エッジAIの構築に立ちはだかっていた「コストの壁」と「運用の壁」という2つの障害を乗り越えることを可能にした独自のプラットフォーム「Actcast」(アクトキャスト)を提供するIdein(イデイン:東京都千代田区)。安価な汎用デバイス上でのAI処理の高速化を実現し、実世界の「現場」でさまざまなデータを自動収集・分析できるのが特長で、コンビニや百貨店、工場などでの人の認識や会話分析などに活用されている。スーパーコンピューターの研究から転じて同社を創業した代表取締役/CEOの中村晃一氏に話を聞いた。

スパコンの研究から、現場でAIが活躍する未来を思い描く

――専門分野や、創業に至るまでのストーリーをお聞かせください。

 創業前は、東京大学大学院でスーパーコンピューターのソフトウェア技術開発の研究をしていました。宇宙や気象、地震、炭素素材のシミュレーションのため、コンピューターを高速に動かすことを専門にしていました。大学院の後期博士課程で中退し、2015年に起業しました。

 きっかけのひとつが、医療法人からの相談でした。睡眠時無呼吸症候群という、寝ている間に呼吸が止まってしまう病気の診療を目的としたもので、画像認識AIによる非接触診療の相談を受けたのです。従来の診療では、就寝時に鼻にチューブを挿して気道を確保したり、指にクリップを挟んで血中酸素濃度を測ったりと、患者も介助者も非常に負担が大きい。そこでカメラで撮影した映像をAIが分析することで診療できないかという相談でした。それがきっかけで画像認識AIの知見を深める中で、いずれ画像認識AIがさまざまな現場で使われるようになると予測しました。大学に残って研究するより、起業したほうが短期間でいろいろなものが実現できると考えたのです。

中村 晃一
Idein
代表取締役 / CEO
1984年生まれ、岩手県出身。東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻後期博士課程にて、スーパーコンピューターのための最適化コンパイラ技術を研究。AI/IoT技術を利用して物理世界をデータ化する事業に挑戦するため大学を中退し2015年にIdeinを設立。2018年には半導体設計大手の英ARMから「ARM Innovator」に日本人(個人)として初めて選出された。

「現場をデータ化」するプロダクト

――御社の主力プロダクトである「Actcast」について教えてください。

 いろんな現場に設置したカメラやマイク、ディスプレイの中でAIが動作して、映像や音声を処理した上で重要な情報を抽出し、ビッグデータを集めることを可能にするプロダクトが「Actcast」です。現場の端末に搭載するAIソフトウェアとクラウドプラットフォームで、コンビニや百貨店、工場などで使われています。カメラでとらえた映像に映っている人や車の数、人の年代、音声の内容などをAIが認識して、ネットワークを通じてデータベースに格納して利活用します。「現場をデータ化」するプロダクトです。

「Actcast」は、エッジAIを活用するためのインフラです。カメラやマイクなどに、ラズベリーパイ(Raspberry Pi)などの汎用コンピューターを接続してAI処理のアプリケーションを実行します。そして、クラウドサービスの方では取得したデータを管理するほか、AIのアップデートなどを管理できます。

 AIは頻繁にアップデートしますので、この点が従来のIoTとまったく違うところです。古典的なIoTデバイスはマイコンによって動いていますが、たとえば温度センサーが1分間に1回計測したデータを送るだけといったように、ソフトウェア自体はそれほど変わりません。AIはどんどん新しい技術が登場することに加え、計測する現場の状況が変われば分析の精度が下がることもあります。ですからアップデートが必要なのです。

 現場の状況が変わる一例として、コンビニに設置したカメラによる客数や客層の分析があります。コロナ禍前はみんなマスクをしていませんでしたが、その後ほとんどの人がマスクをするようになり、検出の精度が下がったのです。そこで再度AIに学習させてアップデートしました。このようにソフトウェアのライフサイクルを管理できるようにしなければならないのです。

 また、さまざまな事業者の目的に応じて現場の端末上で動作するAIアプリケーションを開発できるような開発キットも提供しています。ラズベリーパイのような安価なデバイスでも高速なAIアプリケーションを作れるのがメリットです。

 収益モデルは、プラットフォームの利用期間と、エッジ端末の台数に応じて利用料をいただくという形になっています。このほか、Actcast上で動作するアプリケーションのマーケットプレイスも展開していて、アプリケーションの販売価格の3割を当社がいただく形になっています。

image: Idein

ファミリーマート店内の顧客分析に採用されシェア拡大

――開発や顧客獲得で苦労された点はありますか。

 立ち上げ期は本当に大変でした。「Actcast」はあくまでも基盤の部分なのでそれだけでは使えません。お客様に役立つソリューションが必要になります。ですが、最初は我々がどんなにいいプラットフォームを作っても率先してソリューションを作ってくれる会社はいませんので、自分たちで具体的なソリューションを作り、顧客を開拓し、ゼロから立ち上げていく。これに2年くらいかかりましたが、ここが大変でした。

 最初は小売店舗に来店する顧客のデータを集めることにフォーカスしました。人数や年代、性別などのマーケティングのための属性データ収集です。ニーズが顕在化しており、できるだけ早く売り上げが伸ばせる領域です。一方、医療やインフラ業界などは安定した収益が見込めるものの、スイッチングコストが高く、時間がかかる領域となります。すぐに結果が出せる領域で実績を積んで、用途を拡大しながら安定性の高い領域への導入を目指す戦略をとりました。小売店は、ECが台頭しているなかで実店舗の価値をデータによって明らかにしていくことが差別化につながるという仮説に基づいてアプローチしました。われわれが最初に行ったことは、百貨店のフロアに設置したカメラを用いた買い物客の回遊分析です。その後、ファミリーマートさんからお声がけいただいて、店内のデジタルサイネージにAIカメラが採用されました。見ている人の視聴率や年齢、性別を収集できる点に引き合いがあり、これがキラーアプリケーションとなって一気に導入数が増えました。

 このサイネージを用いて店舗が情報発信拠点にもなります。これはいわゆるリテールメディアと呼ばれるジャンルで、自社広告だけでなく、例えばビールや映画の広告も流して広告収入を得られます。リテールメディアが面白いのは、実際の物販の現場と紐づいている点で、単なる広告よりも効果が分かりやすいこと。設置する店舗側にとっては、商品の売り上げが高まり、その上、広告収入を得られると注目されています。

 ファミリーマートのようなコンビニですと、全国展開できます。広告主にとっては視聴者のエリア別の属性なども分かるのはメリットです。屋外にある巨大サイネージに広告を出しても視聴者数や属性などが分からないなど、効果を測定できない場合があります。リテールメディアなら「関東で人気」「北海道では女性が注目している」など反響が分かります。広告主にとっては認知向上以上の価値があります。

――画像認識以外に、音声分析も行なっていますね。

 携帯キャリア向けのプロジェクトで、携帯ショップで接客する際の会話分析にご利用いただいています。携帯電話のプランや契約は複雑になりがちで、顧客からの苦情などカスタマーハラスメント対策のためのものです。「こんなオプションを契約した覚えはないので返金してほしい」といった相談に対して、店舗のスタッフが必要な説明をしているかを残したり、同意をしてもらったことを示したりするために音声で証拠を残します。

 コールセンターとのやり取りならすべて録音されていますが、店頭ではBGMがあったり、隣のブースの会話が入ってしまったりするのでなかなか難しかったのです。当社のソリューションでは会話の当事者以外の音声を除去して録音し、話者分離をしてテキスト化もします。記録開始もスイッチを入れる必要がなく自動で行われます。

――このような現場でのAI処理のプラットフォームに競合はありますか。

 いくつか登場していますが、この分野で私たちは先行していてナンバーワンのシェアを持っています。登録デバイスは1万6000台を超え、パートナーも150社以上あります。なんといってもラズベリーパイのような安価なデバイスで高度なAI処理ができるため、コストパフォーマンスが高いです。創業から8年経ちますが、このような技術を持つのはいまだ世界でも当社しかないと自負しています。仮に今後これを超える技術が出たとしても、当社はプラットフォームとして展開していますので、優位にあると思っています。

 大手のコンビニや携帯キャリアが当社製品を採用した決め手はAIの精度とコストパフォーマンスです。プラットフォームとしてさまざまな機能が統合されていますので、目的に応じて別々のソリューションを導入する必要もありません。アプリケーションだけ切り替えれば、同じデバイスでさまざまなデータ収集・分析ができる点は非常に評価されていますね。

 パートナーの種類は、カメラなどにAI機能を追加したいIoTデバイスメーカーや、AIアプリケーションを開発して販売したい会社、そしてデータ活用のソリューションを提供するSIerやクラウドサービス事業者に分かれます。ファミリーマートでの実績で多くのパートナーが注目し始めましたので、パートナー経由の利用は増えていくと予想しています。

2024年はグローバルでの成長段階へ

――今後1〜2年のマイルストーンをお教えください。

 1〜2年という時間軸では、現在1万6000台の導入数を10万台以上にする目標があります。国内の監視カメラの数はおよそ400万台と言われています。この分野で先行しているSafie(セーフィー)さんは20万台近く運用されていると聞いています。短期的には10万台を超えていきたいですね。そして将来的には国内で100万台、グローバルでは億単位のオーダーを目指していきたいと考えています。

 2020年のローンチからの5ヵ年計画では、現在4年目に入っていて、国内でのデファクト化と世界展開の時期となっています。今後さらに認知を高めていきたいと思っていまして、2023年には「現場でのデータ収集・分析ならActcast」とみんなが知っている状態にするのが目標です。

 世界で成長していきたいと思っていますので、現在グローバル展開をご一緒できるパートナーを求めています。すでに伊藤忠商事さんとは業務提携をしていますが、グローバルに顧客を持つ企業や、IoTには現場の施工なども関係してきますので、そのような企業もパートナーとして必要です。現地の販路やサポートなどのネットワークをお持ちの企業ともつながりたいですね。

 グローバルではリテールなど特定の分野に強い企業はあるようですが、私たちのようなプラットフォーマーとしての強い競合はいませんので、これから1年という時間軸でも当社がデファクトになれる可能性があると考えています。

――企業ビジョンに「ソフトウェア化された世界を創る」を掲げています。どのような世界を目指していますか。

「ソフトウェア化された世界」というものは、あらゆるシステムやプロセスがソフトウェアによって駆動しているということです。それによって、進歩の速度が加速します。世の中の変化に合わせていろんな仕組みやいろんなプロセスが柔軟に変化してどんどん進歩していく世界に変えていきたいというビジョンです。

 たとえば、これまで車などは購入したら機能はそのままでしたが、最近の車はソフトウェアのアップデートによって快適性や安全性、燃費が向上しますね。電話もスマートフォンになって、アプリケーションによってどんどん便利になっています。私たちも、マイコンのIoTから、アップデートして進化するプラットフォームに変えました。都市インフラがソフトウェアで管理されたら、CO2排出量や渋滞、エネルギー使用量が減る、そんな世界が訪れようとしているのです。医療分野での活用で健康寿命を伸ばしたりすることも考えられるでしょう。

 当社は創業当時からグローバルの大きなプレーヤーになりたいという想いでここまできました。本当に世の中を激変させるテクノロジー領域に取り組んでいますので、手を組んでいただけるパートナーを求めています。



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