三菱総合研究所の試算*によると、日本の農業経営体は2020年からの30年間で8割以上が姿を消すという。深刻化する人手不足や生産性の低下といった課題に対し、ロボティクスやAIの力で持続可能な農業を実現しようとしているのが、神奈川県鎌倉市に本拠を置くスタートアップのinahoだ。収穫のタイミングを判断できる野菜収穫ロボットや、人による収穫作業を支援する台車ロボットなどの農業ロボットを開発を皮切りに、農業参入支援や自社農場の運営まで事業領域を拡大。「ロボットありきの農業」という新たなスタイルの実現に挑んでいる。創業から7年、農業ロボットのパイオニアとして現場に寄り添い続けてきた同社は、今どこを見据えているのか。共同創業者でCEOの菱木豊氏に聞いた。

*「2050年の国内農業生産を半減させないために | 特集2 | MRI 三菱総合研究所」より

目次
「農業×ロボット」分野の老舗が持つ強みとは
グローバル市場も収穫ロボットに注目
農業の現場にある「自然相手の時間軸」
国内企業との提携は全方位で推進

「農業×ロボット」分野の老舗が持つ強みとは

―創業のきっかけと事業内容を教えてください。

 inahoを創業したのは2017年です。もともとは農業とは無縁の仕事をしていましたが、当時から「AIを活用して事業を立ち上げたい」という強い思いがありました。生成AIが一般に浸透する前の話です。

 その構想を実現する形で、AIカメラを用いて野菜の成長度合いを判別し、自動で収穫するロボットを開発しました。最初は、アスパラガスやキュウリの収穫ロボットからスタートしましたが、現在はトマトの収穫ロボットや、農場内での運搬を支援するマルチ台車ロボットのRaaS(Robot as a Service)事業を展開しています。

 また、農業に新規参入される方への支援やスマート農業コンサルティング、さらにはAIやロボティクス分野での共同開発にも取り組んでいます。

―トマトの収穫ロボットについては、オランダで課金試験を行っているそうですね。開発の経緯にもオランダが関係していたとか?

 2019年に資金調達を実施し、落ち着く時間が取れたことから、世界で最も施設園芸が進んでいるとされるオランダを視察しました。

 現地の農業展示会では、トマトの生産組合の担当者から「アスパラガスの収穫ロボットを作っているなら、トマトにも挑戦してくれないか」と直接声をかけられました。話を聞くと、その組合は年間売上が約500億円と、日本の農業団体と比べても非常に規模が大きい。それでも、まだ収穫ロボットは導入されていない状況でした。

 このとき、トマトの収穫ロボットは確かなニーズがあること、そしてグローバル市場でも十分にチャンスがあることを実感し、開発に乗り出しました。

―マルチ台車ロボットの開発経緯についても教えてください。

 台車ロボットは、トマト収穫ロボットの開発を進める中で生まれたソリューションです。

 当社の株主でもあり、トマトの生産事業を手がけるイチネンホールディングス様から、ロボット以外にも現場の課題を解決できる手段を検討してほしいという依頼を受けました。そこで、当社のメンバーが実際に先方の生産現場を訪れ、作業全体を把握するための調査を行いました。

 作業員の動きを詳しく分析するため、作業中にゴーグル型カメラを装着してもらい、その映像を解析した結果、現場では「人の移動」に非常に多くの時間とコストがかかっていることが判明しました。

 この課題を解決するため、作業員の移動を効率化することを目的に、荷物や資材を一緒に運搬できる台車型ロボットの開発をスタートしました。

―ロボットだけでなく、ソリューションにも事業を広げているのですね。

 はい。農業への新規参入支援を始めたのは、当社の収穫ロボットの認知が高まる中で、「ロボットの利用を前提に農業を始めたい」という声が寄せられるようになったことがきっかけです。

 実際にロボットを導入するには、圃場(ほじょう=農作物を育てる場所)そのものがロボットにとって動きやすく、作業しやすい構造であることが非常に重要だと分かってきました。そこで、スムーズに稼働できるハウス設計や栽培環境のノウハウを生かしたコンサルティング事業として展開しています。

 さらに、2025年4月からは自社でも農業生産を開始しました。実際に自分たちで農場を運営することで、事業として成り立つことを地域の方々に示し、地域に根差した新たな産業を育てていくことも目指しています。

―創業から8年目の年になりますが、競合との違いや御社の強みはどこにあると考えていますか?

「農業×ロボット」の分野ではこの数年でプレイヤーが増え、気付けばinahoが“老舗”と呼ばれる存在になりつつあります。

 農業は自然が相手ですから、季節ごとに環境が大きく変わります。例えば、春に問題なく動いたロボットが、秋にうまく動作するとは限らないーー。そんなことは日常茶飯事です。

 そうした中で、収穫対象となる作物の植物的な特性や、圃場環境への深い理解なしには、現場の課題は解決できません。ロボット技術だけでは不十分で、総合的な視点が求められます。

 私たちは、そうした現場での数々の失敗や試行錯誤を通じて、「こういうやり方ではうまくいかない」「こうすればビジネスとして成り立つ」という知見を積み重ねてきました。エンジニアも含む全社員が、その実体験を共有していることは、他社にない大きな強みだと感じています。

菱木 豊
共同創業者 代表取締役CEO
1983年生まれ。鎌倉育ち。大学在学中にサンフランシスコに留学し、帰国後中退。東京調理師専門学校に転学し、卒業後に不動産投資コンサルタント会社に入社。4年後に独立し、不動産投資コンサルの仕事をしながら、2014年にomoroを設立。音楽フェスの開催、不動産系Webサービスを開発運営後に事業売却し、2017年に解散。

2014年に人工知能の学習を開始し、地元鎌倉の農家との出会いから、農業AIロボットの開発を着想。全国の農家を回りニーズ調査を進め、2017年1月に inahoを設立。鎌倉を拠点に、世界初のアスパラガスやキュウリ等を汎用的に収穫できるロボットを開発。収穫ロボットを軸として、一次産業全般のAIロボティクス化を進めている。

Forbes誌の「アウトサイダー経済」特集にて、Agriculture4.0の旗手となるアウトサイダーとして紹介される。

グローバル市場も収穫ロボットに注目

―収穫ロボットへの注目は、年々高まっているのでしょうか?

 はい。農家の方々からは「年を追うごとに経営が厳しくなっている」との声をよく聞きます。肥料や燃料費、人件費など生産にかかるコストは上昇する一方で、農作物の小売価格はそれほど上がっていません。その結果、農家の手取りは年々減少傾向にあります。

 そうした状況の中で、「何かを変えなければ持続できない」という危機感は以前よりも強くなってきており、コスト削減策の一つとしてロボットに対する関心も確実に高まっていると感じています。

―農業ロボット事業の最も難しい点は何でしょうか。

 技術的に言えば、トマトでもスイカでも、ロボットが自動で収穫作業を行うこと自体は可能です。難しいのは、それをビジネスとして成立させることです。

 人間は判断も動作も非常に優れていて、やはり作業効率が高い。例えば、稲の刈り取り作業は、コンバインという機械を使えば人力の何百倍ものスピードで作業できます。だからこそ、使用頻度が年に1~2週間程度でも、数百万円、数千万円の投資が成り立つのです。

 一方、私たちのような収穫ロボットは、「人間1人分の作業を、どのくらいのスピードとコストで代替できるか」という観点で設計されています。そのため、ビジネスとして成り立たせるためのアプローチは、知損の農業とは全く異なります。

―その課題に対して、どのような戦略を取っていますか?

 まず、収穫ロボットに関しては海外市場から展開を進めています。なぜなら、ロボットの導入を検討する際に事業者が最も重視するのは「人件費と比較してコスト優位性があるかどうか」だからです。

 海外、特にヨーロッパでは人件費が非常に高騰しており、例えば先述したオランダのトマト農園では、収穫作業員の時給が約4,500円。単純な比較で、日本の約4倍です。こうした市場では、ロボットの導入によるコストメリットが非常に大きく、ビジネスとして成立しやすい環境が整っています。

 さらに、RaaSモデルを採用し、農家の初期導入コストを抑えています。ロボットを何百万円で購入するのではなく、「使った分だけ支払う」「収穫量に応じて料金が決まる」といった利用形態にすることで、より多くの農家が長期的に利用しやすくなる仕組みを整えています。

image : inaho

農業の現場にある「自然相手の時間軸」

―農業分野でビジネスを続けていく上で、大切にしていることは何ですか?

 何より「時間軸の持ち方」が大事だと感じています。Web3や生成AIといったテクノロジー分野では、数年のスパンで技術もトレンドも大きく変わりますよね。でも、私たちが取り組んでいる農業のような一次産業は、自然が相手です。数年単位ではなく、10年、20年という長い目で見て、どう変化させていくかを考える必要があります。

 現場に入ってみると、テクノロジーが進化してもすぐには解決できない課題が多くあることを痛感します。だからこそ、将来を見据えた中長期の視点と、今すぐやるべきことを見極める短期的な視点。この両方の視点を持ちながら取り組むことが、持続的なビジネスには欠かせないと考えています。

―具体的に「時間軸の意識する」とは、どういうことでしょうか。

 例えば、これから農業に参入しようとする人が補助金を活用し、圃場を整備しようと考えたとします。まず前提として、育てたい作物に適した農地を探すところから始めなければいけませんが、その農地探しだけでも1〜2年はかかることが珍しくありません。

 仮に、そこでアスパラガスを育てようと思っても、苗を植えて1年目は収穫できません。実際に収穫・販売できるのは2年目以降です。そうすると、収穫までに6年かかることになる。これは極端な例ではなく、多くの作物でも同様です。農業はこうした「時間がかかる産業」であるという現実を受け入れ、その上でどう価値を出していくかを考える必要があります。

―農業以外の分野への展開についてどうお考えですか?

 すでにいくつかの取り組みを始めています。たとえば、食品工場で使われるロボットの基盤技術の開発や、製造業の研究開発支援、ロボット制御や遠隔監視用のAIシステムの開発などです。

 これらはすべて、収穫ロボットの開発で培ってきたAIやロボティクスの技術がベースになっています。農業だけでなく、人手不足や重労働といった課題を抱えている現場には、まだまだロボットの活躍できる余地があると感じています。たとえば工事現場や倉庫のピッキング作業など、inahoの技術が貢献できる場面は多いと考えています。

image : inaho HP

国内企業との提携は全方位で推進

―国内企業との提携について、どのような形で進めていきたいと考えていますか?

 すでにいくつかの企業とは技術的な提携を実現しています。たとえば、トマト収穫ロボットの鍵となるのが「ベルトによる収穫機構」です。左右の収穫ハンドでトマトの房をやさしくはさみ、ハンドに備え付けられたベルトを回転させて、果実を傷つけずにねじり取り、複数のトマトをまとめて収穫できる構造になっています。

 私たちは収穫ロボットの開発には精通していますが、ベルトやその素材に関しては専門外でした。そこで、伝動ベルトや搬送ベルトの分野で高い専門性を持つバンドー化学さんと連携し、共同開発を進めました。

 また、拡販の面でも提携を進めています。たとえば、AI開発やサービス選定をサポートするコンシェルジュサービス「AI Market」とは業務提携を結び、inahoのAI・ロボティクス分野での受託開発案件に適した企業を紹介してもらっています。こうした連携を通じて、農業分野にとどまらず、より多くの業界に私たちの技術を広げていきたいと考えています。

 資本提携や資金調達に関しても、これまで複数の企業との連携実績があります。今後も広く提携先を募りながら、一緒に新しい価値を生み出せるパートナーを見つけていけたら嬉しいです。ぜひお気軽にお声がけください。

image : inaho

―どのような企業が、理想的な提携先だと考えていますか?

 提携の基本は、「お互いに持っていないものを補完し合える関係性」だと考えています。その上で、新たな技術やアイデアが自然と生まれてくるような、相互に刺激し合えるパートナーシップを築けると面白いですね。

 バンドー化学さんとの連携も、最初はinahoのロボットの一部パーツを共同開発したことがきっかけでしたが、今では逆に、当社の持つAIやロボティクスの技術をバンドー化学さんの領域に展開することで、まったく新しい製品を一緒に生み出していこうという話に発展しています。

 このように、互いの強みを活かしながら、新しい価値を共創していける企業との提携が、理想的だと思っています。

image : inaho



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