政府の「スタートアップ育成5か年計画」が掲げられ、これまで以上にディープテック領域への注目が集まる中、大学発スタートアップの可能性や2023年の投資環境について、BNV代表取締役社長の伊藤毅氏に聞いた。
「もったいない」 世の中を大きく変えるような技術が日の目を見ない現実
ディープテック(Deep Tech)とは、深さ(deep)とテクノロジー(Technology)をかけ合わせた造語だ。科学的な発見や革新的な技術に基づいて、社会にインパクトを与えることができる可能性のある技術のことを指す。
その分野は、AI(人工知能)やバイオテクノロジー、宇宙工学、量子コンピューティング、ロボット工学など多岐にわたり、高度な科学やテクノロジーの力で社会課題を解決する事業や分野の総称ともいえる。
一般的に、大学や研究機関などが開発した最先端技術を基盤としているディープテックは技術・製品開発の期間やコストが膨らみ、商用化に時間がかかるため、資金調達などに課題があるとされてきた。
伊藤氏はなぜそのディープテックに特化したVCを立ち上げようと考えたのか。
「BNVを設立する前は、ベンチャーキャピタルのジャフコに新卒で入社しました。2008年からは産学連携、いわゆる大学発ベンチャー投資チームのリーダーを務めました。まだ入社5年目にも関わらずリーダーを任された背景もそうなんですが当時はベンチャーキャピタル業界の中でも、ディープテックや大学発ベンチャーはなかなかリターンが出づらい領域の一つとして認識されていた『黎明期』でした」
創業初期からの資金提供に加え、成長を底上げするエコシステムの構築に従事。出資先の複数の社外取締役および名古屋大学客員准教授・広島大学客員教授を兼務。内閣府・各省庁のスタートアップ関連委員メンバーや審査員等を歴任。
支援先には、筑波大発のCYBERDYNE(サイバーダイン)や、山形県鶴岡市に拠点を置き、慶應義塾大学先端生命科学研究所から生まれたバイオベンチャーのSpiber(スパイバー)などがあった。
サイバーダインはIPOするなど、出資先としても順調だった。伊藤氏は大学発のスタートアップの高い技術力や将来性に強い刺激を受けた。一方で、せっかくの研究を活かしきれない「壁」があることにも気付いた。
「大学にはすごく素晴らしい世の中を大きく変えるような技術があると感じました。一方で、ベンチャーキャピタルの資金はまだ十分に行き届いておらず、加えて大学にはビジネス経験のある方や事業化・商業化のノウハウを持った人たちが少ない。素晴らしい研究者がたくさんいても、外部環境のせいで埋もれてしまっている。これは『非常にもったいない』と思いました」
資金や商業化のノウハウ、経営人材がちゃんと揃えば、社会実装できる研究や大きく成長するスタートアップを大学からたくさん生み出せるのではないか。日本の大学、アカデミアに対してやるべきことはそこにあるのではないか。
もともと伊藤氏自身が起業に対する思いを持っており、「自分なりに産学連携のフィールドの中で、自分の経験を生かしたい、自分なりにゼロから起業家のようにスタートしてやっていこう」と、2014年8月にBeyond Next Venturesを立ち上げた。
ファンド組成の追い風、エコシステムビルダーとしての役割
BNVは2015年2月、1号ファンドを組成し出資を開始。翌年12月には当初の目標額を上回る約55億円で1号ファンドの募集を完了した。2020年12月には2号ファンドを目標額を上回る165億円でクローズした。ファンドの運用総額は220億円、出資先は医療・ヘルスケア、アグリ・フード、エレクトロニクス、AIなどの領域で73社に上る。
設立当初はディープテック、大学発スタートアップへの出資に対して、周囲から「大変だよ」「もっと短期でリターンが出るものを考えた方がいい」など、懐疑的な受け止めもあったという。
その中で、追い風になったことが2つあったと伊藤氏は説明する。1つは、リーマンショック後の投資の冷え込みから市況も回復傾向となり、投資家らがそれまで手控えていたベンチャー投資やファンドへのLP出資を再開しようという雰囲気が高まっていたこと。
もう1つが、2014年に「産業競争力強化法」が施行されたことだった。経済産業省や文部科学省などが省庁連携で、大学の研究成果の活用を通じてイノベーションを促進するため、国立大学法人等が大学ファンドを通じて大学発ベンチャーなどへ投資することを可能にした。
対象となったのは東京大学、京都大学、大阪大学、東北大学の4国立大で、それぞれが認定VCを設立。政府は、独創的な研究開発に挑戦する大学において、その成果を基盤とした新産業の創出につなげたいと、これら4つの国立大学法人のファンドに対し合計1000億円を出資した。
大学の研究を事業化に結び付けて、日本経済を牽引するイノベーションを生み出していきたいという政府の姿勢は、BNVのミッションとも合致するものだった。
同時に、BNVが取り組んだのはディープテックのスタートアップを生み出し、成長させるエコシステムの構築だった。伊藤氏がジャフコ時代に感じた研究者や大学発スタートアップが直面する課題を1つ1つ解決していくような取り組みだ。
2016年に、大学に眠る高度な技術シーズの事業化支援に特化したアクセラレーションプログラム「BRAVE」をスタート。これまで累計120チームの事業化支援を行ってきた。現在は、大学・支援機関と連携した事業化支援スキームの構築から、革新的シーズを基にした大学発スタートアップの創業、資金調達、事業展開、海外進出を一気通貫で後押ししている点が特徴だ。
Image:Beyond Next Ventures
伊藤氏はBRAVEの役割と自身の経験を重ねる。
「BNVを創業したとき、『応援するよ』という投資家の方からの一言で、頑張ろうと思えたんですよね。研究者の中には事業計画の作り方はまだよくわからないけど、技術の商業化に強い熱意を持つ方や、起業を志す方がいらっしゃいます。その方たちの『最初の一歩』を後押しするような存在に我々もなりたいと思いました」とBRAVEのミッションを語る。
Image:Beyond Next Ventures
2022年10月には、日本のディープテックスタートアップを対象に、海外投資家からの資金調達を後押しするプログラム「BRAVE GLOBAL」を沖縄科学技術大学院大学(OIST)で初めて開催した。ARCH Venture PartnersやInsight Partnersなどの米国の有力投資家14名がメンターとして参加し、スタートアップに対する個別メンタリングを実施した。
BNVは2021年にOISTとスタートアップ支援のパートナーシップを組んだ。
伊藤氏は「OISTは世界から優秀な研究者を集めており、日本のアカデミアの『未来の姿』の1つだと思います。そんな刺激的な環境で国内スタートアップとOISTとの連携ができればと思いました。また、日本発スタートアップが成長していく上で国内市場だけでなく海外進出を考えるとき、いきなり海外だとハードルが高いので、まずはOISTで外国人研究者と共同開発をしながら新しいプロジェクトを作るなど、OISTから世界に出ていくような流れをつくれないかと考えました」と説明する。
BNVは「人」の部分でも、さまざまな取り組みを展開している。VC業界では初の有料職業紹介事業の許認可を取得し、研究の事業化に向けて必要となる経営人材やビジネスパーソンの紹介に先駆けて取り組んだ。
また、起業を志すビジネスパーソンを対象に、研究者と大学シーズの事業化(スタートアップ創業)に挑む「イノベーションリーダーズプログラム」を運営。結果的に、研究者側、起業家候補者、双方を後押しし、大学研究のビジネス化を促している。
「BRAVEでは我々が出資できるような形まで事業計画と経営体制をブラッシュアップします。我々が出資をしていない先もその後、資金調達や大企業との提携などを実現するスタートアップが出ています。結果的に国内ディープテックのエコシステムの一部として機能しています」
Image:Beyond Next Ventures
どう見る? 政府のスタートアップ政策
これまで商業化や投資回収まで時間を要することが課題とされてきたディープテックのスタートアップに対する投資家の関心が近年、高まっている。社会課題の解決に先端技術を活用する社会的要請・期待感が強まっていることに加え、政策的な動きも背景にある。
岸田文雄首相が2022年11月に公表した「スタートアップ育成5か年計画」には、「成長に時間を要するディープテック系のスタートアップを中心に、スタートアップの事業展開・出口戦略を多様化する観点から、ストックオプション等に関する環境整備や、スタートアップに対する公共調達の拡大等を推進する」との文言が盛り込まれ、投資機会の拡大が見込まれる。
加えて、岸田政権は政府として半導体、量子、AI、次世代通信技術、さらには、バイオ、宇宙、海洋といった戦略分野への研究開発投資を支援し、イノベーションの促進に取り組むと打ち出している。世界トップの研究水準を目指す大学を支援するため、政府は10兆円規模の大学ファンド(基金)創設も掲げている。
BNV創業から約9年。伊藤氏はディープテック系の起業や大学発スタートアップを巡る環境の変化をどう見ているのか。
「業界全体がすごくポジティブに変わってきたと思います。以前は自身の研究だけに注力している研究者の方が多く、『ビジネスしてお金儲けなんてけしからん』というような風潮もありましたが、最近、特に若い研究者の方は『研究もやりたいし、社会実装も起業にもすごく興味がある』という人が増えてきています」
政府がスタートアップを日本経済の成長エンジンと前面に打ち出したことにも、大きなインパクトがあると伊藤氏は評価する。
「これまで政府としては、当然ながら大企業も中小企業も日本には数多くあり、スタートアップだけというのはなかなか言い切れなかったと思います。ですが、ここに来て明確に『日本経済のこれからはスタートアップ中心だ』と打ち出したことは、2つの点においてすごくポジティブなインパクトがあります」
その1つは、スタートアップ向けの資金供給において、ディープテックや大学発スタートアップに対する研究資金の提供が広がり、これまで民間のVCのエクイティだけでは足りなかった領域にも資金が流れ込み、結果的にディープテック領域の起業にチャレンジしやすい環境が形成されていくということ。
2つ目は、政府が「日本経済の再興においてスタートアップを中心に据えて取り組む」という強いメッセージを発信したことで、これまで起業やスタートアップに関心がなかった層にも認識が広がり、雇用の流動性が生まれるという期待だ。
「大企業への就職」という安定志向ではなく、スタートアップへの転職や起業といった選択肢、働き方が注目され、優秀な人材がスタートアップへ流れ込めば、事業の成長が期待できるという。
「我々はこれまでも『経営人材の不足』がずっと課題だと感じてきました。アメリカなど海外と比べると、日本の人材の流動性は低い。新卒で入った大きな会社で勤め上げるという価値観が主流で、スタートアップで働いたり、転職して次のチャレンジを目指したりする人たちがあまり多くはない文化でした」
「ただ、その流れも変わりつつあります。大企業からスタートアップへの転職者は3年前と比較して7倍というデータもあります。より多くの優秀な人材がスタートアップに流れ込むことで、スタートアップの数も増えていくでしょう」
一方で、岸田政権が「スタートアップ育成5カ年計画」で掲げた「スタートアップへの投資額の10兆円規模への引き上げ」や、「スタートアップ10万社創出・ユニコーン企業100社創出」といった数値目標については、敢えて辛口の指摘をする。
「例えばユニコーンを何社作るという話の部分はさまざまな議論がありましたが、多額の資金を投じて人工的にユニコーンを作ることは可能だとしても、実体を伴わないスタートアップが量産されるリスクもはらんでいます。数値目標だけを達成する方向に変に力がかかると、バブルを作りかねず、そこはすごく危惧するところです」
今後日本のスタートアップ創出のボトルネックになるのは、資金面よりも人材の供給であり、経営人材などが育っていく「時間軸」があまり考慮されていないのではないかと伊藤氏は指摘する。
「先述のように、政策によって人が流れてくることはポジティブな面ですが、その人たちが未経験の場合、そこから経験を積んでいく時間が必要になります」
「ですので、今回の政策にも海外進出、グローバル展開を打ち出していますが、日本の人材を育てていくだけでなく、外国の人材、海外の経験者を生かすことも必要ではないでしょうか」と語り、目標の実現には広い視野に立った戦略が必要とみている。
Image:Beyond Next Ventures
2023年はどうなる? 3号ファンド組成へ インドの可能性にも注目
政府の重要施策に位置付けられたことなどを背景に、スタートアップに対する注目や期待はこれまで以上に高まっている。その上で、2023年の投資環境はどう推移すると伊藤氏はみているのか。
「改めて2022年を振り返ると、コロナ禍をきっかけにしたリモートワークを前提とした様々なプロダクトについてはすごくポジティブな環境でした。当社の出資先も医療関連のスタートアップが多く、病院向けのツールなどの事業は伸び、このトレンドはまだ続くとみています」
「市況も一昨年の年末から一気にマーケットが下がり、上場準備をしていたスタートアップのIPOの中止や延期などもありましたが、スタートアップ側もVC側も、2021年に比べると、資金の引き締め、バリュエーションについて非常にシビアになったと思います。コストをより精緻に見た上で計画を作った資金調達が必要になりました。2023年もこういった傾向は続くと思われます」
そんな中で、伊藤氏はディープテック領域の動きをこうみている。
「政府としてもディープテック領域へ大きな投資をしていくと打ち出したことで、アカデミア側も商業化に投資をするベンチャーキャピタル側もよりアクティブになっています。以前はインターネットやSaaS系に投資をしていたVCなども最近はディープテックや大学発スタートアップへの投資に強い関心を寄せており、エコシステム全体に与える影響は間違いなく大きいです。VC業界、スタートアップ業界でもディープテックが一つのキーワード、トレンドになる状況はまだ続くと思います」
BNVは2023年も引き続き、医療・ヘルスケア、バイオ・創薬、アグリ・フード、バイオテックに加え、宇宙、量子、クライメートテック等、ディープテック全般へ積極的に出資をしていく。
「例えば医療ヘルスケア関連に関しては、データヘルスと言われる領域に関して注目しています。医療データを蓄積し、そのデータを使って新しいビジネスを展開していく、ないしはそれを使って予防を実現する、新たな治療を実現するようなビジネスも関心が高い分野の一つです。大学の技術を使った高度な医療機器も引き続き注目しているところです」
また、バイオテックや創薬では免疫や細胞療法などがんの治療法を担うような新しい取り組み、アグリ・フードに関しては代替タンパクの領域や、いわゆるサーキュラーフードと呼ばれる食料残渣などから新しい価値を生み出すビジネスにも注目しているという。
2023年、BNVは3号ファンドの立ち上げを検討している。2号ファンドの165億円を上回る規模を想定。これまで通り、シード、アーリーフェーズへの出資に注力する姿勢は変えず、「場合によってはシリーズDぐらいまで、1社当たり最大20億円ぐらいまで出資ができるような形を考えています」と伊藤氏は説明する。
また、2号ファンドの組成以降、本格化させたインドへの出資も引き続き注力していく。
「我々のインド進出の目的は2つあります。インドは世界第3位のユニコーン輩出国であり、デジタル人材が豊富です。今後も成長するポテンシャルのある投資機会として注目しています」
「2点目は、日本の出資先スタートアップの進出先としてのポテンシャルです。インドの人口が中国を超え、インドがこれから世界の工場になっていく可能性が高いという指摘もあります。人口動態をみても若い層はまだ増える予定で、伸びしろがある大国であり、例えばサプライチェーン、製造拠点になっていくポテンシャルも非常に高い。かつビジネスの市場としても有望です」と期待を込める。
Image:Beyond Next Ventures (BNVが出資するインドスタートアップの起業家たちと)
2023年は岸田政権の「スタートアップ育成5か年計画」が本格的に始動する年。国全体としてスタートアップやイノベーション創出が必須と位置付けられる中、社会課題の解決につながるようなイノベーション、世界の発展につながるような最先端技術をいかに育て、世に送り出していくか。
BNVは業界に精通したキャピタリストに加えて、創業前の支援に強く、起業準備として大学研究の事業化に向けた初期ビジネス・創業チームの構築を伴走する機能を持っていることが、他のVCとの差別化につながっていると伊藤氏は説明する。
そして、「これまでスタートアップの初期ステージを支援してきた経験から大事なことはやはり『仲間探し』だと思っています」と語る。
「特に研究者の視点で見たとき、パートナーとなり得る適切な良い人材が見つかれば事業の成功確率は格段に上がりますし、見つけられなかった場合はどんなに良い技術を持っていても事業の成功確率は下がってしまいます。研究者を支えてくれるような、CEOを支えてくれるような、仲間をきちんと見つけることが初期のとても大事なポイントだと思っています」
成功の基盤をつくるにはまず人材、仲間づくりから。伊藤氏の言葉は、研究者や起業家の良き仲間・パートナーとして、共に新境地を切り拓いていくBNVのビジョンと重なり合った。