。こんなにペットに助けられているのに、人間がさまざまな問題を起こしていることにギャップを感じ、動物へ恩返しがしたいと思いはじめたことが、ペットに目を向けるきっかけとなりました。
―「Toletta」開発以前はどのようなサービスを手がけていたのですか。
ペットサロンで歯磨きを受けられる定額サービスやペットホテルなどを始め、Webサイトを立ち上げました。しかし、飼い主ではありましたが、ペット業界でのビジネス経験はまったくありません。しかも、それまではずっと病院を相手にしたBtoBのビジネスで、営業活動をしたことがなかったのです。病院の先生同士の口コミで問い合わせは来るから、新しくサービスを始めてWebサイトがあれば、待っていても顧客は来るものだと思っていました。
ふたを開ければ誰もアクセスしてくれません。BtoCの顧客へのリーチ方法をまったく分かっておらず、ゼロからアクセスを集めるところからのスタートでした。これまでの経験を生かせず、すっかり自信を喪失してしまいました。結果的にはユーザーや顧客と直接目の前で触れ合い、顧客目線で求めているものは何かを考え抜く経験を得られた期間でした。今振り返ると本当によかったと思います。
次々とペットに関連するサービスや事業に取り組んだものの、なかなかうまくいかず、やめてしまおうと考えていたさなか、猫の健康をチェックするIoTトイレのアイデアに出合いました。「これ以上のものはない」と思えるほどほれ込み、徹底的に取り組む決意し、資金調達のために自宅を担保に入れました。そんなことは今までのビジネスではやったことがありません。全財産を投げ打ってでもやろうと本気で思ったのは、この時が初めてでした。
予約受付開始直前に、大手家電メーカーから競合製品が発売
―「Toletta」発売時のエピソードを教えてください。
2018年3月にIoT猫トイレを利用した猫ヘルスケアサービス「Toletta」の製品発表を行い、8月8日から一般販売を開始すると告知しました。その直前、大手家電メーカーから同じように体重や尿の量を計測できる猫トイレが発売されたのです。これは本当にショックでした。しかも、追い打ちをかけるように、「Toletta」の猫トイレで利用している猫の尿量を測る技術が、そのメーカーの特許に抵触することが判明しました。特許使用料を払ってでも現行の仕様で発売するか、まったく違う技術を編み出すかの選択を迫られる、厳しい状況になりました。
2019年1月になって、他社の特許を侵害しない技術のめどが付いたものの、すぐに製品化はできません。結局、当初の発売予定から約半年以上遅れて2019年4月に、体重計測機能だけができる製品としてローンチしました。私は体重と尿が計測できるのがマストの機能だと考えていて、体重計測機能のみのトイレが売れるとは思えませんでした。ところが、Amazonの猫トイレカテゴリでベストセラーとなったのです。同年の8月にとうとう尿量計測機能を搭載した猫トイレを製造できるめどが付き、当初より1年遅れて「Toletta2」として発売することができました。
image: トレッタキャッツ
―大きな危機を乗り切ることができた理由はどこにあったのでしょうか。
特許問題を抱えている企業には、投資家も出資を躊躇します。資金供給が止まってしまった状況でハードを作らねばならず、その金型作りには数千万円かかります。あの時は本当に苦しくて、不安も募りました。その危機を乗り越えられたのは、同じ目的に向かって全身全霊をかける思いを共にするメンバーが集まってくれたことに尽きると思っています。
先ほど触れた、体重計測機能だけで市場に出す提案も社員のアイデアです。中途半端だと私が思っていたものが、あんなに売れるとは予想もしていませんでしたし、口コミで寄せられる高評価を目にして「こんなに支持してくれるお客さんがいるんだ」というファイトが湧きました。
―「Toletta」の特徴と現状の課題について聞かせてください。
「Toletta」は、体重と尿量・トイレの回数、トイレ中の行動を撮影した動画・静止画が自動的に記録され、猫の健康状態を24時間365日計測できます。計測データはアプリでグラフ化し、小さな変化も一目で分かります。他社との差別化ポイントは「AIねこ顔認証技術」です。首輪などの付属品を使わずに、1台のトイレで複数の猫のデータを個別に取得できます。
現状の課題は、より多くの猫の飼い主に使ってもらうことです。アクティブユーザー数は11月現在で2万7000匹となっていますが、約880万匹といわれている日本の猫飼育数から見れば0.3%ほどに過ぎません。今使ってくれている方は、情報感度の高いアーリーアダプターだけですので、キャズムを超えるにはもっとユーザーを増やさなくてはなりません。
サービス開始から約5年が経過して、ユーザーから数多くの声が寄せられました。その声を通じて、「コアな層を徹底的に狙う」のと「幅広いユーザーに使ってもらう」のとどちらか進むべき道かと考えたとき、「ねこが30才になっても、元気に暮らせる社会を作る」というビジョン達成に必要なのは、後者だと思い至りました。その実現に向けて、もっと敷居を低くした、気軽に使える新たなサービスやハードウエアの開発を進めています。
image: トレッタキャッツ
国内事業を軌道に乗せることを優先。動物病院や研究機関との提携を重視
―動物病院との連携や海外法人設立などを行われていましたが、今後の展開についてお聞かせください。
当社で設立した動物病院での往診事業と、現地で設立した法人を通じたアメリカのペット市場への進出を行っていましたが、実は両事業ともピボットしました。うまくいかなかった理由はたくさんあります。特に海外事業での反省点としては、日本国内での当社の事業にも課題がまだまだ多く、私のリソースを海外事業に振り切れなかったのが一番だと思っています。その反省から、まず国内事業をしっかりと軌道に乗せてから、私は海外へ移住してしっかりと根を張り、現地の人たちとパートナーシップを構築できる体制を整えてから、再度挑戦しようと考えています。
―すでに大企業との提携事例もありますが、今後はどのような形での提携を考えていますか。
過去には、大企業が実施するアクセラレータープログラムなどにも積極的に参加していました。しかし、スタートアップと大企業とでは時間軸があまりに違うということも痛感して、共に新しい価値を生み出す難しさを感じました。とはいえ、私たち1社だけでできることにも限界がありますので、提携の必要性は強く感じています。大企業との提携においては、時間軸に加え、ベースの価値観や考え方の一致を前提として、長期的に一緒に取り組めることが重要だと考えています。
私が提携先として最も重視しているのは、動物病院やペットフード・ペット医薬品企業の研究機関です。全国に1万6千以上ある動物病院と、ペット医療のデータと「Toletta」が取得した体重や尿量のデータとを連係させて、ペットの状態と受けた医療との可視化を目指しています。現在は、約100か所の動物病院と提携をしていますが、この数はさらに増やしていかないとならないと思っています。
また、研究機関との共同研究や研究サポートなどはすでに行っていて、フードなどの開発するために「Toletta」を飼育するペットの健康管理に使用している事例も国内外であります。研究者や研究機関も「Toletta」の価値を評価しているので、私たちとしても、研究成果を元に新しい機能を「Toletta」に搭載したり、新たなサービスのリリースしていくつもりです。
image: トレッタキャッツ HP
猫の医療の可視化で、動物医療を標準化する未来を描く
―「Toletta」を通じて目指す世界についてお聞かせください。
以前の仕事をひと言でいうなら、人間の医療における治療の可視化と標準化でした。どの病院でどのような治療がなされているかはそれまで見えておらず、可視化に伴って治療は標準化されていきました。
今の動物医療は、以前の人間の医療と同様に可視化・標準化以前の状況であるうえに、言葉を持たないペットの考えや行動をくみ取るのは、より難しいことです。「Toletta」で収集した情報から彼らの行動を可視化し、その情報と医療情報とを連携し、最終的にどの病院で、どの獣医師からでも一定水準の治療を受けられるようになれば、猫の寿命は延びていくはずです。ITを使って私が一番実現したいのは、猫の医療の可視化と標準化なのです。
医療・治療の可視化から標準化へと変化するダイナミズムを、人間の医療で体感したときの達成感が忘れられないのかもしれません。現在の動物医療は、人間の医療でいえば何十年も前の状態です。そこからのアプローチは人間の医療のときと同じやり方というわけにはいきません。猫の医療と治療の可視化と標準化へ至る道のりを一から作っていくのが、私たちの役割だと思っています。