量子技術の「安定化」を目的とした基盤ソフトウェアを開発するQ-CTRL。オーストラリア・シドニーに本社を構える同社は、量子制御工学と呼ばれる、量子技術の有用化を目的とする学問の専門家を抱えているスタートアップだ。2017年の創業以来、量子コンピュータ界で世界最大手のIBMと連携し、成果を挙げている。物理学の博士号取得者でもあるQ-CTRL創業者兼CEOのMichael Biercuk氏に話を聞いた。

Michael Biercuk
Founder & CEO
Harvard Universityで物理学の博士号を取得後、DARPA(国防高等研究計画局)にて、Technical Consultantとして勤務。National Institute of Standards and Technologyのプロジェクトではノーベル受賞者で物理学者のDavid Wineland氏と協業。The University of Sydneyで量子物理学・量子テクノロジー学の教授を務めながら、2017年にQ-CTRLを創業、CEOに就任(現職)。

量子技術を「使い易く」するソフトウェアを開発

――御社はどのような事業を展開しているのでしょうか。

 Q-CTRLは、量子技術を「使い易くする」基盤ソフトウェアを開発しています。量子技術とは、原子や電子といった微細な世界で働く「量子力学」という法則を用いた技術で、量子コンピュータや量子センシング、量子コミュニケーションなどの分野に応用されます。量子技術は向こう10年間で、よりユビキタスなものになり、様々な業界の課題を解決していくでしょう。

 目下、量子技術の応用に関する根本的な課題は、それが「安定」しないことにあります。量子コンピュータや量子センシングを活用しようとすると、エラーが多発し、間違った答えが返ってくるのです。これは、ハードウェア側の能力が量子技術に追いついていないことが原因です。

 Q-CTRLは、量子技術の活用のためハードウェアを安定化させる基盤ソフトウェアを開発しています。具体的には、量子コンピュータが正しい答えを算出するための「Black Opal」や量子センサーが必要な信号を出すための「Boulder Opal」というソフトウェアになります。

 現在、IBMをはじめとした量子技術のベンダーは、多発するエラーを前に「ポストプロセッシング」と呼ばれる、実行を何度も繰り返す中で、結果を平均化させる手法を採用しています。そんな中、ハードウェアを調整する当社の独自技術を活用すれば「たった1回」でエラーを抑制できるのです。

 現在、当社の顧客は民間企業をはじめ、運輸局などの公的機関にも存在しており、その領域は防衛産業やバイオテクノロジー、物流、サイバーセキュリティー、金融などに渡ります。

 ビジネスは好調で、過去4年間で年間2〜3倍のペースで売上高を伸ばしています。直近ではシリーズBラウンドで、量子ソフトウェア企業としては世界最大規模の資金調達累計額(7000万米ドル以上)に成功しました。現在、従業員数は約100人です。

ニューサウスウェールズ州運輸局とも協業

――御社のソフトウェアを導入した企業の成功事例を教えてください。

 2つの事例をご紹介しましょう。

 1つ目は、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州運輸局とのMaaS(Mobility as a Service)に関する事例です。こちらの公共交通機関は、同州のバスや電車、道路網を管轄していて、量子コンピュータを応用した渋滞の解決や運行スケジュールの最適化を目指していました。

 輸送サービスの時刻表は、利用者の需要や輸送能力、突発的な事故、祝日によって、大きく変化します。従来、その管理にはいくら高度な計算ツールを用いても十分ではなく、最適化まで何日もかかってしまうケースが珍しくありませんでした。

 そこで、同州運輸局はQ-CTRLとの提携を決めます。決め手は、量子コンピュータの技術が、「リアルタイムで交通網を把握し、最も効率的な時刻表を即座に算出できる」点にありました。従来のアルゴリズムによる計算よりも、圧倒的に速く最適解を求めることができたのです。

 現在、ニューサウスウェールズ州運輸局のデータサイエンス部門とQ-CTRLは密に連携しており、向こう5年以内に、量子コンピュータを組み込んだ同運輸局専用のソフトウェアパッケージを構築する予定です。

 2つ目は、IBMとの協業です。当社は、IBM主催の「IBM Quantum Startup Network」という量子技術の実用化を促進するスタートアップフォーラムの早期メンバーでもあり、同社とは2018年から連携しています。

 IBMは言わずと知れた量子コンピュータ開発分野のビッグカンパニーであり、30台もの商業用量子コンピュータを稼働させています。しかし、同社も「ハードウェアの安定化」という課題に直面していました。

 当社はIBMが保有するすべての量子コンピュータにアクセスし、量子ビット操作におけるエラーの軽減やデバイスによる変動を調整し、結果的にはハードウェアの安定性を大幅に向上させることができました。

image: Q-CTRL HP

アカデミアを飛び出し、スタートアップを創業した理由

――あらためてですが、Q-CTRLを創業した経緯を教えてください。

 私のバックグラウンドは物理学者で、現在もシドニー大学で量子物理学と量子技術の教授を務めています。

 専門は量子制御工学と呼ばれる分野で、量子技術の安定化がテーマです。2010年以来、この分野の基礎研究を行なっていたのですが、徐々に研究の主導権が、アカデミアから産業界に移行していくのを感じていました。

 そうした中、アカデミアの人間として、2つのことに気づいたのです。1つは、量子制御工学の発展には、民間企業と同じペースで動いていく必要があること。もう1つは、私の研究を実用化するに、アカデミアでは資金面を含むリソースが制限されていることでした。

 煎じ詰めると、アカデミアでは資金が不足しており、研究が発展しないということに気づいていたのです。そこで2017年7月にQ-CTRLを創業したのですが、同年10月には最初の資金調達に成功しました。これだけ急ピッチで創業から資金調達まで準備できるスタートアップは多くないでしょう。量子技術の安定化という分野への期待値の高さがうかがえます。

――御社は累計7000万米ドル以上の資金調達に成功しています。資金の使い道を教えてください。

 Q-CTRLを設立してから約5年半経過していますが、これまでは調達した資金を中核となる技術開発に投じてきました。スタートアップの中には、営業やマーケティングに莫大な資金を投入して製品開発はおざなり、というケースもありますが、当社は正反対のアプローチを採用してきました。

 Q-CTRLは、テクノロジーありきの企業です。当社のソフトウェアが、量子コンピュータや量子センシングの分野において唯一無二の存在である、とプロダクトを通して証明できるまで売上、つまり規模の拡大はねらっていなかったのです。

 2023年5月現在、当社の基盤ソフトウェアは量子技術の実用化に役立つ製品だと自信を持って言うことができます。今後はトップライン(売上)の最大化のために資金を投じていきたいと考えています。

量子技術の実用化に舵を切った日本市場に関心

――日本市場をどのように見ていますか。

 日本市場は、Q-CTRLにとって最も重要な市場の一つであると認識しています。その理由は、日本の量子技術の研究拠点が非常に充実していることにあります。事実、世界の量子コンピュータの発展を牽引した基礎研究の重要な事例は日本から生まれています。

 これまで日本の量子技術に関する研究は主に学術的な側面が大きかったのですが、現在は商業利用へ大きく舵を切っていると認識しています。これは、Q-CTRLにとっても重要なチャンスだと考えています。

 研究者やベンダー、ハードウェアメーカーだけでなく、まだ量子技術への投資を本格化させていないが興味のあるエンドユーザーとの提携を始める絶好の機会です。日本における量子技術の「アーリー・アダプター」と話をしてみたいですね。

 具体的な業界としては、主に物流やバイオ、金融、化学、鉱業などの領域の民間企業が挙げられます。

――日本の大企業とのパートナーシップを考えた場合、どのような形態が理想でしょうか?

 量子技術に関する提携の形態は多岐に渡ります。そのため、相手先がどのような関係性を求めているかによって、形態も変化するでしょう。

 特に、量子センシングの分野では、ハードウェアシステムを航空機や船舶などの第三者のプラットフォームに統合することになります。そのためには、適切なシステムとインテグレーションパートナーシップを組むことが重要になります。

 また、興味深い事例としては投資という関係性が挙げられます。例えば、当社が投資を受けたエアバス・ベンチャーズ(Airbus Ventures)には、日本政策投資銀行が出資をしています。量子技術に関心を寄せる日本の金融機関とも話をしてみたいと考えています。

――最後に、御社の長期的な目標を教えてください。

 量子技術の実用化を支えるプロバイダーであることですね。私たちは、量子技術界のVMwareのような企業だと考えています。

 VMwareはITの仮想化市場において世界トップレベルのシェアを誇るインフラストラクチャ・ソフトウェアの開発企業であり、現在ほぼすべてのサーバーでVMwareが稼働しています。

 私たちも同社のように、量子技術をエンドユーザーに提供するインフラのプロバイダーになりたいですね。



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